昨年、ヤフーブログを休止してから、1年とちょっとが経ちます。
ヤフーは、藤本ひとみ先生のファンの方々の交流目的に開設し、育児ブログとして運営していた私の別ブログです。
そのころから、こちらでも更新頻度が落ちたり、ちょっと精神的に不安定な発言があったりしたと思います。
年度も変わるので、少し、その当たりの事情をお話しようかなと思います。
重い話になりますが、お付き合いください。
昨年1月、ご主人さまが人間ドックを受診しました。初めて受ける人間ドックです。
会社の健康診断もありますが、なぜそのタイミングで初だったのか…本人にもはっきりしたことがいえるかどうかは、わかりません。
ただ、年末に左肩が痛い、と言っており、それも凝りとは全く違う、とにかく痛いのだということを口にしていて。
あんまり言うので、私は「心筋梗塞の主症状に、左肩の痛みってあるんやで。心筋梗塞やったりして~」
などと、冗談で脅していて、それを本気にしたとは思えませんが、肩の痛みが、別な病気によって引き起こされることがあるのだということは、気に掛かったのかもしれません。
とにかく、初めて出掛けて行った人間ドック。
が。
受診し、帰宅直後に、即刻再検査の連絡が入り、病院にとんぼ返り。
(私は仕事で留守にしていましたが)
再検査理由は【肺に水が溜まっている】ということでした。
新卒で採用されて以来、結婚後に退職するまでの8年間、生命保険会社に勤務し、さらに退社前の2年は入院などの給付金の査定をしていた私は、病気に詳しいのです。
それはもう、一般人よりも、ずっとずっとずっと、詳しいのです。
肺に水が溜まるということの危険性も。
嫌でも、わかってしまうのです。
肺に水が溜まる=肺水腫???
なんて病名が即座に浮かぶくらいには。
病気に、詳しいのです。
それから、何度か再検査をして。
病名は、肺水腫ではありませんでした。
水は、肺の中ではなく、外側に溜まっていたからです。
病名は、ガンでした。
原発ガンは、とても珍しいもので、それこそ私も知らない珍しいガンでした。
だから、名前は伏せさせてもらいます。
ご主人様が病名で検索を掛けた時に、この記事がHITすると困るので。
幸い、原発ガンはごく初期で小さいものでした。
が。
日増しに増えていく、肺の水。
ここにがん細胞がありました。
ので。
転移があろうがなかろうが、原発がんがどれほど初期だろうが。
肺の水のなかにがん細胞がある時点で、
ガンのステージⅣの診断でした。
ステージⅣって、末期のイメージです。
期待すると裏切られたときに立ち直れないし、だからといって期待しないわけにもいかないし、どう気持ちを持って行っていいのか、ちょっと整理できない感情でした。
そのころ、ご主人さまがやたらと『5年生存率』ということばを発しておりまして、やたらとこだわっていたのですが。
5年生存率って、全身がガンだらけで、言ってしまえば手が付けられなくて緩和ケアに回されているような人出も、生きてさえいれば生存している部類に入るので、私はあまり意味のない数字だと思っています。
でも、本人にそれは言えないので、黙って聞いてるしかなかったのですがね。
そのころ、大阪まで仕事で通っていたのですが、扶養控除枠内の派遣社員だったので、辞めざるを得なくなりました。
遠くて大変だったけれど、やっぱり仕事をするというのはとても楽しかったし、自分の中でも数年頑張って、そのあとはフルタイムに戻りたいという思いで、やっていたので、とても哀しかったです。
主人の両親も、私の両親も、いつでも金銭的な援助はするから、って言ってくれて、とてもありがたいことですが、誰一人、本当に本当に、誰一人として、私に仕事を続けていいよって、言ってくれる人がいなかったのが、とても悲しいです。
主人も私も、両親は年金生活です。現役で働けるのって、私だけなのになーって、いう思いもありました。
それでも、その状況では、やっぱり絶対的に、そういうことを言ってはいけないというのが、やっぱり悲しかったです。
ヤフーのほうも、ほぼ藤本ひとみ先生のファンの方ばかりなのですが、常に新しい人がはいってくるので、テンションが高いまま維持されている気がします。
私のように藤本ひとみ先生のファン活動を10年以上もやっていると、わりと落ち着いてマイペースでまったりとのんびりと構えてるんですが、ヤフーの方にはそういう余裕がない気がします。
なので、ちょっとヤフーはその時の私には疎外感を感じるテンションでした。
でも、その時点でこういうプライベートの問題を書いて休止するっていうのも違う気がして、理由は書かずに休止してしまいました。
ちょっと話が脱線したのですが…。
入院は3月末。
原発ガンを切ったところで、肺の水にがん細胞がある限り、切ることに意味はないということで、さらに水なので放射線も使えないということで、肺の水を抜く治療と、点滴による抗がん剤治療のための入院でした。
数年前、抗がん剤の副作用に対する吐き気止めの新薬が開発されて以来、劇的に吐き気を押さえられるようになり、ぐんと治療成績が上がっています。
が、それでも。
ドラマや親戚の話(母方がガン家系なので、よく耳にする)と、目の前で見ているのは違いますよね。
本当に。
ただ、本当に幸いなことに、抗がん剤がピタリとはまって、ご主人様は、生還しました。
ありがとうございます。
今、毎月、検査を受けて、再発の有無を追っています。
そして、数か月に1回は、PETと呼ばれる検査で、全身を検査して、癌細胞がないかを調べることになります。
一応のめどがついたのが夏の終わり。
なので、秋から私も就職活動をすることができました。
ご主人様は公務員なので、職場はわりと病気での休暇に良心的です。
抗がん剤の影響を受けていないときは、仕事に行き、出張にもいき、時には友人と飲みにいったりもしていました。
それは本人にとって、いいことなのか悪いことなのか、私にはわかりません。
しんどくても、やはり職場の目があって、行かざるをえなかったのか。
それとも、やはり仕事に行けることに喜びを感じていたのか。
私にはわかりません。
ですが、私は悲しかった。
自分勝手かもしれませんが、とても置いてけぼりをくらったような気がして、なりませんでした。
仕事をやめざるを得なくて、だからといって、遊び歩くわけにはもちろん行かなくて。
こどもの夏休み、朝から晩まで一緒にいて、家の中で騒ぐわけにもいかず。
仕事を始めたって、すぐ辞めないといけないかもしれないし、はじめられない。
私自身の状況さえ、彼の如何によって変わってしまうので、身動きが取れずに、何も動かせないでいた中で、彼には仕事という居場所があったことが、戻れる職場があったことが、なにより悔しかったです。
まぁ、そんなこんなの一年でした。
ちょっとね、ブログ書く気にもなれなかったんだと、ご理解いただければなーと思います。
ちなみに、マドモアゼルは4月から小学校に進学します。
こちらも、まぁ、本当に色々ありまして。
また、今度。
記事にしますね。