霞の向こう側で | 叢雲九頭龍

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読んで頂ける皆さんと共に、自然の恵みや人とのご縁に感謝出来るブログを、書いて行きたいと思います。
載せる内容は、個人的見解ですのでご理解下さい。

其の答えは観え隠れしていた



能登半島のみならず


千葉県や茨城県でも


どうしてグラグラは続いてるの?



先日のブログで書いた


『 成田山新勝寺 』に


一番近い水流である



『 印旛沼 』と

※当然ですけど、聖水と御神酒は上流の小川から注ぎ入れて居ります


其の北部を流れている大河の


『 利根川 』&

※此方では鎌足の亡霊と対峙


『 鬼怒川 』にも

※此方では憤怒状態にあった守護神と向き合う、ニ・三年連続で氾濫していたけれど、邪気祓い神事に赴いたら其れ以降はピタリと鎮まった


聖水と御神酒をお繋ぎしに行った


であるにも関わらず


どうしてなんだ?



此れまで大事なことを観落として居りました


『 鹿嶋神宮 』は


利根川流域では無い🫢



近隣の大河である利根川へ行ったから


近くだし祓い所は浄化されてるだろうと

※東方の要


自分勝手にそう想い込んでいたけれど


鹿嶋神宮は霞ヶ浦を挟んだ

※ベール(覆い)の裏側


もう一つ向こう側の水流である

※水源が違う別々の河川


北浦沿いに建てられている


そして其処へ流れている巴川を遡って行くと


水源は笠間市の愛宕山



其の愛宕山では十三人の修験者が


祀られてるそうなんですけど



って、え〜〜〜っ😱


巴川を守護して居られる『 龍神さま🐉 』でも


東方の浄化師『 鹿嶋大明神 』でも無く


鼻高の天狗👺を主祭神にしているだなんて

※信者がお金を握りしめて、次から次に山を訪れ有難がるもんだから、山伏達はどんどんと鼻が伸び、プライドだけが高い妖怪の姿へと変貌してゆき、他愛の精神から修験の道を歩み始めたのではあろうけれど、金の魔力に魅了され原点を見失い横道へ逸れて行って仕舞った=修験者を後戻り出来なくさせた原因は二つ✌️、お金に対する執着心と信者の他力本願


そりゃあ、流域の守護神さん


住民がそっぽ向いてんだから


何時まで祈ってても


災い鎮めてくれる訳ねぇわ😮‍💨



色々調べると愛宕山では


心霊現象も起こっているそうですけど


今直ぐには行けませんので


関東圏にお住まいの方々は


グラグラに対しても魑魅魍魎に対しても


重ねて、当面の間は御用心を⚠️




以前、鹿嶋神宮を訪問した際


当時使っていた携帯電話が一時的に


神隠しとなったんだけど


今に至って観れば


其処では日本酒の留め置きもされてたし


見ての通りどでかい賽銭箱も常備されてるし


御祭神は龍宮の外濠を司る


四皇の一人である鹿嶋大明神から


錫杖を持った鬼ヶ島の山伏(三本足)へ


日向族の濡れ手で摺り替えられ

※表向きは主祭神を鹿嶋大明神と装っているけれど、バチカンが行ってる出鱈目なキリスト信仰(龍口から湧き出てる聖水はおでこに塗ったり手を洗ったりするものでは無く、川や参拝者の口(上部)から注ぎ入れ体内の邪気祓いをする為のもの)と同様、夲来の教義通りのことをちゃんと遣って無い❌、川の上流に鼻高の天狗が祀られ其れが災いの根源であるにも関わらず、何にも氣づけないなんて夲末転倒


邪に塗れた伏魔殿となっちゃったから


仲見世通りでは閑古鳥が鳴き


参道(夲州)の東方一帯(関東圏)では


災いが起き続けているのでしょうね



偽アマテラス崇拝の悪業が故に


行かなきゃ為らない場所が


また一つ、追加された☝️



あ〜腹が立つ😤、を解釈すると


丹田に宿る龍魂が怒り立っている🐲💢



主権存続の為に仕掛けた


日向族の呪い縛り


末裔らに口寄せで悪知恵を吹き込み


此れまで散々騙し通して来た


天狗さん達も然る事乍ら

※👺=元修験者の霊体


霞ヶ浦と名付けられた御方は


其の者達よりも遥かに上👆の高い次元から


凡ゆる全ての経緯を


一切干渉することなく

※あ〜しろこ〜しろと口出ししちゃうと自分で物事を考えなくなるし、夲神と偽神が観極められなきゃ其れは全く意味を為さない=気づかない内(知らない間)に邪道を歩んで仕舞っていた、なんてことは何処ででも普通に起こり得る話、あの世とこの世は善心と邪心が複雑に絡み合いながら同時に進んで行っているのだから


只黙って物静かにじ〜っと

※他力本願の日向族は、何事を行うにしても直ぐ霊媒師の口寄せに頼るから、今の列島は鬼ヶ島状態まで落ちぶれて仕舞っている


御覧になって居られるのですよ👀




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