【2009年3月の記事を再掲】




「 供養 」とは「 人 」が「 共 」に「 養 」うと書きますね。


供養というと仏事の追善供養をつい思い浮かべてしまいますが、本来は生きている人間同士がお互いに思いやって成長していくことだそうです。


その願いが叶うようにと、人間は仏(如来)や菩薩や天部の神などにお供え物をして祈ったのでしょうかね...



願以此功徳
普及於一切
我等与衆生
皆共成仏道


「願わくば この功徳をもって 遍く一切に及ぼし 我らと衆生と 皆 共に仏道を成ぜん」


法華経に出てくる廻向文です。


今この言葉を感じたままに書くと、、、

仏道とは死んで成仏することでなく、生きた人間として人を尊び、命を貴び、心を貴び、そして自分を尊べるような人間に成長する道のことだろうと思います。


自分のことだけしか考えない人間のことを「我利我利」な人間といいます。

ガリガリ盲者の我利我利ですね。

そういう精神状態の人は、何か自分に不都合が起きたら「相手が悪いから自分はこうなった」と考えるでしょう。


因果応報と言いますが、「相手も悪いかもしれないが、自分も悪いからこうなった」のであり「自分が悪いから相手がこうなった」のかもしれません。



怒り狂い、人を怨み、そして自分の不遇を嘆くことから自分を省みることに少し立ち返れれば、意外に世界は明るく広がっているのかもしれません。



感謝♪感謝♪



のうまく さんまんだ ぼだなん ばく



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