東洋文庫 解体新書展 | Maki Murakami Official Blog

1月31日(日)キラキラ




モザイクタイル 駒込の東洋文庫(ミュージーアム)


に初めて出かけてまいりましたハート


国立国会図書館の支部なのだそうです。


http://www.toyo-bunko.or.jp/museum/museum_index.php





モザイクタイル 目的は


娘の希望で「解体新書」の現代訳をなさった


順天堂大学名誉教授


酒井シヅ先生のミュージーアム講演会


「『解体新書』その魅力と注目すべきこと」


に参加するため。





モザイクタイル 娘が事前申し込みをし、


私も彼女の本を借りて予習。


「頭は円形で、全身の上にある


精神作用の中心となる場所である。」


「頭の所蔵するものは、脳と意識である。」


という


意識、精神の概念が西洋にはすでにあり、


その中心が頭という認識にふれていることに


驚かされました。


杉田玄白らはどう感じたのでしょうか。







モザイクタイル 東洋文庫は


六義園を右手に本郷通りを進みます。


六義園にも「解体新書展」の案内表示が


ありました。






モザイクタイル 東洋美術館の外壁は


干菓子の型のような


綺麗な東洋の押文様。





モザイクタイル 早めに到着いたしましたので


東洋文庫敷地内の


小岩井農場からの恵みを中心とした


レストラン「オリエント・カフェ」でランチ。


「小岩井」の由来はこちら。


http://www.koiwai.co.jp/story/index.html


明治政府の鉄道庁長官 井上勝が


岩手山南麓の荒地に大農場を拓という夢を抱き


この夢を岩崎弥太郎のもとで三菱を支えていた


小野義眞に打ち明け、小野は


三菱の弥太郎の実弟、第二代社長岩崎弥之助と


井上を引き合わせ、農場開発が実現。


三人の名字をとって「小岩井」となった


そうです。





モザイクタイル 窓際の席から、テラス席、芝生を臨み


写真以上に開放的で


ガーデンパーティや屋外の催しにも、


ただ一人一日過ごしても素敵な空間。






モザイクタイル レストランは予約のグループや

ひとり、二人、少人数の集まりで


ひっきりなしに


人が入ってきていましたが


とてもゆったり。


ちょうど、ピアノのすぐ横の席でした。


ピアノサロンなども開かれるのでしょうか。


角ばったデザインでしたが


どちら製のピアノか興味津津!!











タイル 1階展示室。


開放的で、フラッシュ撮影以外は


動画も写真撮影もOK








モザイクタイル 階段の下にある書物を


展示室の椅子に腰かけて自由に


閲覧することもできます。


まさに知の宝庫。


あれもこれもだめ


ではなく、私たちの学びを


全面的にサポート、奨励してくれる場所です。


自宅にもとりいれたい発想です。




モザイクタイル こちらの2階で講演会が開かれました。


シヅ先生に魅かれて集った


知的好奇心にあふれる参加者で満席。


「解体新書」や「蘭学事始」はもちろん


医療や医学に携わる方々、興味をもつ方々


であふれていました。



モザイクタイル  講演後の質疑応答の際に先生は、


医史学(医学史ではなく)は、


医学の本質を歴史的にみる学問。


ものをよく観る、考える時に


歴史を知りたくなる。


医学の分野では、貴重な史書が


読みやすい形で提供されていない現実があることを


言及されました。





モザイクタイル 他分野でもそうですし、


人との関係でも、何故ひとはこう考えるのか


どう生きてきて、何にどう影響をうけたのか


そんなことを立ち止まって考えることを


日々忘れているように思います。


実践、実利、効果などに重きがおかれ


本質を失いやすい現代への警鐘ともいえます。





タイル 医の歴史は初めて知る世界。


   正確ではないかもしれませんがメモを


   とってみました。


* 701年大宝律令のなかの「医疾令」により

  

  日本で初めて官医に医学教育がおこなわれる。


* 鎌倉時代「頓医抄」に五臓六腑図がみられる。


  臓(肝、心、肺、脾、腎)に対して


  腑(胆、小腸、膀胱、胃、大腸、三焦)とは、


  中が空洞のもの。


  (三焦とは、働きだけあって形のないもの:リンパ管)


* 「明堂仰伏図」 十四経路図


   神経系は気を運ぶと解釈されていた。


*  人体解剖図(男女)元禄のころと思われる。


   女性は心臓が右、男性は左


   というように、対称に臓器が描かれていた。


*  17世紀にオランダから送られた特使のなかの


   ガスパルが日本人に医学を教えた。


   (ガスパル流興隆)そのうち通詞が医師になる。


*  日本司書の翻訳解剖書「レメリン解剖書」


    通詞 本木左太夫 (あまり普及しなかった)


*  日本で最初の人体解剖 山脇東洋「蔵志」(1759年)


    死刑囚の腑分け(解剖)に立ち会う。(1754年)


*  各地で解剖が始まる。


    「解剖存真図」(1819年)


    淀藩藩医・南小柿寧一(みなみがきやすかず)


    40体余りの解剖に基づく。




タイル  いよいよターヘルアナトミア翻訳の史実へ。



*  そのきっかけは、


   「蘭学事始」に詳しく、また


    酒井シヅ先生のご著書


    「新装版解体新書 全現代語訳」(講談社学術文庫)


    解説「解体新書」の時代(小川鼎三)


    にもまとめられています。



*  前野良沢が100日の長崎留学を終えた翌年


    1771年3月4日 有名(らしい)


    小塚原腑分が江戸の北郊で行われる。


*  杉田玄白は役人からの呼びかけで参加。


   同藩の中川淳庵、中津藩 前野良沢に急いで知らせた。


*  当日、3人は小塚原の刑場に集結。  


   偶然、「ターヘルアナトミア」を良沢、玄白が持参。


*  50代女性の刑死体解剖と「ターヘルアナトミア」の


   所見があまりによく一致することに感嘆。  


   翻訳の必要性を感じ、

 

   次の日から、築地の良沢の家で翻訳にとりかかる。



モザイクタイル 







まだまだ解体新書翻訳の物語は続きますが、

4000字の文字制限を超えてしまうので

また次回に。

知のインスピレーションを得られる

自分のお気に入りの場所や機会をもてることは

本当にありがたいことです。

むう