「東京裁判に提出された南京大虐殺の目撃証言は1件のみ」の真相 | 歴史の超真相ブログ〜教科書には嘘しか書かれていない~

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✳️【矮小化】
 「日本軍は南京で30万人虐殺したーっ、30万人虐殺したーっ」

 「げえっ…そりゃひどい。30万人なんて…」

 「ちょっと待って。30万人なんて、なにも証拠はないですよ」

 「なにを言う!数の問題じゃない!問題を矮小化するな!」

 「そ…そうですね。数の問題じゃなかった」

 「とにかく日本は悪いんだった」

 「日本軍は慰安婦を強制連行したーっ、強制連行したーっ」

 「げえっ…そりゃひどい。強制連行なんて…」

 「ちょっと待って。強制連行なんて、なにも証拠はないですよ」

 「なにを言う!強制連行は問題じゃない!『強制性』が問題なんだ!問題を矮小化するな!」

 「そ…そうですね。強制連行は問題じゃなかった」

 「とにかく日本は悪いんだった」

 小林よしのり いつもいつもこんな手に引っ掛かるやつらって…脳みそパーなんじゃないの?

 以前は「南京虐殺」に疑問を呈しただけで周囲が凍りついたものだが、確実に状況は変わっている。

 今ではサヨクでも中国政府のエージェント、アイリス・チャンの本を全面的には支持できず、邦訳を出す際、記述の間違いを訂正しようとしてチャンの怒りを買い、出版停止に追い込まれたりしている。

 チャンの原本のまま発売すればいいじゃないか!訂正なんか一切せずに発売してくれよ。

 中国政府の見解を一字一句疑わず直輸入していた『中国の旅』の頃とはまさに隔世の感だ。

 そんな中、面白い本が出た。

 『再審「南京大虐殺」』竹本忠雄・大原康男著、明成社

 1冊の本で半分日文、半分英文。

 世界中の人に向けた日英バイリンガルの本だ。

 これは「南京虐殺なんかウソだーっ」と声高に叫ぶ本ではない。

 「南京大虐殺」を題材にしたいわば法廷推理ドラマである。

 中国政府の公式見解を告発側の「起訴状」として、著者は弁護士の立場でこれに反駁していく。

 読者は陪審員の立場で結論はあくまでも読者の判断に任される。

 ミステリー小説のように楽しめる知的エンタテインメントになっている。

 この本に倣って「南京虐殺再審模擬法廷」をやってみよう。

 わしが弁護人で被告・日本国を弁護する。

 読者諸君は陪審員席だ。

 告発側・中国はこんな目撃者を採用している。

 「日本軍は近郊の村に包囲・拘禁していた5万7418名もの難民と兵士を12月16日夜、ワイヤーロープで2人ずつ括り、4列に並べてシャーカン・そうか峡まで追い立て、機関銃で掃射しつくしたあと、さらに銃剣でやたらめったら突き刺し、最後に石油をかけ、火をつけて焼き、残った人骨をことごとく揚子江の中に投げ入れた!私はこの一部始終を目の前で目撃しました!」

 小林よしのり 反対尋問をします。第一に闇夜の中で一体どうやって6万近い犠牲者の数を一ケタまで正確に数えたのか?

 第二に日本兵が要所を固めているときにどうやって現場を目撃できる場所に行けたのか?

 第三に約6万人をワイヤーロープで括るのに日本兵は何人いてどれくらい時間がかかったのか?中国人はおとなしく縛り上げられたのか?

 第四に約6万人を殺害現場まで追い立てるのに警護の日本兵は何人いたのか?

 第五に6万体もの死体が骨になるまでにどのくらい時間がかかったのか?6万体もの人骨を揚子江に流すのにどのくらいの日本兵がどのくらいの時間をかけたのか?

 さらに告発側に聞きたい。6万人も掃射すると数時間機銃の音が鳴り響いて誰かがそれを聞いているはずだが傍証はあるのか?

 ヤジ それは『木を見て森を見ない』議論だ!

 ヤジ 一つの証言をとって虐殺全体を否定することはできない!

 ヤジ 極端な例を持ち出して揚げ足取りをするな!

 小林よしのり こういう議論をすると必ずサヨクはそうヤジりますね。もし被告が日本国じゃなく一般の殺人事件裁判でも証拠とされた目撃証言を弁護側が信憑性ナシと論破したら、あなた方は言うんですか?『それは“木を見て森を見ない”議論だ!』って。

 今の証言は東京裁判で使われ、現在も中国政府が証拠として採用しているから弁護士が反対尋問をした、それだけです。文句があるのならこんなずさんな証言を採用している中国に言いなさい!

 陪審員のみなさん、しかも今のは『ほんの一つの証言』どころではありません。

 終戦直後、中国国民政府は東京裁判に備え、南京の中国人に日本軍の犯罪を申告するよう呼びかけた。

 ところが申告する者『甚だ少き』ばかりか、調査をすると唖然として『口を噤みて語らざる者』や虐殺を『否認する者』までいた。

 2ヶ月半調査して、結局法廷に最初に提出できた目撃証言はこの『5万7418名殺害』のただ1件しかなかった。ほかならぬ中国国民政府が東京裁判に提出した調査報告にそう書いてあります!

 中国政府は東京裁判が開廷し、『犠牲者34万人』として南京虐殺を告発したあとも証拠集めに奔走し続け、新たな証拠や証言をかき集めています。どれも大同小異でしたが、以上のことから次のことがわかります。

 第一に当時の中国人は日本が敗戦したにもかかわらず、その犯罪を告発するのに消極的であったり否定的であったり、かつ信憑性のある証言をする者もまったくいなかった!

 第二に中国側は証拠も揃わないうちからあらかじめ犠牲者を『30万』以上と決めていたと思わざるを得ない! 小林よしのり〈新ゴーマニズム宣言スペシャル 戦争論2〉より

✔️【真相〈不自然な点を列挙しているだけ〉】
 大虐殺なかった派の必殺技の1つに「不自然な点を列挙する」というものがあります。

 小林よしのりは〈再審「南京大虐殺」〉という本を参考資料にいろいろと主張していますが、ただ不自然な点を列挙しているだけであり、私がほかの記事で紹介している虐殺の決定的証拠の数々をくつがえすことはできていません。

 この次の記事からも小林よしのりの主張をいくつかとりあげますが、どれも大同小異でくだらないものばかりです。

 しかし、大虐殺なかった派の知性のレベルの低さをわかってもらうために、あえてくだらない主張の数々をとりあげてみたいと思います。

【中国政府の呼びかけに消極的な中国人】
 さて、これだけで終わったらおもしろくないので、ちょっと引っかかった点に反論をしたいと思います。

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 終戦直後、中国国民政府は東京裁判に備え、南京の中国人に日本軍の犯罪を申告するよう呼びかけた。

 ところが申告する者『甚だ少き』ばかりか、調査をすると唖然として『口を噤みて語らざる者』や虐殺を『否認する者』までいた。

 2ヶ月半調査して、結局法廷に最初に提出できた目撃証言はこの『5万7418名殺害』のただ1件しかなかった。
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 この部分。

 「終戦直後」ということは1945年ということでしょうか?

 南京大虐殺が終わったのは1938年の3月頃とされています。

 そして南京市政概況という資料によると、1938年2月末の南京の人口が20万人で、1941年3月末の人口が61万9406人だそうです。

 1941年3月の段階で60万人以上に回復しているのですから、1945年にはもとの100万人くらいにまで戻っており、治安もすこぶる良くなり、中国の人々の精神状態も落ち着きを取り戻していたと思われます。

 そんなときに、7年以上前の日本軍の犯罪を申告するよう呼びかけられても、消極的になったり、「唖然として、口を噤みて語らざる」という状態になるのもしかたがないのではないでしょうか?

【「虐殺を否認する者」の謎】
 次に「虐殺を否認する者」について。

 前述したように、1938年以降から南京の人口が急激に増加しています。

 これは大虐殺が巻き起こっていた頃、南京を離れていた人たちが戻ってきたか、またはほかの地域に住んでいた人たちが南京に移住したことが原因だと考えられます。

 つまり1945年に日本軍の犯罪を申告するよう呼びかけられた人たちの中には、南京大虐殺を見たことがない人が多くいたと思われます。

 「虐殺を否認する者のミステリー」は、これで説明できると思います。

【中国政府が1945年に調査を始めた理由】
 最後にもう1つ。

 なぜ中国政府は終戦直後の1945年になって、ようやく南京大虐殺の調査を始めたのでしょうか?

 都留文科大学名誉教授・笠原十九司の〈南京事件〉に次のような記述があります。

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 南京事件において犠牲にされた中国軍民の数を正確に算定することは、いまとなっては、まず不可能である。日中の双方とも南京事件発生時および直後に本格的な被害調査をしなかったからだ(金陵大学のスマイスらの「南京地区における戦争被害」調査が唯一であった)。南京はその後およそ7年間、日本の占領下に置かれたため、中国当局が直接調査することはできなかった。いっぽう、南京を占領統治した日本当局が、犠牲者数を調査することなどありえなかった。したがって、関連した諸資料を収集し、整理・検討して犠牲者総数を推定していくことになるが、その資料も、日本軍側の資料の公開が少ないことが最大の障害になっている。
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【まとめ】
 ●小林よしのりは「不自然な点」を列挙しているだけである。

 ●中国政府の呼びかけに消極的・否定的な中国人がいても不思議ではない。