【2010年2月の記事を再掲】



ある読者から「お寺や歴史上の高僧の話をしたら、"宗教だー!"と言われて嫌な思いをしたことがある」とのメールをいただきました。

そのことについて、ちょっと私見を書いてみます。



誹謗中傷する気はないですが、特に新興宗教団体(いまは新宗教と呼ばれている)などは、外部から見ると変な思想に凝り固まったように感じられるところもあって、あまりいいイメージを持たない人も多いでしょうね。

かつてのオーム真理教のように、神の名をかたって人を不幸にする悪魔もいたりしてイメージを悪くしてます。


また、仏教というと日本ではイメージ的に葬式と結びつきますが、葬式は仏教に後からくっついたものです。

それも日本だけの特殊な形で出来上がったイメージです。


中国、タイ、チベット等、他の仏教が盛んな国では、坊さんは葬式に出てお経を読んだりすることが当たり前ではないそうです。


日本には、江戸時代の寺請制度なんていうキリシタンに対する思想弾圧政策があったために、「葬式=坊主=お寺=檀家=菩提寺=仏教」なんていう図式が出来上がり、葬式は坊さんとお寺と仏教の専売特許みたいになってしまいました。


ちなみに、神道の葬式もありますし、仏教の結婚式もありますね。


日本の文化は仏教抜きには成立しえなかったものです。

というより、世界中の文化は宗教なしには成立し得なかったし、現在も宗教抜きには成り立たないのです。


「嘘も方便」「因果応報」「馬の耳に念仏」「有頂天になる」「殊勝になる」・・・・・など、私たちが普段何気なく使っている多くの言葉やことわざや習慣も仏教との関係から生まれたものです。



宗教の本来的な意味は、神仏を信じて心の安らぎを得たり、より良い生き方を見つけることだと思います。


きっと、「宗教だー!」とかいう人は、宗教の意味をはき違えているか理解していないのでしょうし、自分が宗教文化の中で生活していることを知らないのかもしれません。


言われたほうは自分がまるで少数派の異端児のような気になりますが、そういう発言をする人の方が実は少数派だったりします。




弘法大師 空海 40歳代の御姿
対面していると溢れる慈愛に心打たれます
史料に忠実なお顔と姿だそうです
奈良県 生駒山 宝山寺
(特別に許可をいただいて撮影しています)




私は弘法大師空海を敬愛しています。

日本で空海ほど庶民に愛され続けている人物は他にいないでしょうね。

「フーテンの寅さん」や「ドラえもん」以上です。


歴史上の空海は真言密教の大成者であって、語学・文芸・書・土木・教育など多方面に類まれな才能を発揮した日本史上最大の天才です。


宗教的には、空海は死んだのではなく高野山奥の院に入定したことから、奥の院を浄土とみなして空海を弥勒菩薩の化身とする信仰が生まれました。

そして全国各地に膨大な数の奇跡の伝説を残し、56億7000万年後に衆生を救うため、今も高野山で永遠の禅定を続けている伝説の人です。


その二つの顔が多くの人々に尊敬され愛されている空海の素顔です。

そして、現実に今も多くの人々の心を救い続けています。


「虚空尽き 衆生尽き 涅槃尽きなば我が願いも尽きん」という空海の有名な願文がありますが、「全ての人を救うんだ!」という空海の無量無辺の優しさがこもった言葉です。


そんな空海の人間性を、私は敬愛して止まないのです。。。


南無大師遍照金剛



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