仏教の善行! | 人生は美しい この世は美しい 人の命は甘美なものだ (釈迦)

人生は美しい この世は美しい 人の命は甘美なものだ (釈迦)

【捨ててこそ】 知恵をも愚痴をも捨、善悪の境界をも捨て、貴賎高下の道理もすて、地獄を恐れる心をもすて、極楽を願う心をもすて、又諸宗の悟をもすて、一切のことをすて、申 念仏こそ弥陀超世の本願に尢かなひ候へ (一遍上人)

私たち人間は、過去から未来に向かって歩み続けます。 昨日したこと、去年したことが、今の私たちの生活の土台になっています。 もし人間に、記憶というものがなかったら、この道理が分からないであろうが、人間である以上は、自分のしたことが忘れられません。 身体の傷は治るだろうが、心の傷は治らないのです。 自分で自分の心の傷をつけるようなことを、するものではありません。.


仏教に、「諸悪莫作=しょあくまくさ」、「衆善奉行=しゅうぜんぶぎょう」、「自浄其意=じじょうごい」、「是諸仏教=ぜしょぶっきょう」、という言葉があります。 「悪いことをせず、良いことを実行し、自分の心を清めるのが仏教の教えである」、という意味であります。 


唐の有名な詩人の白楽天(=はくらくてん)が道林(=どうりん)という坊さんに、「仏教とは何か?」と尋ねたら、道林はこの言葉を教えてくれました。 白楽天が、「そんなことは、三歳の子供でも知っている」 と言うと、道林は、「三歳の子供でも口ではいえるが、八十歳の老人でも実行はできない」と言いました。


難しい理屈よりも、何よりも悪いことをせずに善いことを行う、という簡単な実行が仏教なのです。 人に迷惑をかけ、自分でも後悔するのが悪であり、人に利益を与え、自分でも満足していくのが善であります。 人に害を加えて、その時は得をしたように思うかもしれないが、あとで必ず後悔するものです。 この簡単な道理が分かれば、自分も楽しいし、世の中も明るくなります。


しかし、実行となるとなかなか難しい。 これを人に教える、となると、なお難しい。 今の世の中は、道義が乱れているので、道徳教育をしなければいけない、という声を聞きます。 しかし、道徳は口で教えて分かるものではありません。


良寛さんの甥の身持ちが悪くて、意見に来てくれと頼まれたそうです。 良寛さんは、その家に三日泊まったが何もいわない。 いよいよ帰る日になって甥に、「わらじの紐を結んでくれ」 と頼んだそうです。 変だなと思いながら紐を結んでいると、胸元にポタリと落ちてきたものがある。 見上げると、良寛さんは目に涙をためて、じっと見つめていたのであった。 良寛さんは、黙って立ち去ったそうです。 甥は、心のそこから 揺り動かされたということです。


私は、自分の子供たちの、言うことなすことを通して、ハッとすることがあります。 いやな言葉遣いや動作、それはいつか、自分がやったことではないかと思います。 また、子供がやっているのを見て、ホッとすることもあります。口で言っても駄目、子供はその親のまねをします。 自分が出来もしないことを、子供にやらせるのはよくありません。


私たちはいま一度、自分の言動や行動が、子供に見られても恥ずかしくないかどうか、再確認しなくてはならないのではないでしょうか。





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