12月31日(土)
コロナでなければ
あれもできたのに
これもできたのに
でも
今、共にあること
これまで
気持ちを寄せらてこられたこと
その大切さを
ひしひしと感じています。
コロナ禍で
高齢者施設の面会も制限付き。
それが
母の具合が悪くなり
特例的に制限解除
いつでも会いに行けるようになり
看取りの態勢のままの
年越しとなります。
一進一退
一喜一憂
辛く緊張を伴いつつも
施設のすべてのスタッフさんが
それはそれはお優しく
一生懸命対応くださり
多くの方々に見守られながら
一瞬一瞬が
とてつもなく
ありがたい日々です。
経過
* 12月初め 一瞬の意識消失
* 医療面談(往診の先生・医療スタッフ・施設担当者の方々との母の状態・延命措置対応[点滴・人工呼吸・心臓マッサージ・胃瘻など]について話し合い・全て行わないことにする)
* 体調悪化(食欲減退・嘔吐・悪寒・微熱・呼吸困難)のために酸素吸引措置について夜間に連絡あり(状態落ち着き様子見)
* 予約制・場所制限付きの面会から、いつでも居室での面会が可能になる(ビニールエプロン・手袋着用・消毒など厳重)
* 呼吸困難のため酸素マスク適用について夜間に連絡あり
* 酸素吸入 3.5ℓ/分前後で調整 (最高値5.0ℓ)
* 食事は流動食・ポカリスエットのゼリーなど
* 血流が悪く指先が赤紫に変色
心不全・コロナ陽性重症を経た
96歳
フロアの最年長の母
「延命」
について口にすること自体
辛いものがありましたが
弟や主人とも
同じ意見で
あくまでも
母らしくと
無理な延命は
しないことにしました。
25日の面会を最後に
車椅子での会話はできなくなり
今はベッドの上
今日は意識が遠のいたり
眠ったり
流動食の年越しそばを
美味しいねと話したり。
昨日までは
意識はしっかりとして
今まで通りの会話に大笑いしたり
母の日本画作品を皆で鑑賞したり
百人一首も朗々と
歌を聴いたり
一緒に歌ったり
主人が編集した
懐かしビデオ上映を視聴
娘の1歳の誕生会
実家でのお正月
私の留学時代の友人を皆で訪問
名古屋での両家・弟夫妻とのお正月
PCをパタンと
叩いたり
「覚えてる!」
「よかったね!」などと反応
京都や名古屋から駆けつけた
弟や姪(孫)
私の幼馴染とも
しっかり話せました。
今年は
96歳で母と同い年の
エリザベス女王も
母よりも10歳年下の
私の大学の恩師も
凛として一生を終え
先月には
父方の叔父が94歳で亡くなったとの
訃報が届きました。
従妹が叔母の介護などで
実家に戻っているそうです。
いつかは
誰もが迎える最期
そして今日
母の口元に流動食を運びながら
父の最期となった
誤飲性肺炎の危険性も思い出し
日々
命と向き合いながら
細やかな介護と
「まだまだ」
「年を越せますね」
「意識がしっかりして大丈夫」
いつも
明るくお声掛けくださる
スタッフのみなさんに
深い感謝の気持ちで
いっぱいです。
家に戻ると
母の描いた猫の絵のそばに
わがやのお紺
いつ何が
どのように急変するかも
わかりませんが
いつもより早い時間に
私の足元に入ってきてくれた
猫のお紺とともに
すべてを委ねて
2022年を見送りたいと
思います。