【外房の海に涼を求めて】 | 村の黒うさぎのブログ 

村の黒うさぎのブログ 

大自然の中で育って、都会の結婚生活へ。日常生活の中のイベント、出来事、雑感を、エッセイにしています。脚色はせず、ありのままに書き続けて来ました。

 

車窓では、深紅と黄色のカンナの花々が映えて、美しい盛りだ。丈のあるこの花が咲いていれば、ああ真夏だなぁ、と実感する。
房総半島の草木は元気が良く、千葉県東京湾岸の埋め立て地の植物とは、勢いが違う。
ワイルドな程の植物を見ていれば、私も元気を分けて貰える思いだ。

JR外房線に乗っていて、目的地は鵜原(うばら)駅。勝浦の隣の駅だ。 
勝浦の海は、海底が深くて海水は冷たい。それで、陸地の空気まで冷やされて涼しく、勝浦は"秘境"とか、"穴場"と称されているそうだ。
その地域続きの、鵜原である。

東浪見(とらみ)・御宿(おんじゅく)・安房小湊(あわこみなと)・安房鴨川-という地域一帯には、コロナが流行した頃、県内ということで訪れて、馴染みがある。美しい景観と、海辺の大自然を誇る地域だ。

鵜原駅で電車を降りれば、鳥や蝉が盛んに鳴いている。ツクツクボウシ、ミンミンゼミ、ウグイス、トビなどの鳴き声の重唱だ。
家々の軒先には、つばめの巣が架かっている。
何と自然の豊かな、のどかな雰囲気な地域であろうか。
民家の集まる中には、民宿の数が結構ある。海水浴の他、海釣りの人々のための宿だそうだ。

この町では、お祭りを来週に控えていた。町並の道沿いには、しめ縄が飾られていた。
町中心部と海辺に、石づくりの大きな鳥居がある。いずれにも、日の丸の国旗二本が十字に掲揚されて、威厳ある姿を見せていた。さらに鳥居には、しめ縄と束ねた榊の枝が飾られていた。
海辺の鳥居は、「一の鳥居」と呼ばれる。
一の鳥居の向こう側には、特に何も見当たらない。御神体は、海の中に存在するのだろうか。
海辺の町の、独特な神事。長野県の山間部に育った私にとって、初めて目にする慣わしである。



海開きした浜辺では、サーファーや子供達が、盛んに波と戯れている。海の家も、私にとっては物珍しい。軽食メニューの名が並んでいる。ラーメン・カレー・ナポリタン・担々麺とかの、手軽にできるメニューだ。



海岸一帯を散策してみた。更に岬の頂上へと登ってみた。頂の広場の、左右両側に海が広がる。左側には沖が見え、岬を挟んで、右側には海岸が見えている。
海の北側は、入江の地形になっている。入江の更に向こうの、海岸沿いの遊歩道を、「行川(なめかわ)」から「安房小湊」へ向かって歩いたことがあった。
入江を、こうして遠くから眺めれば、砂岩か泥岩の地層で成り立っている。大規模で見事な地層である。
私の生まれ育った地域で見られない、植物の植生も目に止まる。房総の、温暖な海辺の植生であろう。



岬の頂では、陽が照りつけても、からっとして嫌な暑さがなかった。
涼やかな洞窟風のトンネルを抜けた。かなり暗い中で、往復路ともに、地下水がポトリと、肌に滴り落ちてきた。
ホームの待合室で、帰りの電車を待っていた。
「いい風が吹いてくるね」
主人と語りあう。
これが勝浦一帯の涼しさか、と感じられた。



電車での帰り道、家の最寄り駅に近づいた。
見馴れているはずのベッドタウンが、ずいぶん現代的に目に映る。
雄大な自然の中の、のどかな地域から帰ってきたことを実感した。