自然と向き合う重要性 | 叢雲九頭龍

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読んで頂ける皆さんと共に、自然の恵みや人とのご縁に感謝出来るブログを、書いて行きたいと思います。
載せる内容は、個人的見解ですのでご理解下さい。



👆どうしてこんなことが


繰り返し起きて仕舞うのか?




『 球磨川の上流 』


👆は数年前に氾濫が起こった後


其の原因を探ろうと訪れた場所なんだけど


どうして此処を選んだのか?



近くに宗教施設が在ったからなのです



自分は神仏で金儲けはしない方が善いと


以前からブログにて書いて居りますが


其れは何故かと言うと


神社であってもお寺であっても


どっちもどっちなのですが


神仏とは肉眼で観え辛いもの


信仰者はお金を支払い手を合わたことで


妙な勘違いの納得をして仕舞い


夲来、自分達が向き合うべき


自然神や仏心に氣づけなくなる、ことも然り


神職さんや住職さんは其のことを伏せ


寺社仏閣で待ってさえいれば


次から次へとお金が羽根を生やして


舞い込んでくるもんだから


天狗のようにどんどんと鼻が伸びてゆき👺

※高々5分か10分程度、祝詞やお経を唱えてるだけなのに参拝者が頭を垂れるもんだから偉くなったと勘違いをしている


仕舞いには底なしの邪鬼になるだろうし

※金の無心に走る盲滅法=金の亡者=真理とは真逆の方ばかりへ意識を向けているから参拝者は何にも学べない


そんな無法者者が管理している建造物は


ちゃんと邪気祓いされて無いだろうから


其処は必然的に欲塗れの伏魔殿となり


何の対処もしなければ


人工豪雨であれ

※自然神は流域の邪気が綺麗に祓い流せるなら其れが例え悪党の仕業でも黙ってやらせておく


自然現象であれ

※人間が澱ませてる流域を誰も祓いに来ぬのならいよいよ動くぞ、人間が起こしてる人工のそんな比では済まぬぞ、よいな氣づけておく


結果的に何方であっても


水の力で祓い流される


地震や噴火も同義



ねっ、川沿いの神社やお寺で


金儲けなんか止めた方が善いでしょ


特に川の上流(山)では



水に流されるのを只じ〜っと


何も行動を起こさず


震えながら待ってるだけなのですか?



高天原から聖水を汲んできて


御神酒も携え上流まで足を運び


川の守護神とお友達に成りませんか?


実行出来る人が後の御祭神と呼ばれる



龍宮には八股大蛇討伐という

※八股=神仏を金儲けに悪用している高山(大きな)短山(小さな)の宗教組織、大蛇=大邪=強欲な無法者達、討伐=戒めよ


『 災いを鎮めたいのであるならば 』


『 上流から聖水と御神酒を注ぎ入れよ 』


と創始者である素盞鳴命が言われた


邪気祓い神事の伝承が遺っている



今回は


災いの発生源と


鎮め方のお話でした




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