【妙典から行徳へ】 | 村の黒うさぎのブログ 

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大自然の中で育って、都会の結婚生活へ。日常生活の中のイベント、出来事、雑感を、エッセイにしています。脚色はせず、ありのままに書き続けて来ました。

 

東京メトロに乗車して、妙典(みょうでん)で降りる。
時に一月下旬。戸建ての庭では、白梅が花開いている。
「桜伐るばか 梅伐らぬばか」
私がふと口にしたら、主人が興味を示している。
「梅の枝は、剪定すると風情がでるが、桜の枝は、反対に、剪定すれば不様になる」という意味の諺である。
しかしながら主人は、梅の木と桜の木、梅の花と桜の花の区別もわからない人だ。
斯様な花々の風情の分からない人に、このことわざは、解せないことだろう。
「育った家が、私と違うんだよ」
「育ちが悪いの?」
いえいえ、そうは言っていない。花を愛でる両親に育てられたか否か、である。

旧江戸川沿いを歩いていると、船を修理する場所、「ドック」が見えてきた。
此処はウォーキングとブログを始めた頃、先ず訪れた場所だった。
この7年間ウォーキングして、平行して感動をブログに書いて来た、その原点としてきた所である。
アメブロの以前に、半年くらい他のSNS上で、軽い記事をアップしていた。その分を含めると、満7年間になる。

川では、鴨のつがいが泳いでいる。
本来生き物とは、雌雄が惹かれ合う仕組みに出来ていると思う。
これ迄早朝ウォーキングの毎に、鳥達のつがいの微笑ましい様子を見てきた私は、そう確信している。

川岸から奥まった路上に、「常夜灯」が佇む。石で出来た灯籠だ。
ここを昔の人々の行きかっていたことがわかる、歴史跡である。
水運(運河)の跡地に、現在の道路や家並みが出来ている。

昔の人は、江戸から船で海路を往き、船橋・行徳(ぎょうとく)・その一帯で降りて、陸路を歩いて北上したということだ。成田山詣でが目的地だったそうだ。
たかが江戸から船橋・行徳程の距離を、わざわざ海路を往くこともあるまいに...と私は思った。

「川に橋が架かってなかったのかもしれない。その技術はあっても、敵勢力が攻めて来れない様にとか」
主人が自説を語るのには、とても納得出来た。
地理や歴史の好きな主人は、65年も人生を過ごしていると、映画とか本の情報から考察し、独自の考えを導き出す。それも、テレビや本には無いような、独自の見解だ。
私が主人に惚れている理由の一つだ。

妙典から行徳への一帯には、寺社が多い。
理由としては、昔その需要があったからだ。昔はここは、大勢の人々が行き交う場所で、各々の宗派に対応出来る様に、お寺・神社も種類が多く建立されて来た。

それにしても、さる一軒のお寺を見てみれば、敷地内に建築物がコンパクトに建立されている。だしぬけな位置に、鐘楼がある。寝起きしている側で鐘が鳴れば、うるさいことと思う。
私の知っている田舎では、鐘楼は、お寺の母屋や本堂から離れた、小高い場所とかに建っているものだ。
やはり東京都近郊では、土地は貴重なことと思う。

行徳駅(ぎょうとく駅)へと歩いていると、一風変わった家を見つけた。
庭一面を使って、アジサイなどを栽培している。市場に出荷する苗を育てているのだ。
和洋折衷の家のデザインと、一面の植物の苗が、野放図に栽培されて育っている様子は、風変わりである。
この家は、ユニークな雰囲気を醸している。


真冬の早朝の空気には、体が冷えていた。電車で帰る前に、行徳駅前でマクドナルドを見つけて頬がほころぶ。


注文したキャラメルラテは、クリーミーで甘くまろやかだ。

キャラメルラテの温かさに、体暖まり、心がほぐれた。