「南京大虐殺など見たことも聞いたこともない」と証言する人たちの真相(前編) | 歴史の超真相ブログ〜教科書には嘘しか書かれていない~

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✳️【南京虐殺など見たことも聞いたこともない】
 あれは平成4年(1992年)8月初めの暑い日であった。山口県の萩の松陰神社を訪問した際、その途中で下関に降り立ち、いまは亡き森王琢氏を訪ねたことがあった。明治42年(1909年)生まれの森王氏は、そのとき83歳、小柄ながら矍鑠たる体躯で、その人となりは、高潔そのものという感じであった。

 お話によれば、氏は陸士43期生で、南京総攻撃に際しては、京都第16師団歩兵第20連隊(福知山)第三大隊の大尉であったが、大隊長戦死のため、大隊長代理として参戦されていた。

 お話が進むと、やがて氏は、言葉静かに「南京虐殺など見たことも聞いたこともない」ともらされた。その口調は穏やかであったが、真実が歪められたいることに、我慢ならないといった風情であった。

 そのお言葉が、私の脳裏に焼き付いて離れなかったのである。それが門外漢の私を南京研究へと引き込んでゆく大きな要因となった。(東中野修道) 東中野修道/藤岡信勝〈『ザ・レイプ・オブ・南京』の研究 中国における「情報戦」の手口と戦略〉より


✳️【大虐殺は隊長の恣意で実行できるものではない】
 第一線歩兵中隊長として南京戦に参加した森英生氏(明星学園大学勤務)は次のごとく証言する。

 「大虐殺といえば、一中隊長や大隊長などが恣意で実行できるものではない。必ず計画者、発案者、命令の伝達者、実行者があるはずだ。たとえ極秘裡にやったとしても必ず漏れて噂になるはずだ。そのような組織的・計画的な残虐行為がおこなわれたという噂は、40余日にわたる南京駐留間も、その後1年間の中隊長在任中も一度も聞いていない」 田中正明〈南京事件の総括 虐殺否定15の論拠〉より


✳️【120人のプレスマンはなにを見たのか】
 鎌倉市よりも狭い南京城内に、日本の新聞記者やカメラマンが、約120人も占領と同時に入城して取材にあたっていながら、前述の今井正剛、鈴木二郎記者の虚構を除くほかは、1人として婦女子の虐殺や一般市民および捕虜の大量虐殺などは見ていないのである。当時、「朝日」「東日」「読売」「日経」など全国紙の各支局をはじめ、地方紙や通信社も、南京に特派員を派遣している。これらのプレスマンが異口同音に言うことは、「東京裁判で、南京であのような大事件があったと聞いて驚ろいた」である。これは南京に入城した将兵たちもほとんど同様である。

 当時、読売新聞の上海特派員だった原四郎氏は「世界日報」の記者にこう述べている(57・8・31)。

 「わたしが南京で大虐殺があったらしいとの情報を得たのは、南京が陥落して3ヶ月後のこと。当時、軍による箝口令が敷かれていたわけではない。なぜ今頃こんなニュースが、と不思議に思い、各支局に確認をとったが、はっきりしたことはつかめなかった。また中国軍の宣伝工作だろう、というのが大方の意見だった。」

 これと同じ意味のことを東京日々新聞特派員五島広作氏が書いている。氏は昭和41年4月に『南京作戦の真相=第6師団戦史』という著書を熊本日々新聞社から出版している。

 「自分が南京戦を終えて上海に帰り、しばらくすると、南京に虐殺事件があったらしいといった噂を耳にした。おどろいて、上海に支局をもつ朝日や読売や同盟など各社に電話をいれてみた。どの社も全然知らぬ、聞いたことも見たこともないという。おそらく敵さんの宣伝工作だろうというのが話のオチであった。」

 これが各紙特派員の当時のいつわらざる実情のようである。 田中正明〈南京事件の総括 虐殺否定15の論拠〉より


✔️【真相〈大虐殺なかった派の必殺奥義〉】
 大虐殺なかった派の必殺奥義の1つに「南京大虐殺など見たことも聞いたこともない」といった証言をしてくれる元軍人、ジャーナリスト、外交官、文化人を見つけてくる、というものがあります。

 「当時、南京に実際にいた人たちが『大虐殺など知らない』と言っているのだから大虐殺などなかったのだ。これに勝る証拠がどこにあるのだ?エッヘン」というわけです。

 その代表的な本が阿羅健一の〈「南京事件」日本人48人の証言〉というもので、最後の補遺で紹介されている人たちも含めると、実に59人もの日本人の証言を掲載しています。

 そして阿羅健一は、あとがきでこうまとめています。

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 南京を歩き回ってあちこち見ていた日本人の証言から、どんなことが浮かび上がってくるであろう。

 南京でいわゆる「30万人の大虐殺」を見たという人は、48人の中に1人もいない。それがひとつ。それから9年たち、南京での暴虐が東京裁判で言われたとき、ほとんどの人にとっては、それがまったくの寝耳に水だった。

 つぎに、48人の証言から、市民や婦女子に対する暴虐などなかったことがわかる。とくに婦女子に対する暴虐は、誰も見ていないし、聞いてもいない。

 南京にはいたるところに死体があり、道路が血でおおわれていた、としばしば語られるけれど、そのような南京は、48人の証言の中にまったくない。東京裁判で語られたような悲惨なことは架空の出来事のようだ。

 一般市民に対してはそうであるけれど、しかし軍隊に対してはやや違うようだ。

 中国兵を処断している場面を何人かが見ている。中国兵を揚子江まで連れて行って刺殺しているし、城内でも刺殺している。南京に向かう途中でも、そのような場面を見ている人がいる。揚子江岸にはのちのちまで処断された死体がたくさんあった。

 これらから推察すると、南京事件と言われているものは、中国兵に対する処断だったのであろう。

 といって、だからそれが虐殺として責められるべきことかといえば、必ずしもそうではない。大騒ぎすることではない、それが戦争だ、戦場だ、と大多数の証言者は見なしている。
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 「当時、南京にいた59人もの日本人が『大虐殺など見ていない』『中国兵が殺されるところを見はしたが、あくまで戦闘の続きだった』と証言している。これで勝負はあっただろう」と著者の阿羅健一と、推薦文を載せた櫻井よしこをはじめとする大虐殺なかった派の人たちは、ドヤ顔になっていると思われます。

【元日本兵102人の証言が載っている本】
 しかし、「数で勝負」というのなら、大虐殺あった派も負けてはいません。

 小学校の教員である松岡環という方が編集をつとめた本に〈南京戦・閉ざされた記憶を求めて〉というものがあるのですが、その本にはなんと102人もの元日本兵の証言が掲載されているのです!

 102人中、南京大虐殺を否定しているのは2、3人ほどで、あとは全員「南京大虐殺は間違いなくあった」「日本軍は民間人も殺していた」「日本軍は中国人女性を強姦しまくっていた」と証言しています。

【まとめ】
 ●大虐殺なかった派は「数で勝負」という作戦に出ているようだが、「数で勝負」なら大虐殺あった派も負けてはいない。