自宅映画鑑賞/こちらあみ子 | 【FUGA】-フーガ-

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孤独だけどネット上での出逢いは求めていません

 

予告編を観た限りではいまひとつ伝わってこなかった映画。

本編を観たら、あー!あみ子みたいな子、小学生の頃にいたわと思い出した。

その事については長くなるので映画感想の後に別に書くとします。

ネットフリックスにて鑑賞。

 

 

 

現代では流行りのように自分は発達障害だとかADHDだとか云う人が多いですが

あ、まーい!例え医師が診断したからといって、本当の発達障害でADHDというのはこの映画のあみ子のような人のことです。ちなみに原作は未読です。

主人公のあみ子が小学5年生から中学生に上がる頃までのお話。

落ち着きがなく思ったことをずけずけ言って周囲を困らせるあみ子はそれによって流産した母親は精神を病んでしまい、兄はグレて、父親はもうあきらめ状態に。

ラストはまあそうなるわなって感じでお終いです。

原作小説は分かりませんが、文章だけだと暗い印象しかありませんが、それを補うように映画の舞台の広島の自然と海と空の風景のおかげで全体がやわらかい印象になっています。あ、でもカエルと蛇の場面はちょっと残酷かも。

ただね、大不満なのが発達障害のあみ子を純粋無垢って表現するのっておかしいです。何故に平等でなく特別扱いなんでしょうか。一般の我々が好き勝手言えば非難されるのにそれってはっきりいって差別です。それに発達障害の人は感性が鋭いとか特殊能力があると勘違いしている人もいますが、皆がそんなわけないじゃないですよ。

 

一瞬、誰?って思えた井浦新の父親役はなかなかの好演でした。尾野真千子のほくろはまるで本物みたいに自然で驚きましたが、場面によって大きさが違うのは何故なんでしょうか。主人公のあみ子役の大沢一菜ちゃんも難しい役を上手にこなしてました。ムスッとした表情の発達障害の人は職場にいました。その人は男性でしたけど。あみ子と同じで臭かったのであまり近くに寄らないようにしていました。

世の中にはこういう子(人)がいるんだと疑似体験のためにこの映画を小学生に観てもらうべきです。

ただ、残念なのはあみ子の悪意のない言動によって傷つけられた人達のケアが全くなかったのが不満です。

 

 

 

トランプジョーカートランプジョーカートランプジョーカートランプジョーカー

 

 

 

ここからは映画と関係のない嫌な思い出話。書いたらすごく長くなったので読まなくてもいいです。

小学5年生の時、クラスにあみ子のようなYという男子生徒がいました。Yはいつもニヤニヤした表情をしていて急に声を発したり勉強は最下位でした。Yは私の顔を見るなり笑いながら「ヒゲがある」とはやしたてました。その時に私は初めて自分が毛深いことを認識したのです。恥ずかしくて悔しかった。それから脱毛を気にするようになったのですが、それを母親は「うちの子ったら毛深いのを気にしてるのよ」と馬鹿にしたようによその人に話したら「そりゃそうですよ」と言われてようやく女の子は毛深いのを気にしてるんだと知ったのです。

話を戻してその時のクラス担任は生徒を平気でえこひいきする教師でした。当時はえこひいきはあっても気のせいだと云われてた暗黒の時代でした。成績の良い生徒は常にいい子扱いで、私を含む成績が悪く性格が大人しい生徒は何かといいがかりとつけて吊し上げのような裁判をしょっちゅうされたのです。別に私達は問題児でもなんでもなく、ただクラスの父兄に発表する出し物が下手だからこの人達をどうしましょうかとかそんな程度でですよ?おかげで私達は集まって、ある子が「精神統一で瞑想しましょう」と言い出すまで追い詰められたのです(やりませんでしたけど)小学5年生をそこまで追い詰める教師っておかしくないですか?いや、絶対におかしいです。私個人では給食当番の時にメニュー表どおりに配膳したら後からメニュー表に載っていなかった一品がありそれを班長である私は知らなかったのにすぐさまクラス裁判にかけられました。よく考えれば給食室側の失態なのにおかしいですよね。班長なのでクラスの皆の前で「すみませんでした」と謝ったのですが納得してくれず「この責任をどうしてくれるんですか」とえこひいき担任は全く許そうとしません。班のみんなは私に「とにかく謝っちゃえよ」とヒソヒソ言うばかりで私一人に責任を押しつけるだけ。私は子供心に難しい言葉で謝ればいいかなと「なんのおわびも出来ませんが」と言ったら余計に担任の反感を買って「おわびってどういう意味ですか!」怒りの声を上げました。その後どうだったかもう覚えていませんが何度か私ひとりが謝って裁判は終わりましたが、6年生になってクラスが変わってもそのえこひいき教師は体育祭の踊りの練習中に遠くから怒りの表情で私に走り寄って手の位置が違うと無理矢理直されましたけどね。

話が随分とそれましたが、とにかくそれだけクラス内のえこひいきと差別が酷かったわけです。で、Yはどうだったというか、Yは成績の良い担任のお気に入りのSさんという女子生徒が買って出るように面倒をみていたので差別をうけることはなかったのです。Sさんは「あたしYのこと好きだよう」と言ってましたが勿論それが恋愛感情とか全くなく、正義感のご奉仕的態度ありありの囲いこみようが気に入らなかったです。まあ、そのわざとらしい正義感のおかげで体臭のするYの席の隣り座ることがなくて助かりましたけど。でも成績最下位で奇声を発したり人を馬鹿にするような発言をするYは特別扱いされて庇護されたのには今でも納得いきません。成績が悪く大人しいってだけでクラス裁判にかけられる側の方が庇護されるべきではありませんか。一体なにが平等なんですか。発達障害なYは成績の良いグループに庇護されていじめにあうことは無かったというのに。何十年経っても私は許しません。私の心を傷つけたYもえこひいき担任も見下していた成績の良いグループもみんなみんな不幸になれ!そして差別をうけた生徒達は幸せになれ!そんなこと気にするなって言う人生経験のないヤツ不幸になれ!

 

あー、思い出しで書いてたらまとまんなくなりました。あの頃の私を苦しめた同級生達に会ったら言ってやりたいね「あーら、〇〇さん、お勉強できたからいいじゃない」ってね。ふふん、こちとら億万長者になったわよ。