石段の大黒さん 2
前回、生駒山宝山寺で傾いた大黒さんを起こして差し上げた話を書きましたが、そのあと気がかりなことがありました。
右足の俵が崩れているので、いつかまた傾いてしまうだろうな...
木像だから、もっと朽ちて倒れるかもしれない...
そこで、崩れた俵を新しくつけて差し上げることにしました。
もしかして、罰当たりかもしれませんが...
と言っても、私は仏師でもなく工作の才能もないので、とても簡単な方法で俵を作りました。
檜の丸棒を適当な長さに切って、宝珠の絵を描いただけのものです。
般若心経と理趣経偈を唱えてから、大黒天真言を口にしながら、大黒さんをこれ以上壊さないように恐る恐る右足の下にセット。
何とかサイズも合ってうまくつけられたようです。
さて、大黒さんは喜んでくださるでしょうか...
もうずい分前になりますが、私が神仏に手を合わせるようになったきっかけは、どう考えても叶え難い願いを実現させたいがためでした。
ところが、案の定?いつまでたっても願いは現実にはなりませんでした。
当たり前ですね。
世の中、そんなに自分に都合よく動いてはくれません。
どんな願いだったかは内緒ですが、自分でも恐らく無理だと思うようなことです。
ドリームジャンボの一等に当たるようなものと思っていただければ、もし叶えば奇跡に近いようなことだとお分かりいただけると思います。
いつまでたっても叶わないので、いつしか諦めてしまってほとんど意識もしなくなっていたんですね。
でも、お寺参りや、家でお経を唱えることなどは、ずっと続けていました。
神仏に長いこと手を合わせていると、神様に何もして差し上げずに、自分の願いばっかり聞いてもらおうと思うことが、いかに図々しいことか自然にわかったからでしょうね。
人間同士でもそうですね。
相手に何もしてあげないのに、頼んでばかりでは相手もうんざりでしょう。
どんな供養をしたら神様は喜んでくださるのか知りたい。
ご利益が欲しいからではなく、本当に喜んでもらいたいから勉強して供養しよう。
そんな気持ちになれたとき、知らぬ間にあの叶え難い願いの半分が叶っていました。
嘘みたいですが...
自利利他、利他自利なんて言いますが、我利我利な気持ちを削って、人に幸せを感じさせられるような、大黒さんのような笑顔ができるようになったとき、自分も周りの人も幸せになれるのでしょう。
きっと...
おん ぼだろしゃに そわか
感謝♪感謝♪
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