月刊PLAYBOY 1989-11 矢沢永吉 vol.3 この業界は便所かと思った。 | 矢沢永吉激論ブログ

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PB はじめて、芸能界でサクセスして得たお金は違うんだと思い知らされた。そのとき、どう思いました、ロック界のスーパースターになっている矢沢永吉のことを?


矢沢 オレはあのとき、メチャクチヤ自分を呪っだね。はっきりわかったんだよ。芸能界で稼いだのよオレは。自分もふくめて、芸能人っていうのはクサイと思ったね。


クサさを放っていくらだっていう世界だということがわかった。芸能界でサクセスするのはなにかといったらクサさを放っての対価だと思うよ。この業界とかはさ、正義がどうしたっていうのは、これは二の五の話。二の次とは言わないの。


 それからオレ、実業家と企業人に心から憧れたね。それから芸能人をもっと卑下しだした。芸能人は「FUCK YOU」だと思ったよ。


芸能人でビル建てようとなんだろうと、オレにすればもうクソだね。これは言っとくけど、自分をふくめてっていうことなんだけど。だからオレは言うわけ、自分のルーツを呪うと。


PB そこまで思いつめたとき、いっそのことやめちまおうかとは思いませんでした。


矢沢 やめたいと思った。音楽はもうやめようかと思った。オレはビートルズ志向とかさ、ローリング・ストーンズ志向で広島から出てきたから、もっとマンハッタンだったもん。もっとニューヨーク・シティだったのよ。その感覚で東京に来て、この内容。クソッ、この業界は便所かと思った。


PB そのころから何かがはじまった?


矢沢 人間革命がはじまったと思うよ、矢沢永吉という人間がはじまったんですよ。けっこうそれまではオレ、芸能人だったと思うな。


いくらオレは芸能人じゃないと言うもののさ、そんなに涙が出るぐらい自分がクサイ芸能人だってことを憎んだことはなかったと思う。


でも、そのときばっかりは、涙が出るぐらいに自分を恨んだね。血ヘドが出るぐらい耐えられなかった。さておまえ、どうする。やめるのかというとこにいったことは事実だよね。


いま思えば、そこがぼくのすっごい大きなターニングポイントだったと思う。いまの矢沢永吉をつくるかつくらないかの曲がり角にきてたと思うよ。