◉‘11/12月のスピ的つぶやき3◉ | 人生は自らデザインする!

人生は自らデザインする!

●ココロとカラダ:本当の健康になるためのヒント
●人生を根本から治療する「ライフセラピー」実践法
●「奇跡講座」や「OSHO」などの難解な教えの解説


正しさは剣である。その剣は見方によって正義とも悪ともなるから難しい。正しさでもって相手を圧倒すると怨恨を残すこともある。正しさで相手を責めると相手は逃げ場を失い感情だけが膨張するのだ。自分の正しさなどたかがしれているし、絶対的な正しさなどない。常に慎みを持っていたいものである。

人が激変するときは2パターンある。一つは「あんな風になる!」と成長しようとする意識。もう一つは「このままじゃいやだ!」と崖っぷちから身を守ろうとする意識。効果が出やすいのは後者である。自我を味方につけることができるから。しかしもう崖ではないと思った瞬間その変化はストップする。

自分が相手を好きだからといって、相手が自分を好きだとはかぎらない。一方自分が相手を嫌いだからといって、相手が自分を嫌いとはかぎらない。人の感情とは理屈で説明できるものではないし、そんなにシンプルでもない。私たちはただ、「そうなのだ」とまずは認めるしかないのかもしれないね。

ガツガツと人を押しのけて人より得をしようとしたところで、どうなるのだろう?車の運転でも、流れを乱して自分だけ先に行こうとしても、流れにのってゆったり運転している車と大差なかったりする。むしろ自分が乱した流れが渋滞を引き起こし、結局また自分をイライラさせる羽目になるのがオチである。

荘子は問う。「美しい女は生け贄にされる。ならば美しいことは良いことなのか?」と。「不吉なものは敬遠される。だからその生命を全うできる。不吉がもっとも大吉なのではないのか?」と。長所短所は表裏一体。要は「使い様」ということ。自分が無用・無駄だと思うものにこそお宝が眠っているかも。

ポジティブやらネガティブやらという言葉・・・前向きな気持ちだからといってポジティブエネルギーとはかぎらないし、悔しい気持ちだからといってネガティブエネルギーとはかぎらない。言葉はその人によって定義が違うからうまく表現することは難しい。自分の定義ありきで自分の検証を怠ると道を外す。

猫は爪を研ぐ動物だ。しかし壁や家具で研がれたらたまらない。だからといって爪を研がぬように躾ることは困難である。「研ぐな」という命令に従わせるよりも「研いでよい場所」を与えた方が壁や家具は無事であろう。相手の特性を無視して自分の都合ばかりを押し付けていないか気をつけたいものである。

自然は変化する。変化することが唯一「変わらない」法則なのかもしれない。アンチエイジングは歳を否定することではない。どんな歳の重ね方をするかである。どのような変化をさせるかである。否定するところには痛々しさがある。囚われている苦しさがある。ひずみがある。美しく変化したいものである。

象の鼻が長いからといって嘆き悲しんでいるだろうか。鶏が空を飛べないからといって恨み憐れんでいるだろうか。「すべてはすべてがちょうどいい」。それが自然の有り様ではなかろうか。それを認めることができればいろんなことがわかってくるのかもしれない。感じられるようになるのかもしれない。

自分は被害者のつもりでも、よくよく考えてみると全く同じことを他者にしていることに気づいたりする。いろいろ理由をつけて相手を責めてみても、よくよく考えてみると自分の都合に反することが納得できないだけだと気づいたりする。いろんな感情は自分の内面を見るのにとても役に立つものなんだね。

今年は本日で終わるけれど、単なる節目にすぎない。からだの細胞は動き器官もまたはたらき続けている。年末だ!年明けだ!とこころに区切りをつける一方で、淡々と変わらぬ生命の営みを続ける自分のからだに心から感謝したい。ありがとう・・・。みなさまもよいお年をお迎えくださいませ。


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