「向井敏明と野田毅は百人斬り競争などしていない」の真相 | 歴史の超真相ブログ〜教科書には嘘しか書かれていない~

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✳️【不当な東京裁判】
 小林よしのり 東京裁判はまったく価値のない証拠で南京虐殺を事実と認定し、松井石根大将を絞首刑にした。

 熱海の山に日中両軍の戦没者を祀った「興亜観音」を造り、毎朝菩提を弔っていた老将軍を処刑して、強引に「南京虐殺」を既成事実化したのだった。

 さらにBC級戦犯裁判では、4人の軍人を南京虐殺の「実行犯」として処刑した。

 そのうちの2人、向井敏明、野田毅両少尉を死刑に追い込んだのはまったく事実無根の新聞記事だった。

 南京攻略戦の最中、2人の将校が日本刀で敵兵「百人斬り」の競争をした。結果は106対105。最後には1人を鉄兜もろとも唐竹割りした。

 んなアホなというような戦場のホラ話を戦意高揚のため記事にしたものだった。

 2人は南京で「戦犯裁判」にかけられた。

 南京虐殺を既成事実化するため、なにがなんでも「実行犯」を作って処刑する。

 それは初めから決まっていた。なにを言っても無駄だった。

 最後の望みは記事を書いた浅見一男記者が「記事は創作」と認めることだった。

 南京の牢獄に一日千秋の思いで待った浅見記者の手紙が来た。

 だが、そこに「創作」の2文字はなかった。記者としての保身を優先したのだった。

 向井敏明氏の遺書にはこう記されていた。

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 我ハ天地神明ニ誓ヒ

 捕虜住民ヲ殺害セルコト全然ナシ

 南京虐殺事件等ノ罪は絶タイニ受ケマセン(中略)
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 野田毅氏の遺書にも「南京虐殺事件の罪名は絶対にお受けできません。お断りします」とあり、次の言葉で締めくくられていた。

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 我々の死が中国と日本の楔となり

 両国の提携となり、

 東洋平和の人柱となり、

 ひいては世界平和が

 到来することを喜ぶものであります。

 何卒我々の死を犬死、

 徒死たらしめない様、

 これだけを祈願致します。

 中国万歳

 日本万歳

 天皇陛下万歳
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 昭和23年1月28日

 南京 雨花題 

 向井氏の妻はすでに亡く、老母とまだ幼い2人の娘が残された。(中略)

 働き手を失い、老母と幼い孫娘2人の生活は大変厳しいものだった。それに加えて「戦犯の家族」への世間の冷たい目…。

 それから20数年、次女は結婚して2児の母となり、ようやく幸せが訪れたかに見えた。そんなある日…。

 夫が帰宅するなり、1冊の本を取り出した。

 『中国の旅』には向井、野田両氏が実名で、しかも「百人斬り」の作り話をさらに誇張・歪曲した残虐非道な民間人虐殺の凶悪犯として書かれていた!

 「これは創作記事です」

 「新聞がウソを書いて本にまでするか!活字になったものは真実だ!」

 その日から平穏な家庭は消えた。

 「おまえは結局、人殺しの娘なんだ!」

 ついに夫婦仲が修復されることはなかった。

 千恵子氏は職場でも冷たい目に耐えなければならず、その辛さは終戦直後の頃など比べ物にならないほどだったという。

 中国が明らかな作り話「百人斬り」で強引に2人を処刑したことは裏を返せば「南京大虐殺の実行者」などどこにもいなかったという証明にほかならない。

 にもかかわらず、戦後の日本人は向井・野田両氏をはじめ、南京虐殺の冤罪を着せられた人々の名誉回復に努めるどころか、ニセ写真、ニセ日記、ニセ証言を駆使してより誇張された冤罪をかぶせ、世界中にそのイメージを定着させるべく奔走した。

 南京郊外の「大屠殺記念館」の設立には日本人が深く関わり、その展示コーナーには2人を死に追いやった新聞記事と2人の写真を拡大し、「大虐殺の実行犯」として展示した。

 同様の記念館は中国の各地に建設された。しかも日本からの資金で。

 そして首相の靖国神社参拝に目くじらを立てるような日本人が次々と訪れては献花をしている。

 向井千恵子氏は記念館の中で父の姿に再会した。それは光ったパネルの牢屋に閉じ込められ必死で叫んでいるように見えた。

 「無実だ!ここから出してくれ!」

 最近、この「百人斬り」に関して、日本や中国以外の第三国の歴史学者が論文を発表した。

 カナダ・トロントのヨーク大学の歴史学教授ボブ・ワカバヤシ氏は「百人斬り」事件は捏造であり、将校2人の処刑も不当という結論を出した。

 処刑された野田少尉の獄中手記も発見され、「百人斬り」の記事は戦場で特ダネを探していた記者のほうから「記事は一切、記者に任せてください」と持ちかけられたものだと判明した。記者が戦意高揚記事を創作したのである。

 本多勝一や大虐殺説を支持した学者たちは未だ「日本刀1本で百人斬りはできない」ということすら認めず、なしくずし的に「百人斬り」を事実として歴史に固定させようとしている。

 日教組の教師の中には「百人斬り」を事実として、向井、野田両氏を実名で小学生に教え込み、洗脳している者までいた。その子供の感想文には…

 「ちょっとひどすぎる!」

 「バカヤロー、日本のはじ!」

 「オラー人間のクズめ!」

 「のう神けい外科にでも行って」

 「ちょっと頭おかしいんじゃない」

 「中国の人たちかわいそう」

 「日本の天皇は悪い」

 冤罪をあえて受け、故郷の家族に思いを残しながら死に際して「中国万歳 日本万歳」と書き残した人物を、子供に「人間のクズ」よばわりさせて喜んでいる教師がいる。クレイジーな偽善者たち!!

 そして今も学校の修学旅行で子供たちを南京大屠殺記念館に連れていき、中国人への罪悪感と日本人であることの失望感や嫌悪感を植え付けている教師たちがいる。 小林よしのり〈新ゴーマニズム宣言スペシャル 戦争論2〉より 


✔️【真相〈到底信用できない遺書の内容〉】
 「鉄兜もろとも唐竹割りした」というのはさすがに創作だとは思いますが、向井敏明と野田毅が百人斬り競争をやっていたのはたぶん事実だと思います。

 まず向井敏明は遺書の中で「捕虜住民を殺害せること全然なし」などと言っていますが、もうこの時点で嘘です。

 これまでの記事で充分説明してきましたが、日本軍は中国人捕虜と民間人を容赦なく殺しまくっていました。

 それで「捕虜も民間人も全然殺していない」などと言われても誰が信じられるでしょうか?

【日常化していた「試し斬り」】
 また、小林よしのりは漫画の中で向井敏明(または野田毅)と思われる日本兵が、日本刀でおびただしい中国兵をバッサバッサと殺しているシーンを描いているのですが、実際の百人斬り競争というのはそういうものではなかったと思います。

 元第16師団歩兵第33聯隊第二機関銃中隊の古川康三さん(仮名)という方の証言にこういうものがあります。

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 機関銃や地雷で殺す以外にも、残虐行為を見たことがありました。戦闘中に新しい将校、幹部候補生から上がった将校のほとんどが任官制少尉になってから小隊長になるものだから、そういう人がよく試し切りといって敗残兵ということで中国人を捕まえて切っていました。兵隊の前で、新しい小隊長が切る。首の皮だけ残して切るのが一番いいのだということでやっていました。私は目の前ではっきりと首切りを見ました。部落を攻撃して敗残兵を捕まえると小隊長が切ってるのを南京の陥落の前にも何回も見てきました。

 今思うと、中国人には、本当に残虐なことをしたと思います。こんな話をすると、また夢に出てきますわ。
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 また、第16師団・中島今朝吾中将の1937年12月13日の日記には次のような記述があります。

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 本日正午、高山剣士来着す。時恰も捕虜七名あり。直に試斬を為さしむ。小生の刀もまたこの時彼をして試斬せしめ、頚二つを見込み斬りたり。
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 「試斬」とは「試し斬り」のことで、「高山」という将兵に中国人捕虜を試し斬りさせていたのです。

 当時の日本軍ではこうしたことが日常化しており、向井敏明と野田毅の2人もこうした行為を「百人斬り」と称しておこなっていたのではないでしょうか?

【まとめ】
 ●向井敏明は遺書の中で「捕虜住民を殺していない」と言っているようだが、到底信用することはできない。

 ●日本軍は捕虜の試し斬りを日常的におこなっており、それが「百人斬り」の可能性がある。