のしあがり放浪記〜エベレストの向こう側〜 -15ページ目

なんなんこれ

あと1週間で出国です
アメブロをタイピングすると文章が消えたり着いたりします。

どうやって直せばいいのかわかりません

誰が教えてください


ほんまにいらつきます。文章自体は消えない消えないんやけど、確かアップグレードとかしなあかんねんけど全くわからない

ブログかくきがなくなるし

岩手&福島

 復興してしまう前にどーしてもこの目でで見ときたかった津波現場の震災場所へ。

岩手ついた瞬間、挨拶がわりの震度5、数秒後震度3の連発。
駅の待合室の外に出たら、普通に子供が通学路でワイワイ騒いでた。
慣れてるううううーーーーこいつら笑っ

福島以上北にいくのは人生初で、盛岡から乗り換えでおいちゃんの家へ 
自由席がない新幹線があるのを切符を買ってから気づき、新幹線ないで指定に変える。
ローカル電車のドア 手動でボタン押して開いて、中で閉のボタン押さないといけんのやけど そんなん初めてで気づかず他の人が押してくれる。
盛岡駅の便所が自動ドアで、新宿みたいに金とらないと入れないんじゃないかって思って立ちすくんでたら普通におっちゃんが入る なんだよ便所に自動ドアなんか生まれて初めてだよwwそしてまさかまさかこの時季に雪が降っているとは思わずスエット一枚でいったら大雪www民家の家の前はスコップとか完備され、よくよく考えてみたら雪国を避けてきた自分にとっては海を越えて海外の南国の方が要所要所を知ってるから対応できるけど、ここ日本なのに雪国知識の対処方法が全く無知な事実に気づく。おいちゃんちについたら料理家のみさきが岩手の郷土料理を大量に手料理で作ってくれて生まれて初めて喰う飯ばっか。しかも居酒屋風でめっちゃうまいし爆 ほんまにありがとうございました。

次の日震災場所へ。
テレビで初めて見た宮古のコンテナが流される映像をみた場所、堤防を越える映像を見た場所、3階もぶっ壊れた建物、家が流され、地盤だけ残った場所、ぐっちゃぐちゃになった車、割れたコンクリートとかテレビで見た映像を見て、あの高さまで津波がきたの??信じたくねーーーってのが第一印象でした。おいちゃんに案内して見ているうちに、今回の震災について、繰り返し報道されるTVのお陰か?自分があたかも知っていたかのように生きていたことに愕然としました。ふつふつとTV目線で見る感じ方と、自分の目で見る感じ方が全く違うってゆうのがすげーーーーー思いました。

          
正直いろんなこと感じてるはずなんだけど、なんていっていいのか全然わからない。

ただ、津波で流された場所にまた同じコンビ二がたってたり、普通に車が行き来してる光景をみて、ああやっぱりここにまた住むんだろうなって感じた。
数年後また復興するんやろうなってのは感じたし、その復興するまでに今の街を自分の目で見て何かを感じることができたのはよかった。

そして次の日、福島のレスリング部の同期のゆきかつの家へ
郡山について居酒屋へ
さすがゆきかつ 10年の付き合いになるだけある!笑 いきなり放射能測定器見たかったんだろ?と渡してくれたww

さっそくゆきかつの放射能を測定・・といっている場合ではなかった。
地面の植木を測定したら4マイクロってでた。高っ!!!!!!えええ?
正直びびった。で、びびらないの?って聞いたら、もう皆慣れたって一言。笑
この測定器はTUTAYAで無料1週間レンタルらしい これ1台で10万。

放射能は風向きで変わるらしくて、原発から郡山まで距離あるのに、原発近くの村より郡山のほうがマイクロシーベルは高いらしい。

そんで次の日、原発警戒区域20キロ地点までいってきた。
どんどん茨城方面へ抜けていく車で原発方面へいく車は、関係者とか防護服まとった人とか警察輸送車しかおらず、自分の目がニュース報道をみている映像だった。
 
この先に茨城県 福島最後のジャンクション ここに皆お土産とか米とか野菜とか実家で親にもらった食べ物全て捨てていくのが問題になっているらしい。
持ち帰りたくなんだろう。
南相馬まで消されていた あと何キロ。

カーナビはほぼ全部通行止め
 
 
 いけるのはここまで。この先9キロに第二原発 20キロに第一原発。
 日体大の後輩が練習していた施設
 ぼこすかに割れた道路

 
 
除染中の家
公園 学校 駅 市役所 人が集まる場所にリアルタイムで放射能数値がみれる。
 放射能の数値が高い公園
数値が高いため水をぬいた池

正直、怖かった。が普通に暮らす福島の人 原発内で作業する人 行き止まり 人がいる気配の無い村
横浜から福島みるのと、福島から横浜みるのでは全く違うくて、福島からこの何百キロ先に横浜があるとこえーーと思った。
原発付近の村を車で走ってたけど、おじいちゃんがトラクターで畑を耕してのも 昔までなら当たり前やのに異様な感じた。

確かに原発だけみたら管理できなくてこんなことになってるんだから、実際近くまでいってみて自分も怖いっておもったし、だからといっていきなり原発なくせっていうのも それは違うだろって思う。
津波現場は時間かけて復興していくんだろうけど、原発付近はどうなんだろ。。浅はかな知識しかないから何もいえない。

しかし、今回は岩手はおいちゃんに、福島はゆきかつに連れて行ってもらったことにはマジで感謝している。この2人抜きではここに来ていなかったかもしれないし。

義援金とか物資を送ることも大事だと思うけど、やっぱり自分の目で見て何かを感じるってことのほうが、はるかに大事な価値があると思った。
今まで3.11のテレビは数多く報道され見てきたけど、もう1年以上たつけど今回現場にたってみて自分の中での3.11が始まった気がした。少しだけやけど理解できた気がした。

福島のコンビ二にも線量計(9000円)が売っていたので、購入し、日体大をしげみを測定中

ボリビア澁谷の会2回目

先週ボリビア澁谷の会2回目がありました。
ただの飲みです。が、熱い議論が交わされました。

いい刺激になります。しんさんはじめ、あのバカしぶやでも自分にとっては刺激になります笑
バカさ加減をお互い競い合っているみたいでどーしょうもないようにみえますが、常にどうすれば良いか模索し自分の道につなげようとトレーニングしています。
そこが他の人と違うというところだと最近思うようになりました。

かつて秀才といわれ、名門大学出身者でも五輪でメダル獲って活躍した人でも、

日本の会社に3年いれば、ただの人。になってる人を何ぼでも見てきた。

自分が生まれ興味を持ち何かに没頭し、結果を求め頑張ってきたことを貫いてきた信念を捨てて、安心や安泰、目先の金につられて道を曲げてしまう結果がこのザマであると思えば当たり前のことである。
かつて結果を残してきて人には、自分のやりたいことにひたむきに努力をつぎ込むということが必須な条件である。それがカッコイイのに、大人になるにつれて、やりたいことよりも、目先の金と安泰に踊らされ、もともと何の準備や時間をかけなかった場所で働き始める挙句、安泰を手にするのである。そうなると向上心も芽生えることも無くただの人になってしまう。役立たずとはこのことである。こんな生き方俺は嫌!俺にとってはただの人より死んだ人!

秀才でもできないことはあって、自分にできることで秀才になっているのである。秀才とはいわずとも、自分のできることで頑張っている人がカッコイイと思うけど、目先の金や安泰と見るや今までやってきた生き方を簡単に曲げて、できないことに首をつっこんでくる奴らが自分の周りにもわんさかいることに最近気づいた。しかし逆の人も何ぼでも見てきた。もともとネクラで引きこもりやったのに、やりたいことをやるようになって爆破的に人気になったりね。例えば、サッカーでも野球やスポーツでも守備位置やポジションを変えてみるだけで急に結果を残せるようになったとかね。やっぱり適す、適さないってあることを考えないといけない。

世の中の大半の人間は、誰にでも好かれる人になりたいから、簡単に自分の信念を曲げてしまうのだろう。
けどこんなんクソくらいだ。そんなことより、数少ない自分を応援してくれる人に好かれる方がよっぽど自分にとっては価値がある。

自分にとって信念を曲げてしまうことは、今までやってきたことを全て水の泡と化すに近い、だから実を結ぶ為にはこのまま信じ続けることが必須であると思う。






4・6さばドル最終回・・。

ベンチプレス別人間学

浮気をしてしまう人の共通点として、新しいもの好き。立ち読みが好きなどがある。
新しいものをほしがる人は、女を早くとっかえて違う女へと。
また、立ち読みは金をださず、情報を得ている行動はまさに影でコソコソしているに共通する。

肥満な人は自分の部屋が汚いことが多い。
日本人としての本来のメカニズム的には、整理整頓と昔からの言葉があるように、汚いカオス社会に生きる民族ではないのである。
なのにも関わらず、部屋が汚いとやはりストレスを感じる。ストレスによって病気になったりするため、ストレスを解消する方法をとらなければないらない。
それが食べ過ぎである。肥満な人に運動や食事制限などを貸しても長くみつもった場合ダイエットは成功にはいたらない。
部屋が汚いストレスを消すために食べ過ぎを利用して、バランスが保たれていたのに その食べ過ぎを無くすとダブルストレスに変貌するあげく違う場所にストレスを発散させなければならないからである。肥満を改善するにはまずはその原因を突き詰めてそこを治してあげればいい。もし部屋が汚いのであれば、部屋を片してあげれば食べ過ぎる原因がなくなる。そこから食事制限をすればいいのである。しかし、そのようなことはダイエット本を見てもどこにも書いていない。

自分が注目している4スタンス理論を一つの考え方にして人間の1つの特徴の動作を見ただけで、この人の動きはこれが得意だとか、苦手だとか、競技は違ってもこの競技をすればこうゆう動きになるだろうとか、SEXはこれが得意だとか苦手だとか結構な確立で見抜いてしまう考え方である。一つの動作から共通点をを見抜く考え方の一つである。

これを前置きに、ベンチプレスのやりかたを見ていて人間性わかるんじゃないかって思うようになってきて。

ベンチしている人のパターンはざっくり言うなら3タイプあるね。

一応10回を目標にしておきながら、8回でもうだめだと思ったらそこでやめる人。これ着実タイプ。
次に、補助ついてもらって、自分の目標設定ギリギリを狙うタイプ 例えば10回ギリギリできて9回目あたりで補助がいるか、いらないか失敗してしまうかもしれないリスクを負ってまでも自分の成長にかけたいタイプ。
もう一つは毎回高重量までやって、潰れるタイプ これは最初から潰れるのは分かったうえで限界を超えるまでやってる。

まぁ簡単に言ったら着実タイプとリスクを負っても現状から抜け出したいタイプと、潰れるのは分かってるタイプの3つ。

やっぱり着実タイプは失敗しないから、これって時間はかかるかもしれないけど、着実に成功してるからやっぱりベンチの記録も上がっていってる。これもすばらしい。正直サポートする側も注意していなくても怪我なくやってくれるタイプである。
リスクを負って成功を勝ち取ろうとしている。まさに自分の生き方笑 これは駆け引きがすごい難しい。だからサポートする側も注意してみておかないといけない。
潰れるタイプは最初から失敗するのを前提にベンチプレスしている。確実にサポートしなければならない。

ランニングでもそうだけど、1回歩いてしまうまで必死にきついけどまだって頑張ってるけど、1回歩いてしまうと、2回目 3回目・・・もうこなったら走るどころか歩いてしまうよね。最初の1回目の歩きまで頑張ってた状況には相当な忍耐と意識が高くないと戻すのは難しいよ。

だったら着実に走れるようにすげーゆっくりでもランニングし続けることが大事だと思うんだよ。
昔から日本にウサギとカメの話があって最終的にはカメが勝つやん。
リスクを負って伸ばしたい人はより自分のコンディションとか人間性とかより知らないとできないし。

ただ問題は絶対潰れて終わる人。これ完全逃げてることと一緒だと思うんだよね
誰かに補助してもらえる。安全バーがあるから潰れても平気って。

上で述べたけどベンチプレス一つをとっても毎回潰れいる人は、社会にでても、他の環境にいてもやっぱりどこかで逃げている癖がついてしまうと思うんだよね。

もう何千人ってベンチやウエイトの補助についてきたけど、自分の指導理念として絶対潰れないベンチプレスを心がけていて、何かあったら僕はいますが、もう次やったら潰れると思うなら潰れる前にそこでやめてくださいって声をかけておくようにしている。

これはベンチの記録とか、筋力アップうんぬんの前に、たかがベンチプレスごときで他に失敗癖をその人の環境や生活にも影響を転化してほしくないという気持ちがあるんだよね。こんなことどこの教科書をみても書いていないし、関係ないというトレーナーが大半だしここまで熱く言ってる自分にも根拠なんかないんだけど、なにかしらそうなると今まで経験で思うからここは絶対の理念としてベンチをやる前の心得を大事にしたい。

だからベンチプレスを率いるくらいなら絶対失敗させない
リスクを負う人は失敗しても絶対2回は失敗させない。と強い信念がる。

 


こっから書くことは4スタンス理論を知ってる人じゃないと話がよくわからないと思うんだけど、
上で述べた4スタンス理論も、生まれつき決まっているといわれているが、それがそうなら、それは絶対遺伝子要因で動きが決まっている思う。そうじゃないとこの動きってできないからね。遺伝子は3歳までに一気に減って必要な分だけ残る。それは生活環境によって必要か不要か選んで決定しいるんだ。
確かに見てこいつはこのタイプだ!って思うかもしれないけど、実際に全く違うことを言ったりする人もいて、けどこんなん当たり前のことである。だからこそ4スタンスしか知らない人は危ない考え方になる。

人間は環境によって適応するからである。
理想は遺伝子要因と環境要因をあわせるのが理想的だから、日本の生活を考えるとそうはいかない。
速筋型の遺伝子を持っていても、環境が持久的ならそれに適応するのが環境要因である。
遺伝子要因と環境要因さてどちらが強く影響するのかというと、間違いなく環境要因が優先される。じゃないと適応できないからである。

そう考えると、4スタンスは一つの考え方なだけであって、それだけで指導するのはナンセンスな話だと思う時あがる。
全く違うタイプを環境によって強いられてたとしても、それにてきおう するのが人間である。
もしそれで成功しているならそれでいいじゃないかって思うんだよね。
つまり、選手が俺はこれでやりやすいという確信があるならそれを変える必要はないということ。

人間って身体がゆがんだり、ねじれたりしてる それが原因でBタイプなのにAタイプの動きをしてしまっているならそれでいいじゃないかっていう考え方も在りだと思う。大半の人は身体がねじれているわけだし、大半の人はそのねじれやゆがみを治せないわけだし、ゆがみが原因で上半身はAタイプ、下半身はBタイプの動きをしてしまってるならそれを治療して治したとしても、環境要因が強くてまた同じ位置に身体がゆがんでねじれてくるなら、毎度治療する環境がないならその身体の状態でやらないといけなんだし、それだったら別に上半身はAタイプ、下半身はBタイプの動きをしてもいいって思う。

我々が4つのタイプに別けることよりも、選手本人が俺はこうれがやりやすい これがスムーズ ということを明確に気づくのが重要であると思う。
しかしながら、4スタンスはすごくて、6~7割あたりは4つにある程度は分類し共通点が見受けられる。だからといってこれを前面に押し出す形にするんではなくて、一つの方法としてコーチングに役立てればいいと思うようになってきた。

他人の話をうのみにしてる時点ではだめ。自分自身で気づくこと。自分自身で確立していくことが。これが一番、コーチングの本質だと思う。


 

やりたいことだけをやる旅

去年アメリカやキューバや南米にいってトレーニングを学び、現場を知ると目的を明確にした旅だった。
それは、トレーニングや現場、指導、コーチングなどに多大なる進歩を自分の頭に中に植えつけた。
けどそれは一つの考え方であって、他にも自分の生き方のスタンスはあるのかもしれない。

よくよく振り返ってみると、自分は満遍なく、他ジャンルを見据え自分のトレーニングへつなげている。
それは決して一つの要素を極めたものではない。
自分の現場は、トレーニングやコーチング、環境、意識、・・・・他ジャンルの要素が噛み合ってなりたつ。(他もそうだけど)
その中でトレーニング一つをとっても、トレーニング方法においては万人の考え方があってもいいはずだ。研究領域で分野をわけるなら、トレーニングの中でも、コアトレ専門もいれば、ウエイト専門もいれば、自体重専門やチューブトレを専門・・・他にも専門としてやっている人がいる。
確かに一つの領域を極めると良いこともあるが、現場はそうではない。全ての要素が噛み合わなければならない。かといって一つを極める人を否定はしない。一つを極めていくこともものすごく大事だからである。また逆に他ジャンルから少しづつ引っ張ってきて組み合わせるのも大事である。

自分はどっちかといえば、他ジャンルから組み合わせていくのがわりと上手い方である。

この前お客さんと話していたときに、オーケストラの話になって、全ての楽器が合わさって、迫力あるメロディが奏でられる。一つの楽器を極めた人達を合わせてさらにまとめあげて色を出す指揮者。そこでオーケストラが成り立つ。一人一人の楽器がうまくても、それが噛み合わなければオーケストラとは言わない。全てが噛み合ってこそオーケストラの現場なんだよね。そう考えたら、一つを極める人と、それを組み合わせてまとめるのを極める人の両方必要になるんじゃないかって思う。
競技現場は種目によるけど結局は全てをまとめるのを極められる人。が生きるんじゃないかって思うんだよね。
現に、現場からしてみたら一つの領域を極めてデカイ口叩いてる研究者は嫌われているわけだし。現場はそれだけじゃない!!って こう考えてみれば言われる理由もわかる。
研究者は割り切って、自分の専門を極めていくんだったら、現場に口を挟まないことが大事なんじゃないかって思う。全体を通して見れる人はその研究から必要な分だけチョイスしてくれるのであって、決して研究者から指示することは現場にはご法度なんじゃないかって最近思う。

ここ最近の生活で はっ と気づいたことがあって、小中学校でも部活でも、目標を書いて。というけど自分の立場を見据えて無理やり目的を明確にしてしまうことで、他の良いところに気づかず分からなくなることも増えたりしてしまうんじゃないかって 最近そうゆう考え方もありだって思うようになった。

無理に目的を強制させなくても、
自分のやりたいことだけやってれば、それって好奇心なわけで、そのうち自分の求めている答えに辿り着くんじゃないかって思うんだよね。

日本に帰ってくるとそーゆう人はいないし、やりたくなことを金にかえて生活している人も多いわけだし、そーゆう人は海外は圧倒的に少なくて、そーゆう場所で旅をぷらぷらしてると、俺この旅して何の意味があるんだろうか?ってふと思う時があって、結局はわからないんだけど、何かある気がするんだよね笑
血となり肉となりとはいったもんで。絶対何かがあるはずなんだよ。今回アジア回っても多分その答えはでないんだろうけど、帰った自分こそがその答えなのかもしれない。

今振り返ると、トレーニングを目的に掲げたことによって得たものも大きいけど失ったものも大きいのかもしれない。
今回のアジアの旅は気の向くまま、自分の好奇心アンテナの方向へ足を進めていきたいと思います。
アジアで書くブログは僕の好奇心そのものだと思ってください笑
ただ、南米より確実にWiFiおろか、ネットがありませんのでブログをかく回数はすくないかも知れませんがかけるときには書きます。

日程決定

昨日トレセンに74キロ級でスクワットアジア記録300kgを持ってるOTがきました。
練習では330キロをやっているといってるので次回更新してくれるでしょう。

ハイクリーンを一緒にやりました。


4月6日にまゆゆのドラマが最終回らしいので、
アジア進出4月9日に決定しました。
マレーシアスタートでミャンマー、タイ、カンボジア、ベトナム、ラオス、バングラデッシュ、インド、ネパール、スリランカ、いけたらブータン予定でその辺に出没します。

去年の南米縦断に引き続き次はアジアです。

アジアでも楽しみまゆゆ。

4月にむけて!

チビPCの起動です。眠りから目覚めました。

こいつとは去年南米縦断を共にしました。
目覚める=また旅の開始です。

人が何かを成し遂げようとするやる気や原動力には、夢を追い求める強い気持ちや、絶対諦めない強靭な精神力、健康とかいろんな要素があると思う。
しかし、今まで生きてきていろんな人間を見てきたけど、昨日まで私はこうだ!と粋がって言っておきながら安泰や金を見るや次の日とは180度違ったことを言う。口ではたっしゃなことを言っても実際には人間という生き物は弱い生き物で、途中でやる気がなくなったり、心が折れたりする。

トレーニング一つをとっても、一回休んでしまえば、2回、3回と早いペースで休んでしまったり、長距離を走っていても、一回歩けば、走り出してもまた直ぐに歩いてしまう。ベンチプレスをやって潰れてしまうと、また次のセットでも潰れてしまう。これはもう癖なようなもので、自分からすれば逃げ癖である。
最初の一回の失敗や敗北に対して最善の注意を払い、1回失敗や挫折をしても同じことで2回はしてはならないというのが自分の考えである。
一つのことに逃げると、2、3、4とペースが早くなり、最初の1に戻すのに相当の時間と浪費、根性、精神力が必要になるからだ。
自分の指導する上での注意点として潰れない指導を心がけている。その意図はただのベンチプレス一つであっても、一回逃げてしてまうと、逃げを覚えてしまいベンチプレスを皮切りに日常生活において些細なことであっても逃げ癖が転化してしまうからである。とそんな気がするんだ。だから逃げるくらいなら最初からやらない方がいい。それだけの問題じゃない。

だからこそ、一番長く続かせるには自分の夢や目標に向かってやるにあたり、ルーティン化することじゃないかって思うんだよね。
面倒でも歯を毎日磨くように、毎日同じ時間を寝て、同じ時間に起きて、同じ通勤電車 同じ車両 同じ道を歩くように習慣化させれば、そう簡単にやめないのが人間であると思う。それでもうまくいかなくて心が折れそうになる自分を支えてくれるのが、嫉妬や憎しみや敗北感ややるせない気持ちのように感じる。
この悔しさや憎しみをバネととはよく言ったもんで、こうゆう気持ちが芽生えると同時に、何クソ!!!やってやらー!!!!!って気持ちが実は生きる為の一番の原動力な気なのかもしれない。沸々と愛が憎しに変わり、踏み台にしてやると気持ちが強くなってきた。
よく考えてみればたやすく鶴の一声などで安泰を手に入れたからと言って必ずしも幸せになる保証はないんだし、入ってから自分の何もできなさに知ると思うし、何かを得た代償に、去っていく友達や軽視されたり友達もいるだろうし、何よりも適さない場所にいるなら自分はここにいても仕方がないとか、結局失った大きさを知るかもしれない。

自分の不平不満をいかに正当化していようが、不平不満に変わりはない。今自分の脳波を計れば、自分の前頭野の扁桃体からイライラやストレス時にでるベータ波でてるね笑!ワクワクドキドキしているときのシータ波をださないとドーパミンなんてでないよ!つまりルーティンすらできないし、前にも進まない。いくら正当化であっても不平不満を言ってるうちは自分にとって何のメリットもないということだね!ぶった切れぶった切れ。
そもそもあんなクソちっちゃい信念ブレブレの奴らことを考えてる自分もしょーもないからね。ただ後ろ髪を引かれる思いは一つあって、あんな奴でも学生は純粋だから信じてしまうとこなんだよね。クソッ!!
ただ俺の生活を知ってる人はほぼ皆わかってくれるから自分の意見として言っておきたいんだよね。

やっぱり信念もってる人の特徴はブレナイから、大阪の橋本市長だって、マツコだって、山本五十六艦長だって過去の指揮官はぶれないこの人にはついていこうと皆おもったんだろうね。学生が信頼してくれたのぶれない信念が自分にあったとこかもしれないね。改めて自分の良さを知ったね。

4月から新しい生活です!
楽しみます。シータ波とドーパミンだしまくれる環境へ!
そこにいたら自分が何に魅力を感じ何ができるのかわかるはず!

やべーー考えただけでシータ波でるww

あと自分の幸せは自分で決める。

4月もがんばりまゆゆ

トレーニング抜き

鶴の一声で人事が決まるなら、選考基準は堂々と鶴の一声と書けばいい。じゃ俺は文句は言わない。


10年前日体大に入っておがちょや永友先生にトレーニングを教わってこうゆう人になりたいと思う気持ちになった。
昔からトレーニングは好きで結構できてたけど、ただできてたのを、なぜそうなのかを教えてくれた。
それからいろんなことを経験していくうちに、どんどん後輩たちができて、かつての自分みたいにトレーニングについてはまだまだ将来性のある後輩たちを目の前にして指導するようになった。時間があったので、海外にもいって違うトレーニングやコーチングやいろんなことを学んだ。それが自分の強みでそれを後輩たちに伝える人になりたいと思うようになってきた。それと同時期にクソな奴らのお陰でトレセンは崩壊し、かつていたトレセンの姿はなく、トレーニングを通しておがちょや永友先生みたいに伝えれる人はいなくなっていた。今はただのトレーニングセンターという箱なだけでその箱に部や学生が好き勝手に使っては帰っていく姿がくやしかった。それもそのはず管理も指導できるどころか、トレセンに愛がない人たちがいるのだから。この時期に外部からトレーナーやってくれと誘いがきたが今の状況が状況なだけに外部へいくということができなかった。まずこの場所を建て直してから行くか、しっかり情熱もってしきってくれている人がいたら外部も考えたけど、日体大愛があった俺にはみすみすここを捨てていくようなことはしなかった。

だからそーゆう奴らを打破したかったからここまでやってきた。
しかし今回も鶴の一声で決まった。役所と一緒だね笑 将来が心配だよ。
周りのみんなに話すと、間違いなくよくならないね、一回どん底に落ちてみればいいんやと言ってくれる人が多く 今は少しイラついてるから客観性に乏しく冷静さに欠けてるかもしれないからその言葉をシンプルに捉えないといけない。だからといってこんな決め方で来年があるとも思えない。
何を学び、何を研究し、どんな情熱があろうとも そんなことは関係なく、鶴の一声で決まるからだ。

もう、ここにおる意味ってないんじゃないかと思った。

世の中はそうだとか世間はそうだと言っても、他に興味はないのだから他と比べても仕方が無い。うちの大学はうちだけでいい。

今回の結果を受けて、今まで生きてきて、自分には強い信念があると思っていたが、改めて絶対曲げない信念があるんだというのを感じたことは良かった。それが周りからみたら頑固なのかもしれない、信念が強すぎるのかもしれない けどそれはどんな状況でも絶対ブレない自分であると思うしそれもまたみんながついてきてくれる理由だと思う。

正直、こんなやり方じゃトレーニングに注ぐ情熱も何の為にやってるのかわからなくなった。だから今は情熱をなくし弱火になっている。
長所は短所 短所は長所と自分の考えにあるので、トレーニングばっか考えてたら他にできる才能に気づかないように、また全く興味のなかったことやってみると情熱がでるのかもしれない。もっとさらに考えると他を見てことやっぱりトレーニングやコーチングにしか情熱を注げないと気づくかもしれない。

かつていた自分の居場所が、あんな気持ちがないやつらに居場所として使われるのはほんとに残念でうしろめたいけど

そんなん言っててもしょーもないし、捨てて、新しいことをやろと思う。もう過去なんてどーでもいいわ。
よし新しい新天地へ。(まぁ昨日決めたんやけど)

そこはーーーーーーーーーーーーーーー!

詳細決まり次第 連絡。

UFC144

初UFC144いってきたーーーーーーさいたまスーパーアリーナ。

ベガスに住んでおきながら一回もいかづ・・・・・その通り!!何でいかんかったんやwww

けど朝からあがるんかと思ったけどあがるねーーーーー絶対おもろいよ!!
まぁあんなにも日本人選手いらなかったけど 世界最高峰の格闘技に変わりは無いけどね


話し変わって、近いうちに重大なお知らせをします。

 
GSP 

想像研究

体重が92kgを指していました。空腹時に。
来週から長谷川メゾット開始しよ笑

自分の直感が久しく冴えなかった。
わからないベールに包まれたまま。
悩むぐらいななら、やってみろと。
つまり賭けみたいなもんです。

リスクを負ってでも成功を勝ち取りたいかという質問をアメリカ人にしたら5割以上は、追うといったらしいです。
日本人は2割にとどまりました。つまり安泰です。

自分はその2割の生き方に近いと思います。
自分にとって安泰とは死んだも同然の生き方がしてならない。
アメリカに住んでいたとき肌で感じたのが、年齢によって左右されない生き方をしているところでした。何歳になっても自分のやりたいことに挑戦していく生き方。
アメリカの先生が言ってたけど、アメリカ人は3年くらいで皆転職するよ!と。業種は問わず金や立地や条件が良ければ直ぐに転職してしまうアメリカ人。
それに比べて日本人は年齢によって将来が支配されています。
18で高校を卒業し、21で大学を卒業し、22から就職し、ある程度収入が得たら結婚し、子供ができたら定年まで子供の為に金を稼ぐ、定年を過ぎてやっと自由な時間。
こんな先が見える人生死んだも同然何もおもしろくない。
今の時代は変化がどんどん起こってるから先を見据えることよりも、今をどう生きるか考えた方がいい。
類は友を呼ぶように自分の周りには、安泰を考えずはたからみたら自分の命までかけてで日本ではあまりみないバカな奴らがいますが笑、考えてみたら、そーゆう奴らの方が、変化に柔軟に対応できる人間だと感じています。つまりそーいう奴らのほうが死なないんです。死にそうになるけど死なない笑。死ぬのと死にそうになるは全く別物。この世間にいると切羽詰まって大変だけど、そいつらと酒を交わしているときは、そんな奴一人もいず、何だってできるよ俺らと感じてしまいます笑

安泰を望まず、世間からみたらバクチといわれる生き方ですが、結局なかなか死なないように失敗もしない。
見方を変えると、失敗するとそれはどん底に落とされることを意味しています。安泰を望む人ならば失敗しても安泰内でとどまってるけど、リスクを追う人はその人の人生がかかっています。

結局は、功績や成功がほしくて自分にリスクを負わせてるのじゃなくて、失敗し続けないリスクを自分に負わして楽しんでる気がする。
成功よりもまず失敗しないことを大前提に成功する。安泰にみえて中身は全然安泰じゃない。
安泰を望む人の思考範囲から考えると失敗したらまた、次 今度というけど、リスクを望む人に次 今度はない。
つまり、失敗した時はもう潮時ということで、環境を変えたり、新しいことにリスクを負えというサインなような気もする。

そのときそれまで、その一点のためにいろんなことを犠牲にし、時間を費やしてきたんだと実感する。

だからといって失敗はしていると思う。

どっちやねーーーーーんって



大きなリスクを楽しむ人は、大きな視点をもっていると同然である。
大きな視点を持って生きている人にとっては、安泰に生きる人が犯す失敗なんて失敗にならないのである。



自分の場合は、失敗してしまったケースや成功していくケースを、いろんなパターンから常に想像研究している。
今までの人生をフルに活用して今の自分にこれはできる、できないを常にシミレーションしている。
将棋士は相手がとう来るかを全て頭にインプットできる。終わった後も、同じ対局を頭の中で振り返ることができる。
自分たちのスポーツの現場で考えると、あいつのフォームはこうだ とか、こいつのフォームはこうだとインプットしているように、将棋士にとっては将棋が現場だと考えればその通りである。つまり将棋の打ち方にもフォームみたいなものがあるらしい。この形でくるなら自分はこう責めるとか。
となると、一番厄介なのは自分みたな素人の打ち方である。はっきし言って、どう打つかわからない。だからスタイルが全く読めないのである。
トレーニングにおいてもある程度できる人はすんなり教え方のパターンに当てはめられるが、全く経験がないと、まじで?と思う使い方やフォームをする人がいる。いかなるときも動じない想像研究が大事なのである。

もう一つ自分の学ぶスタイルは、一つを極めて100つを極めるということです。
最初はトレーニングや栄養学が得意分野でやってきましたが、そこで培われた学習方法を応用して、海外での生活、コミュニケーション能力、コーチング、空気を読む読まない、自分の信念を作っていく。脳、分子生物学、身体動作学、宇宙論、物理学などの分野へ応用を幅広く利かせています。

つまり1を極めたら2、2を極めたら4、8 16・・・・・・といった具合に学んでいけてます。それは同時に1に帰ってくるときがあり、4を学んだら1をもっと深く知るとができる。コンピューターには暗記はできますが、応用を利かすことができずインプットしただけの知識です。ですが人間は学べば学ぶほど、全ての経験を応用にかえて物事を判断できるようになります。だからいろんなことを知っておいたほうが良いと僕は思うのです。

10月に帰国して読書にはまり今数えてみると112冊の本になってました。
おいおいおいおい、まだまだ俺の知識増えるじゃないか ニヤっとしました。
この本を読み終えたとき、また何か感じたり学んだことがある自分を想像すると むふふ。


 
僕は本棚に本を並べたくありません。
そんな違和感がある。
コンピューターは知識を並べるけど、
人間は知識は積み上げていくものだ。
だから本は積み上げていく方が安心する。

あと部屋がぐちゃぐちゃだったら心が乱れるように、本が倒れ掛かってたり雑に積んであると、体がゆがんでいく感じがするから絶対本を積み上げるアライメントをきっちり揃えることを意識している。