1年前の後期流産の入院時の話① | 子ども3人育児や仕事や日々の事

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出産を機に記録を残したいと思い始めました。
2014年7月に息子誕生、
2019年1月に娘誕生、
その後、初期流産、後期流産、
2022年5月に娘誕生。

こんにちは。
産後の経過はまだ産後1ヶ月健診前でどうかはわかりませんが、自覚としては問題なさそうです。
赤ちゃんは先日健診があって問題なしでした。良かった。


さて、去年の6月に後期流産しましたが、その時の記録まだ書いてなかったんですよね。
やっぱりなかなか精神的に堪えててなかなか書けずでした。
夫は今でもよく泣いています。
私は滅多に泣かないかな。うるっとくる時はたまにあるけど。
染色体異常でも15週までよく育ってくれたなぁと言う気持ちが大きいわ。


さて、前回どこまで書いたんだっけ?
14週で異常が発見されて、大きな病院へ。
羊水検査勧められると思いきや、そこまで持たない可能性を告げられ、とりあえず1週間後に再診となりました。
翌週は夫も同席して受診したけど、すでに心拍停止…子宮内胎児死亡。この時妊娠15週の終わり。
翌週始めに後期流産のため入院へ。
とここまでが前回のあらすじでした。


入院はコロナ禍でしたので病院までは夫付き添いで、入院手続きからは一人で。
慌てて通販した小さい紙製の棺桶(で表現いいのかな?)持参して。
着せる肌着は作ろうかと思ったけど、小さすぎて着せられないみたいだったし、小さなハンドタオルをおくるみ代わりに荷物に入れました。
あとは一緒に折り紙のメダルを入れようと考え、折り紙も。
入院着はレンタルしました。
タオルとか歯ブラシとか一色セットになっていました。
一応出産と一緒の手順なので、マタニティ用の入院着で申し込みしました。


病棟は考慮されて、産科ではなく婦人科病院に入院になりました。
大部屋でしたが、同室者は1人だけで、翌日には退院されて、大部屋なのに一人…ラッキーでした。
(個室は空いてなかったけど、個室希望して個室だったら追加料金かかるもんね)


だけど、処置は産科病棟に移動でした。
赤ちゃんの声が聞こえたり、妊婦さんを見たりでしたが、大学病院で事情のある患者が多いと思うと全然気にならずでした。


1日目は処置室で例の子宮口を広げるラミナリアを入れて、2日目に分娩(でいいのかな?)、3日目に1日早めて退院の流れでした。


1日目のラミナリアは、思ったより痛くありませんでした。
痛いって噂聞いてたからちょっと構えていましたが。
最初に子宮の入り口を掴む?時が痛かったです。
でも身体の痛みより悲しみで泣けてしまい、泣いてたら、看護師さんかな助産師さんかな?が足をさすってくれてました。
途中でラミナリアのMサイズがなくなったようで、Sサイズに切り替えてSサイズを多めに入れることにしたような会話が聞こえて「え?」と不安になりましたが…。
医師の会話から8本くらい入れたみたいでした。ぎょえ〜。


で、無事に入れ終え、夜間に痛みが強くなったら嫌だなと痛み止めをもらって寝ました。


入院中のトイレでは、万が一赤ちゃんが出て流されてしまったら大変なので、必ず容器に出して看護師さんを呼んで確認してもらうことになっていました。
でも産科病棟じゃないためか、毎回呼び出しボタン押して、事情を話して確認してもらうのは気が引けました。
我慢していたら、尿が600mL/回くらい出てびっくりしました。多くない?


と言う感じで1日目は終わりました。
音を立てずに泣いて過ごしましたが、夜は眠れました。
痛みも感じず、違和感くらいでした。
やっぱり赤ちゃんが死んじゃって悲しみに暮れていました。


長くなったので次回に続く。