日本美術解剖学会・大会 娘の代理で | Maki Murakami Official Blog

1月13日(月・祝)晴れ



赤一色 成人の日。


昨年の雪に比べれば快晴でしたが


やはり寒さが厳しかったですね。


振袖姿の方々を街でちらほらと


お見かけいたしました。




赤一色 娘が成人したおととしは


赤地の細かな柄行の振袖、


髪型も洋風パーティ風の華やかな


カール入りが主流でしたようですが


今年は、少し古典柄、着物と帯の調和という


古典風への回帰が感じられました。


成人式をお迎えのみなさま、ご家族の皆さま


おめでとうございました。



赤一色 今週末、土曜日には


上野は東京藝術大学の美術棟で開催された


日本美術解剖学会・大会に参加いたしました。


http://www.geidai.ac.jp/labs/artistic-anatomy/about1htm.htm/about4.html




赤一色 きっかけは


日本画専攻で解剖学に非常に関心を持っている娘の


代理・・・


ということでしたが、大会の発表をお聴きするためには


私自身が会員にならなければならない


とのことで


その場で会員になりました。


結局、懇親会まで十分楽しませていただくことに


なりました。



赤一色 その魅力の源泉はいくつかありましたが


ひとつには、登壇者の先生方のご専門の多様性。


私は午後の発表だけをお聴きいたしましたが


古生物学、解剖学、美術解剖学、


そして藝大で体育を教えておいでの先生の


剣道。



赤一色  今まで他の学会も参加したことがありますが


発表の目次を拝見するに


あまりに多岐、小分類にわたるため


一般参加者にわかりにくかったり


全体としての方向性がみえない


というように素人の聴衆にとっては「不満」残りました。



赤一色 この点は、大学のシラバス、カリキュラムにもいえることですが


大学教授の専門を趣味のように並べるのではなく


学ぶ者をどう育てるか、何を伝えたいか


という主催する側の思いや企画力、運営システムが


問われる点でもあります。


もちろん、最近ではこの点もかなり改善されている


大学も多くあります。



赤一色 おとといの学会の話しに戻りますと、


解剖なんて全くわからないのでは


という私や


あとで懇親会の際に聞こえた


私のような単独での初めての参加者の不安をよそに


「”手 vs ”足”」


というテーマのもとに非常にわかりやすく


もちろん、専門用語も飛び交いましたが


それでも大変興味深い学び、刺激の場に


なりました。



赤一色 生物の進化、実際の解剖の現場からの視点


レオナルド・ダ・ヴィンチとミケランジェロの


手足の描き方の比較、剣道における


手足の使い方、それぞれの重要性や


意味合いなどと多様性と統一感を


同時に満足させるものでした。



赤一色 解剖学的にも美術の視点からも


足にくらべ、手は非常に饒舌である


といえるようですが


ミケランジェロのシスティーナ礼拝堂の


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%82%B9%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%8A%E7%A4%BC%E6%8B%9D%E5%A0%82


「最後の審判」には


たくさんの綿密な観察による足の描写がみられるとのご説明。



赤一色 相対して、ダヴィンチの 「最後の晩餐」


では、手の細やかな描写に対し


足にはそこまで細かい描写がみられない。


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%80%E5%BE%8C%E3%81%AE%E6%99%A9%E9%A4%90_(%E3%83%AC%E3%82%AA%E3%83%8A%E3%83%AB%E3%83%89 )



赤一色 確かにそうですが


個人的には、ミケランジェロの場合


手も足もすべて


綿密に描かれすぎて


「間」「呼吸」「遊び」といったような


表現の余白のようなものがほしくもなります。



赤一色 逆に、ダヴィンチの「最後の晩餐」の


晩餐のテーブルの上で暗示されるすべてをひきたてるために


テーブルの下の足の描写を控えめにしているようにも


思えます。



赤一色 ダヴィンチの「聖アンナと聖母子」では


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%81%96%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%8A%E3%81%A8%E8%81%96%E6%AF%8D%E5%AD%90


さりげないようでいて


聖母子の左足は


非常に魅力的にも見えます。



赤一色 実際に描くときには


足よりも断然 手の方が難しいという


議論もありましたが


これからの絵画鑑賞において


手足の描写のバランスは


私にとって、大きな見どころとなりそうです。



赤一色 剣道では、かならず、足で一歩を踏まなければ


一本はありえないそうですが


しかし、最終的には足と調和した手のやわらかな動きが


必要になるのだそうです。


そして、目は、見えないものを見なければならない。


などという教えもあり


芸術専攻の学生さんにとっては


非常に含蓄のある体育の授業だそうです。



赤一色 古生物学の先生からは


生物に無駄なものはない。


という観点から、魚の


胸鰭(ひれ)、腹鰭、尾鰭の進化


あるいは退化についてのご説明もありました。


(先生によると退化の進化論という概念)


生物はその個体の重心から一番遠いところで


バランスをとる。


各、1対の胸鰭、1対またはそれ以上の腹鰭に対し


尾鰭が1つというバランスに納得がいきました。



赤一色 その先生の墨による魚の絵の


パワーポイントが非常に新鮮でしたが


他の先生方も


肉筆のパワポ文字で


何か「退化の進化」のような逆説的な


表現が魅力的でした。



赤一色 このように興味深い発表が続きましたが、


懇親会の参加はどうしようかしらと


内心迷っておりました。




赤一色 懇親会にいざなってくれたのが


学会会長の先生の閉会の一言。


この学会を、分野を超えた交流、


討議の場としてください。


学会の時だけでなく、常にディスカッションできるように


していきたい。。。


というような、誰もがウェルカム


という雰囲気をお伝えくださったことによります。



赤一色 懇親会の会場でもある


芸大の音楽棟まで歩いた


とても古風なロッジのようなレンガの館(?)の


居心地のよい雰囲気もあいまって


大盛況のまま


発表者の先生方をあちらこちらで囲みながらも


美術、医学、その他の分野の参加者の


交流が非常に活発に行われました。



赤一色 企業では、異業種間交流はもう当たり前ですが


学びの分野で


もっと学際的にならなければならない、


それを望んでいる人があまりにも多いのに


なかなか制度がついていかない。


アメリカのように少なくとも主専攻、副専攻は必要である


と痛感いたします。



赤一色 大学入学を控えた高校生にとっても


いずれ、このような学際的な場に参加し


自分の学びたい分野に関わる「周辺」の分野を


知ることは非常に重要であることでしょう。



赤一色 また、アーティストの集まりに特有でもありますが


すべての人が


何かを生み出す側にいる


ということも重要な点だと思います。


それぞれの分野でみな


プレイヤーであり


手に職をもち


事業を興したり、プロジェクトに加わる


という行動する人たちを


集め、結びつけたという点でも


今回の学会の役割は大きかったのでは


ないでしょうか。



赤一色 誰かに何かをしてもらおうとか


自分のもらえるものをもらうだけ


というのではなく


学んだもの、得られた知識、技術や示唆を


自分の表現に変えていく


自分なりの社会との関わり方に使っていく


という発信に結び付けることが


自分の生活になっている人たち。



赤一色 自分自身も、


教育の場においても


高齢者福祉という観点においても


常に


タスクが必要と思っております。


そのタスクにむかうタスクフォースとしての


学び、活動であれば


自分が吸収したことをかならず


自分なりに咀嚼して


周囲や社会に還元、感化していくようになる。



赤一色 自分がいつも慣れ親しんでいる分野を


飛び出して


異なる分野に関わってみる


ということにより


今まで眠っていた


自分の細胞が活性化し始めているように思います。


今年は


もっともっと細胞を活性化させようと思います。



赤一色 成人のみなさんも


新たな


細胞の活性化を実感できるような


そんな環境を


世代を超えてつくってまいりたいと思います。