丸ごと受け容れる | Maki Murakami Official Blog

5月28日(土) 太陽☀



ゴンザレス 現職の大統領として初めての広島訪問の実現。


大きな新たな一歩となっても


どんなに関係者が慎重に準備をしても


必ず、批判や、さらなる要求がつきものですが、


それはさておき、


一つの行為として


それに至るまでの長く困難な過程を含め


純粋に


真摯に受けとめるということも


大変重要であると感じました。




ゴンザレス サミットそっちのけでBBCでもCNNでも


オバマ大統領の広島訪問を伝え


大統領とハグをした被爆者のお一人が


舞い上がるような思いであったと


語ったとき、テレビを前に、娘と


(えらそうに・・・)


よかったよかったと大きくうなずきました。





ゴンザレス 山積する問題があったとしても


まず、相手の立場も、


相手が背負うすべてをも


丸ごと受けとめて、受け容れる。


そのこと自体に感謝や


よかったという言葉をかけていいように思います。






ゴンザレス 現在、上智大学グリーフケア研究所の


グリーフケア人材養成講座に通っております。


医療系の方が多いものの


多様なバックグラウンドをお持ちで


皆、今の学びをそれぞれの現場に活かそうと


本当に真摯に、真剣に授業に臨んでいます。


大学の一般の授業ではありえない


前から席が埋まり


直前に到着すると座る場所にも困ります。





ゴンザレス 受講生同士の会話のなかで


自分の経験したことのないような


大きな悲嘆を抱えている人を前にして


果たしてその方に寄り添うことができるだろうか


などという不安をシェアすることもあります。


講師からは、


できるだけ多くの方の話を聞いたり


宗教、哲学など、人類が長い時間をかけて


考え、問い続けてきた軌跡をたどることも


非常に意義深いものであるとの示唆を受けています。





ゴンザレス 先週は、授業とは別に


グリーフケア公開講座で


映画「おくりびと」の原案となった


「納棺夫日記」の著者である


青木新門氏の講演をお聞きしました。




ゴンザレス 私が受けた大きなメッセージが二つ。


1つは、


人は、自分を丸ごと受け容れてもらえれば


丸ごと認めてもらえれば


変わることができる、


心が、行動が変わることができるということ。





ゴンザレス 青木氏ご自身が


作家を志望しながら大学中退や事業失敗後


冠婚葬祭の仕事に携わっていたときのこと。


初恋の人の家で彼女の父の葬儀に呼ばれ


赴くと、彼女の姿はなく


納棺夫として湯灌を行っていると、


汗が額から流れ、ご遺体に落ちてはいけないと


思った時、横から汗をぬぐってくれたのが彼女。


そのあと、ずっと自分に寄り添っていてくれた。




ゴンザレス それまで、納棺夫だから


汚い服をきて、低く見くびられるままに


仕事をしていたのが、


彼女に


そのままの、丸ごとの自分を


受け容れてもらったということで


自分の生き方が変わったと言います。






ゴンザレス 次の日には、綺麗な白衣を買いに行き、


それからは


言葉使い、マナー、すべてに注意し


仕事に臨んだと言います。





ゴンザレス すると、呼ばれた先に


座布団、お茶が用意され、


納棺夫としての仕事を見ていた


「生きている方の」おばあさんから


(青木氏の講演を通して


本当にユーモアにあふれていました)


「先生様、私の時もよろしくお願いします」


と言われたそうです。






ゴンザレス 私たちは


受け容れられること


認められることにより生かされ


それゆえ


もっともっと


人を丸ごと受け容れ


その方の存在自体を


認めていかなければならないのに


なかなかそれができないでることを


実感することが日常の中に


確かにたくさんあります。





ゴンザレス 青木氏は原作者として映画に名を残すことを


拒まれたそうですが


それは、製作者側との間に


死生観、宗教観などの違いが


あったからだそうです。






ゴンザレス 1つの例が、映画のエンディング。


主人公の、幼いころに別れた父親の死が伝えられ


ぞんざいな葬儀屋に代わって


納棺師として父を「送り出す」時のシーン。


父親の硬直した手に握られた石を見つける。


それが石文として父と主人公をつなげるのですが


青木氏は、死して硬直した手に握られた石ではいけない、


生と死の重なる瞬間を描かなければならないと


主張しておいででした。





ゴンザレス その必然性を表す、重要な対比を示されました。


1997年に神戸で起きた児童連続殺傷事件。


文芸春秋に発表された供述調書には


酒鬼薔薇聖斗を名乗る少年Aが


何故殺人をしたかを聞かれ


大好きな祖母が亡くなり、死が祖母を奪った。


それを理解しようと、虫や生き物、猫も殺したが


わからなかった。


人間を殺さないとわからないと思った。


と述べたのだそうです。




ゴンザレス その少年Aと同い年のある14歳の児童が


祖父の臨終に立ち会い3日間を過ごしたそうです。


その後の作文にちりばめられた言葉は、


祖父の「おおらかな笑顔」


「自分を見守ってくれる笑顔」


臨終の場にいて


「人の命の尊さを教えてくれた」




ゴンザレス この違いを


青木氏は私たちに問いかけました。


生と死を交錯する


臨終の場にいあわせたかどうかであると


きっぱりと話されました。




ゴンザレス 遺体とは、すでに物体であり


そうではなく


生と死のまじわる一瞬には


あらゆるものが


輝いて見えるというのです。




ゴンザレス 本木雅弘氏と青木氏のそもそもの接点は


本木氏がインド、ベナレスで撮影した写真集を


出したいが、青木氏の文章を引用させてほしい


と青木氏に連絡してきたことにあったといいます。


のちに「天空静座ーHill Heaven」という


写真集として出版されたものだそうです。




ゴンザレス ベナレスとは、ヒンドゥー教の聖地


ガンジス川には年間1000万人の巡礼者が


訪れると言います。


常に火葬がその場で行われ


常に煙がのぼってい地だそうです。




ゴンザレス ガンジス川に向かって


沙羅双樹の葉に火をつけて流す送り火の儀式をする


本木氏の写真に引用した文章が


青木氏の実体験に基づく言葉。




ゴンザレス 納棺夫としてある変死体に直面し、


蛆が内臓を食べつくし肋骨が


むき出しになっていたときのこと。


親族の方が到着するというので


せめて蛆を掃き出そうとしたところ


「一匹一匹鮮明に見える・・・


蛆も命・・・蛆たちが光って見えた」





ゴンザレス 体験したままを綴った言葉を、


「納棺夫日記」を偶然持っていた


青木氏と同郷の富山出身の


写真家の方に借りて


本木氏が青木氏に連絡してきたといいます。





ゴンザレス 生と死の交錯する瞬間を


体験すること。


今では本当に限られていますが


意識して


心に留めておかなければなりません。


これが青木氏からのメッセージの


2つめでした。




ゴンザレス グリーフケア、ターミナルケアを


長年続けておいでのシスターは


死に直面した人たちに共通する態度について


以下のように語っておいでです。


男性は、必ず自慢話。


それをそのまま受け容れてお聞きすると


愚痴に変わっていく。


女性は、とにかく愚痴を語る。


家族や近親者のケアでは


特に大変で心が疲れてしまうことも


あると思います。





ゴンザレス どちらの場合でも


そのままに


受け容れられた、認められたと感じると


周りの方へ


「ありがとう」や「ごめんなさい」を


伝えることができるようになるといいます。




ゴンザレス どんなに大変な仕事でも


お客さんからのありがとうがあるから


患者さんが元気になられるから


相手の方が喜ばれるから


周りから元気をもらって続けられる


という人も多いと思います。




ゴンザレス 相手からのリアクションがあり


相手が自分を受け容れてくれる


認めてくれることが


それ自体が自分の存在意義になり


それを実感できることで


私たちは生きていくことができるように思います。




ゴンザレス その気持ちは


自分が死に直面したり


大切な人を亡くしたり


病気や、社会でのつらいことに出会ったり


悲嘆にくれるとき


より凝縮された気持ちとして


「認めてほしい」


「何故認めてくれないの」


「私はこんなにしてるのに」


「あなたは何もしていない」


そんな自慢や愚痴や非難の連鎖になあってしまうのでは


ないでしょうか。





ゴンザレス 私も日々


愚痴をこぼしたり


他人を非難したり


頑張っている自分を


ほめてもらいたかったり


認めてもらいたかったりすることが


たくさんたくさんあります。






ゴンザレス そんなときには


むずかしくても、


ちょっと視点を変えて


自分が周りの人を


丸ごと受け容れてみようとしたり


少しでも自分を受け容れてくれた人や


ものごとに


感謝したり


自分が悪かったこに


ごめんなさいと言えるように


そんな努力をしていこうと


背中を押していただいた


そんな講演でした。





ゴンザレス そして


何かを批判したり批評しすぎる自分に


なりそうなとき


それは


自分が現場から遠くにいる


ということの証であると認識し


少しでも


現場の近くで


現場の視点で


行動できるように


ありたいと強く思います。



クロネコちゃん