【真夏の夜の夢 私のシェイクスピア】 | 村の黒うさぎのブログ 

村の黒うさぎのブログ 

大自然の中で育って、都会の結婚生活へ。日常生活の中のイベント、出来事、雑感を、エッセイにしています。脚色はせず、ありのままに書き続けて来ました。

 

「赤毛のアン」のストーリーも終盤で、少女達は、「オフィーリア」ごっこをする。
シェイクスピアの戯曲の一場面。亡くなった美女オフィーリアは、花々を敷き詰めた舟に乗せられて、更に花々に埋もれて、川を下る。
アンは自らをオフィーリアに見立てて、舟で下った。それが、どんどん急流になって流されてしまい!....

「教養として、『ロミオとジュリエット』を読んでみようかな」
以前、私は食卓で語った。
「台詞が列なっているだけで、読んでいて面白みはないよ」
... そうか、では主人は、これまでの人生で、シェイクスピアの戯曲に挑戦したことがあったのだ。

シェイクスピアって聞くと、高尚なイメージを抱く。でも、案外身近に題材として在るものだ。これまで生きて、そう感じたことがあった。
「刷り込み」という事象がある。生まれたヒヨコが初めて見た物がモップの柄で、モップの柄を母親と思い込む話が、シェイクスピアの喜劇にある。
私は、ストラヴィンスキーの「ペトルーシュカ」と「春の祭典」のLP・CDを、好きが高じて指揮者を変えて、いずれも10枚以上持っている。それが、一番好きで、結局何時も聴いているアルバムは、いずれも、一番初めに聴いた版だ。
これは、「刷り込み」という言葉で説明出来るのではないだろうか。

赤毛のアン作品中でも、著者モンゴメリは、「オフィーリア」の他に、「ハムレット」「ジュリアス・シーザー」とか、シェイクスピアから言葉を載せている。


「真夏の夜の夢」 シェイクスピアのこの題名の管弦楽曲を、メンデルスゾーンが作曲している。
SNS上の師匠のレッスンがきっかけで、劇付随音楽「真夏の夜の夢」に、夢中になっている現在だ。もう一曲フォーレと共に、聴くのに一時間はかかるのだが、毎日一度は聴いている。
理屈ではない。このクレンペラーの名盤が好きなのだ。

これまで、新しくレコード・CDを買っては、何ヵ月も毎日聴き続けることを、何度となく繰り返してきた。
理屈でない。新しいその曲を、毎日何度も聴きたくなるのだ。
コーヒーを飲んだ際の、カフェインの中毒症状に似ているのかも知れない。

「真夏の夜の夢」は、私にとてもはまった。師匠は、一日一曲のペースで名盤を提示して下さるのだが、「真夏の夜の夢」の名盤を、すっかり好きになった。これも理屈ではなく、好きで聴きたいから、心の欲するままに聴いている。
果たして私は、「真夏の夜の夢」をこれから何ヵ月聴き続けることになるであろうか。


  劇付随音楽「真夏の夜の夢」
  クレンペラー指揮
  バイエルン放送交響楽団and合唱団
  ソプラノ:エディット・マティス 
  アルト:ブリギッテ・ファスベンダー
  1969.5.23 ミュンヘン・ベラクルスザールにて録音
              (師匠の厳選版)


シェイクスピアでは、ポピュラーな戯曲に「ロミオとジュリエット」が挙がる。
以下に、28歳の時に、映画「ロミオとジュリエット」を観て、当時抱いて書き留めた感想を認める。

  フランコ・ゼッフェレリ監督
  オリビア・ハッセー主演
  1969 ロードショー

シェイクスピアの台詞が名文句であることと、映像の美しさを踏まえたうえで述べさせていただく。
一体、ロミオはジュリエットの、ジュリエットはロミオのどこに惹かれたのだろう。映画で観た限り、ロミオはジュリエットの「容姿」に魅せられたのであり、ジュリエットはロミオの手練手管にはまり、ムードに酔ってしまったとしか思えない。
果たしてこれが、異性を愛していると言える状態であろうか?そうであっても、未熟な様子だ。

ロミオは、前日までは、別の少女の尻を追いまわしていたのに、今日はジュリエットに一目惚れしてしまった。出会ったその日に愛を告げ合い、その翌日には、神父の前で夫婦として結ばれてしまった。
未熟な者同士が下手な恋愛をした結果の、若気の至りである。

そしてロミオは、人を殺めてしまい、町から追放になった。
ジュリエットは、一途にロミオを追おうと必死である。
ジュリエットの家族・乳母は、かねてからの伯爵との縁談を勧める。
私も、ジュリエットは、伯爵と結ばれるのが然るべきであると思うし、自分がジュリエットならば、伯爵の方を選ぶ。

ロミオへの激しい恋心が、人生のほんの一時期の、「恋のかぶれ」であることが、ジュリエットには分からないのだろうか?
またロミオは、人を殺めた罪を背負い、追放された身である。
今はジュリエットが、伯爵を愛せなくても、その伯爵とは、立派で申し分無い人柄である。その上で、ジュリエットを愛してくれている。
ロミオと別れれば、一時は、心の張り裂ける思いを味わうだろう。しかしやがて、それも「時間」が解決してくれる。
伯爵が悪い人ならば話は別だが、周囲の評判の良い人である。ジュリエットは伯爵に添えば、充分、幸せになれると思う。夫と共に過ごす、穏やかな安らぎの日々の中で、ジュリエットはやがて思う時が来るだろう。
いったい、あの頃、自分はロミオの「どこに」惹かれていたのだろうか?と。

ジュリエットより若くして結婚した女性もいる。ジュリエットと同い年の母もいる。彼女らは、人生経験豊富な大人に、自分に合った、間違いのない男性を選んでもらった結果であろう。

ところが、このストーリーは、ロミオとジュリエットが、死を越えてまでして結ばれてしまった。
その恋愛は未熟ではあるが、当事者にとっては、この上無き純粋な最高なものであった。
見識ある大人ならば、こんな無謀なことは、しないだろう。
二人は、まだ15歳そこそこである。
シェイクスピアも、それを見越した上で、年齢を設定したと思うところである。



「真夏の夜の夢」メンデルスゾーン クレンペラー盤1969年ライヴ
 https://www.youtube.com/watch?v=QxyMlJAIjls