高校サッカーから紐解く
高校サッカー決勝を国立へ見に行ってきた。
我が地元 三重がでるから。
しかしおもしろかった。それと同時に不思議なことに気づいた。
誰が教えなくても赤ちゃんが自然とハイハイするように人間はもともと4足歩行な動物であった。しかしその一番人間が安定するハイハイ姿勢から不安定な状況をあえて作る2足歩行へと変化する。赤ちゃんは大人の座ってる姿勢から立ち上がる動作などを見てトライして学習していく。2足歩行がなければ痛風や腰痛や数多くの病気が起こらないのは間違いないのに、あえて不安定な道だけでなく病気などのリスクがあるにも関わらず動物のなかで人間はあえて2足歩行のリスクへの歴史を選んだ。他の動物からしたらハテナ?マークがでるぐらいのネタだ。
しかし人間が2足歩行を選んだ理由はまだ解明されていない。
人間の場合 手と足なら断然 手の方が細かい作業ができる。しかし、サッカーときたら あえて得意な手を封印し苦手な足を使って競技を競わせている。
歩くという動作は『安定』を崩し『不安定』な状況をつくりまた『安定』から『不安定』の繰り返しである。さらにそこにボールを操る・蹴るといった動作が加わり更に四方八方からそれを妨害する敵が現れる。
このようなルールを作ったのも人間独自の考えがあるからではないか。
その一つにマンネリ化ということがプラスに変えた人間の進化ではないのか。
同じ動作やできることをしていても人間はマンネリ化する。そして手より足といったまた難易度があがるルールをつくっては競わせる。
そう考えたら4足歩行では人間はマンネリ化し、あえて不安定な2足歩行をやってみた ということではないのかと個人的には思う。
先日、サッカーの名物コーチ・やんまゆりちゃんとお話したときに、小さい円の中でドリブルで抜く練習をしたていたら剣道や合気道や武道をやっている人がすげーうまい!と言っていた。それで はっと気づいた。足の踏み込みや使い方を意識的にやる武道はやはり、何も考えない人に比べて難しいとされる2足という動きを無意識的にも理解しているのではないか。武道の達人の歩き方には一切無駄がないという。つまり不安定な状況をつくらないということ。それこそが名物コーチ・やんまゆりちゃんのように武道している人はすごいうまいということに繋がるのではないか。
他の競技や日常生活にも必ず応用が利くと思っている。
『サッカーの奥深さとは足を使うことに有りけり。』
我が地元 三重がでるから。
しかしおもしろかった。それと同時に不思議なことに気づいた。
誰が教えなくても赤ちゃんが自然とハイハイするように人間はもともと4足歩行な動物であった。しかしその一番人間が安定するハイハイ姿勢から不安定な状況をあえて作る2足歩行へと変化する。赤ちゃんは大人の座ってる姿勢から立ち上がる動作などを見てトライして学習していく。2足歩行がなければ痛風や腰痛や数多くの病気が起こらないのは間違いないのに、あえて不安定な道だけでなく病気などのリスクがあるにも関わらず動物のなかで人間はあえて2足歩行のリスクへの歴史を選んだ。他の動物からしたらハテナ?マークがでるぐらいのネタだ。
しかし人間が2足歩行を選んだ理由はまだ解明されていない。
人間の場合 手と足なら断然 手の方が細かい作業ができる。しかし、サッカーときたら あえて得意な手を封印し苦手な足を使って競技を競わせている。
歩くという動作は『安定』を崩し『不安定』な状況をつくりまた『安定』から『不安定』の繰り返しである。さらにそこにボールを操る・蹴るといった動作が加わり更に四方八方からそれを妨害する敵が現れる。
このようなルールを作ったのも人間独自の考えがあるからではないか。
その一つにマンネリ化ということがプラスに変えた人間の進化ではないのか。
同じ動作やできることをしていても人間はマンネリ化する。そして手より足といったまた難易度があがるルールをつくっては競わせる。
そう考えたら4足歩行では人間はマンネリ化し、あえて不安定な2足歩行をやってみた ということではないのかと個人的には思う。
先日、サッカーの名物コーチ・やんまゆりちゃんとお話したときに、小さい円の中でドリブルで抜く練習をしたていたら剣道や合気道や武道をやっている人がすげーうまい!と言っていた。それで はっと気づいた。足の踏み込みや使い方を意識的にやる武道はやはり、何も考えない人に比べて難しいとされる2足という動きを無意識的にも理解しているのではないか。武道の達人の歩き方には一切無駄がないという。つまり不安定な状況をつくらないということ。それこそが名物コーチ・やんまゆりちゃんのように武道している人はすごいうまいということに繋がるのではないか。
他の競技や日常生活にも必ず応用が利くと思っている。
『サッカーの奥深さとは足を使うことに有りけり。』

久々の学校。
10月帰国して以来、今までしたこともなかった本を読むということを何かに導かれるように始まりした。
漫画も読まないし、字をまず読まない。だけど、いきなり本を読破するのが好きになりました。
本は一冊大体1000~1400円するのが相場だと思います。
これを見て高いと思うか?安いと思うか?
昔の自分は高いと思っていました。しかし、著者の何十年と生きてた知恵や学んだ情報を的確にシンプルに人に伝える形となっているということは何て安い値段で他人の考えを知りそれを自分の人生のプラスになるんだと感じるようになりました。
去年の1月1日はしょっぱな失敗から始まりました。
その失敗する前後何をしてたのか?その前の日、次の日何をしてたのかはっきり覚えていません。
ただあの失敗した瞬間は明確に覚えています。
今思うと自分の脳が、お前もう2度と繰り返すな!わかったな!?と言ってるように警告として焼きつきました。
今まで自分が決めたことに関しては何かしら絶対に結果を残していきました。
しかし、前回はゴールにたどり着くことはできませんでした。
今まで生きてきた何年分の時間を失敗として形に変えた瞬間でした。
他人と何かに挑戦するときは自分で決断するときよりさらに慎重に見極めないといけないと強く感じました。
負けて学ぶとか失敗から学ぶという言葉があります。これを否定はしません。そうゆう考えは絶対にあるからです。だけど今まで生きてきた自分の人生に関しては負けて学ぶとか、失敗して学んできた人生ではなく、成功して学んできた人生でした。
自分の口癖は、失敗する癖をつけない。やるからには成功する。と言って今までやってきました。
もう2度と、失敗する人と一緒に挑戦なんかしない。
人に何を言われようが俺が決めたこと。絶対にぶれない。
好きだからやる、嫌いだからやらない。
楽しいからやる、楽しくないからやらない。
興味あるからやる、興味ないからやらない。
内容の前に、上に書いてあることを優先すべき。
不純な理由ほど、体を動かし、活気ずけ、また辞めるときにはきっぱりやめれるそんな気がした1年だった。
今年はすげー一年になるよ。
絶対失敗しないから!
とりあえず床から天井へつくぐらい読破したい!
それぐらい今は本を読むのが好き。
そして最近はまっていること。
夜空を見る。そして気づいた。俺が見てるのは空ではなく宇宙だと。そして建物の邪魔にならない範囲で360度見渡せばどこまでも遠くに星が見えた。
なんて広いんだ!そして改めて思う 俺の星だって今みてる星のようにたった1つの星なんだと そして宇宙に囲まれてる。すげーなと。
岩手に住む おいちゃんのスーパーど田舎の村で多くの星を見たいと思っている。
そして近日、ベランダに横になれる椅子を買って宇宙を眺めてみているのが想像つく。
地球の為に宇宙はあるのかもしれないね。
漫画も読まないし、字をまず読まない。だけど、いきなり本を読破するのが好きになりました。
本は一冊大体1000~1400円するのが相場だと思います。
これを見て高いと思うか?安いと思うか?
昔の自分は高いと思っていました。しかし、著者の何十年と生きてた知恵や学んだ情報を的確にシンプルに人に伝える形となっているということは何て安い値段で他人の考えを知りそれを自分の人生のプラスになるんだと感じるようになりました。
去年の1月1日はしょっぱな失敗から始まりました。
その失敗する前後何をしてたのか?その前の日、次の日何をしてたのかはっきり覚えていません。
ただあの失敗した瞬間は明確に覚えています。
今思うと自分の脳が、お前もう2度と繰り返すな!わかったな!?と言ってるように警告として焼きつきました。
今まで自分が決めたことに関しては何かしら絶対に結果を残していきました。
しかし、前回はゴールにたどり着くことはできませんでした。
今まで生きてきた何年分の時間を失敗として形に変えた瞬間でした。
他人と何かに挑戦するときは自分で決断するときよりさらに慎重に見極めないといけないと強く感じました。
負けて学ぶとか失敗から学ぶという言葉があります。これを否定はしません。そうゆう考えは絶対にあるからです。だけど今まで生きてきた自分の人生に関しては負けて学ぶとか、失敗して学んできた人生ではなく、成功して学んできた人生でした。
自分の口癖は、失敗する癖をつけない。やるからには成功する。と言って今までやってきました。
もう2度と、失敗する人と一緒に挑戦なんかしない。
人に何を言われようが俺が決めたこと。絶対にぶれない。
好きだからやる、嫌いだからやらない。
楽しいからやる、楽しくないからやらない。
興味あるからやる、興味ないからやらない。
内容の前に、上に書いてあることを優先すべき。
不純な理由ほど、体を動かし、活気ずけ、また辞めるときにはきっぱりやめれるそんな気がした1年だった。
今年はすげー一年になるよ。
絶対失敗しないから!
とりあえず床から天井へつくぐらい読破したい!
それぐらい今は本を読むのが好き。
そして最近はまっていること。
夜空を見る。そして気づいた。俺が見てるのは空ではなく宇宙だと。そして建物の邪魔にならない範囲で360度見渡せばどこまでも遠くに星が見えた。
なんて広いんだ!そして改めて思う 俺の星だって今みてる星のようにたった1つの星なんだと そして宇宙に囲まれてる。すげーなと。
岩手に住む おいちゃんのスーパーど田舎の村で多くの星を見たいと思っている。
そして近日、ベランダに横になれる椅子を買って宇宙を眺めてみているのが想像つく。
地球の為に宇宙はあるのかもしれないね。
将棋の一手
のりかつくんがアゼルバイジャンとハンガリーから帰国してトレーニングの話をしてたけど、
アゼルバイジャンやべーーーーーーーーーーーーーーーーー
って話になった。
技術とかフォームとかなんでもよくてただ上げまくる、やりまくる。
怪我している選手もスパーに入る。日本みたいに端っこでウエイトとかしない。
とにかく自由時間も練習してあたりまえの考え方。
多分サボるとかいう概念はないんやろうね。
キューバと同じだよ。話聞いてて、何も最先端なんか眼中になくて器具が壊れようが関係なしにとにかくやる。
ということは、サボる概念を作る要因もあるはずだ。
かといってアメリカやハンガリー、日本みたいに最先端を追い求めていく国もある。
日本の中でも世界最先端に近い練習をするところもあれば、俺らの藤本先生のように、すげーベーシックな基礎トレを徹底してやらされる。
トレーニング種目もレップ数もセット数もしっかり記録していく指導もあれば、記録していかない指導もある。
どれも正解でどれも正解とはいえない。
それは答えじゃないのかもしれない。
とにかく今は、いろんなことをやってみるしかない。
そして考えるしかない。
そして、またやってみるしかない。
その中には失敗もあるだろう。
しかし、なぜ失敗したのかミスしたのかを知れば今後に影響しなかったらいいし、失敗をいつまでもひっぱる必要もない。
ただ将棋の一手を指すときに一手には、いろんな考えや経験値が詰まっていて一手を打つように、自分にとっての意味のあるものじゃないといけない。
指導現場も同じで自分の経験をフルに活用して意味のある言葉がけを選手にしていかないといけないし。
選手も考え、コーチも考える環境を持てなればならない。
方法はコーチ万人のやりかたが正解であり不正解である。
ただ一言には、コーチの経験がつまった気持ちがないといけない。
じゃないともろくに牙城は崩れるだろう。
誰が何を言おうが、自分は最終的に同じ場所に帰ってくるし、藤本先生みたいなコーチングに行き着くと思うけど、まだまだ追いつかない。追い越せじゃないけど、もっと今は考えるしかない。
俺の脳 お前は知っているんだろ 俺のやりたことを それをみつけろと言っているようだよ 絶対みつけてやる。
しかし、行動しないと見つけられないのは知ってる。昔は脳を知ることなんて考えたこともなかった。
けど今はなぜ知らないといけないのか知っている。
脳は頭蓋骨に囲まれて真っ暗闇で外の世界も見た事もないかわいそうな奴だね。だからこそ俺の目や手や耳 五感などを通して情報を処理してくれるんだよな?だから行動して脳に伝えてあげないと、考えは浮かばないだよね。
南米から帰ってきて脳が麻痺した状態が5日間くらい続いていたのも、南米の新しい文化や習慣、食事、言葉、人、全てが初めてだったから俺の脳は麻痺したみたいに ボーっとしてたんだね けど時間がたって 整理できてきて いろんな直観がひらめきに変わってるのはまじまじと実感してるよ。
普段新しいものを発見してもあまりそれを実感しないけど、今回の南米で得たことの大きさが今 自分をドーン!!と進化させてるね。
だから確信して言える。絶対行動してみろ!そしたら脳が考え手くれる!直観とかひろめきとして現れて自分にヒントをくれる。それを見逃さず気づいてさらにその直観やひらめきに従い行動をうつすようにする。いつまでもひらめきや直観を待ってても現れない。自分が行動しないと脳は教えてくれない。
いつの日か直観だけで成功できるって脳が言ってるみたいだね。
いや直観でそうなるのが想像できてるよ。
ははは
アゼルバイジャンやべーーーーーーーーーーーーーーーーー
って話になった。
技術とかフォームとかなんでもよくてただ上げまくる、やりまくる。
怪我している選手もスパーに入る。日本みたいに端っこでウエイトとかしない。
とにかく自由時間も練習してあたりまえの考え方。
多分サボるとかいう概念はないんやろうね。
キューバと同じだよ。話聞いてて、何も最先端なんか眼中になくて器具が壊れようが関係なしにとにかくやる。
ということは、サボる概念を作る要因もあるはずだ。
かといってアメリカやハンガリー、日本みたいに最先端を追い求めていく国もある。
日本の中でも世界最先端に近い練習をするところもあれば、俺らの藤本先生のように、すげーベーシックな基礎トレを徹底してやらされる。
トレーニング種目もレップ数もセット数もしっかり記録していく指導もあれば、記録していかない指導もある。
どれも正解でどれも正解とはいえない。
それは答えじゃないのかもしれない。
とにかく今は、いろんなことをやってみるしかない。
そして考えるしかない。
そして、またやってみるしかない。
その中には失敗もあるだろう。
しかし、なぜ失敗したのかミスしたのかを知れば今後に影響しなかったらいいし、失敗をいつまでもひっぱる必要もない。
ただ将棋の一手を指すときに一手には、いろんな考えや経験値が詰まっていて一手を打つように、自分にとっての意味のあるものじゃないといけない。
指導現場も同じで自分の経験をフルに活用して意味のある言葉がけを選手にしていかないといけないし。
選手も考え、コーチも考える環境を持てなればならない。
方法はコーチ万人のやりかたが正解であり不正解である。
ただ一言には、コーチの経験がつまった気持ちがないといけない。
じゃないともろくに牙城は崩れるだろう。
誰が何を言おうが、自分は最終的に同じ場所に帰ってくるし、藤本先生みたいなコーチングに行き着くと思うけど、まだまだ追いつかない。追い越せじゃないけど、もっと今は考えるしかない。
俺の脳 お前は知っているんだろ 俺のやりたことを それをみつけろと言っているようだよ 絶対みつけてやる。
しかし、行動しないと見つけられないのは知ってる。昔は脳を知ることなんて考えたこともなかった。
けど今はなぜ知らないといけないのか知っている。
脳は頭蓋骨に囲まれて真っ暗闇で外の世界も見た事もないかわいそうな奴だね。だからこそ俺の目や手や耳 五感などを通して情報を処理してくれるんだよな?だから行動して脳に伝えてあげないと、考えは浮かばないだよね。
南米から帰ってきて脳が麻痺した状態が5日間くらい続いていたのも、南米の新しい文化や習慣、食事、言葉、人、全てが初めてだったから俺の脳は麻痺したみたいに ボーっとしてたんだね けど時間がたって 整理できてきて いろんな直観がひらめきに変わってるのはまじまじと実感してるよ。
普段新しいものを発見してもあまりそれを実感しないけど、今回の南米で得たことの大きさが今 自分をドーン!!と進化させてるね。
だから確信して言える。絶対行動してみろ!そしたら脳が考え手くれる!直観とかひろめきとして現れて自分にヒントをくれる。それを見逃さず気づいてさらにその直観やひらめきに従い行動をうつすようにする。いつまでもひらめきや直観を待ってても現れない。自分が行動しないと脳は教えてくれない。
いつの日か直観だけで成功できるって脳が言ってるみたいだね。
いや直観でそうなるのが想像できてるよ。
ははは
多細胞から学ぶ
帰国して科学反応が起きた。
何かに導かれたように自ら俺が本を読み始めたのだ。wwwしかも、次から次へとおもしろいように読破していってる。
自分の分野はコーチング学やトレーニング学に重きを置く生活を毎日送っている。
しかし、それだけの学問で突き詰めていってもやがて行き詰る。なぜならば、突き詰めていっても答えがすぐ変わるから。これは何を意味しているかというと日々“進化”しているということだ。
昨日バレー関係者の馬場という男に会いコーチングについて熱く議論していたとき、やっぱり自分の経験を生かした発想が大事でそれがもしぶっとんでる考えであっても今まで生き学んだ知恵ならそれを現場に活かすべきだ。とゆー話から私はそれをどんどん発信していけ!その結果、基本に戻るのか、もう少し先へぶっ飛ぶのかわかるいという話をしていたとき、馬場が『まちがいない!けど基準は大事や!忘れたらあかん!!』と言った。
じゃトレーニングの基準って何なん?って感じた。
大半のトレーニングをかじっている人は、ビックスリー(ベンチ・スクワット・デッド)そしてクリーンというのではないだろうか?教科書や雑誌にはすごく推奨されているからね!
自分の経験から言うとこと、これらの種目がトレーニングの基準として捉えられる考えなんて絶対にありえない。
20年昔にこの種目が大事だと言わていたのに20年たつ今になってもこの種目に重きおくスタイルについて少しは疑問を持たなければなれない。
違う例で言うと、電話機は昔すげーでかかった それがコンパクトになりやがて子機の電話機が登場そして、デカ携帯 そして白黒携帯 カラー携帯 そしてスタイリッシュな携帯 そして今はスマホとして日々進化しているじゃないか。じゃ電話機の基準って何??といえば、誰も『形!色!』と答える人はいないだろう。間違いなく電話機は基準は『喋れて、メール打てる』ことにあるはずです。
そしたらトレーニングの基準って何?と言われれば種目とか、器具とかレップ数とかセット数じゃなくて競技現場なら『勝つトレーニング』がトレーニングの基準にならなきゃいけない。
それがビックスリーやクリーンでいいの???
絶対違う。なぜならそれだけやっても結果がだせるわけがないからだ。
このトレーニングをやれば万人が絶対に結果がだせるってトレーニングあるの?もしあるならそれが基準になってるはず。しかし、こうやって万人に結果を出せるトレーニングがないからこそこうやって今も、それを探して進化しているはず。いつまでたっても過去に重要とされたトレーニングにこだわってやり続けても、日々進化している周りに勝てるわけがない。私はスマホだけどあなたはまだ白黒携帯ってことと一緒。(多分日本の10年後もビックスリーだのクリーンだの言われているでしょう・・・。)
勝つトレーニングの基準とは現場のコーチが指導するメニューこそ基準になるべきなんだ。と思う。
また、そのぐらい今のやってる自分のコーチングやトレーニングに想いがないと絶対に選手に伝わらないと思っています。
私のレスリング部の恩師・藤本先生はメニューが何十年と全く変わっていません。これは上で述べた、進化していないということではありません。
藤本先生の経験、そして考え、想いが行き着いた先がレスリング部のメニューだったんでしょう。アメリカでトレーニングやコーチングを目の当たりにして多々、俺もいつの日か、藤本先生のトレーニングに行き着いてしまうような気がすると感じたことが多々ありました。しかし、まだあそこには全然行き着けません。だからもっと多くのことを学び、考えなきゃ藤本先生の指導法を越えることはできません。
そこで自分の特技でもある“発想”を大事にしようと考えました。
上でも述べたようにコーチング学やトレーニング学を突き詰めていってもなかなか進まない状況です。そこで過去のブログにも書いた“脳研究”の学問からコーチングを見つめなおすことにしました。
するとどんどんアイデアが浮かんできます。これは新たな発見であり進化といえるでしょう。
研究者の中には僕みたいに体育科学の学問にさらに違う学問 今回なら脳の学問交えて考えることに対して、自分の学問もわからないのに別のジャンルの学問に手を出すなんて時間の無駄!自分に学問に時間を注げ!とか、また自分の学問のことで手がつけられないのに他の学問に手を出してしまったらもっとわからなくなってしまう。とか言う人がいます。
何様?
僕はこーゆう考え大嫌いです。
そもそも自分に得意とする分野に何十年と膨大な時間を費やし追究してきたのにまだわからない・・・そのくら奥が深いものなのに、他ジャンルときたら学ばずしてそこに手を出すと危ない的な言い方をする・・知った口叩くな!といいたいです。
すごい失礼!!
その発言はクリーンやったこともないくせに、クリーンは怪我するからやったらダメ!と言ってるのと同じ。
また自分の経験にもごくまれにあるのですが、飲み会の時に私が体育会系っということもあって、飲み会にきた人が『俺も同じ体育会系だからー!へーいとかいって握手求めてくる人。』 話を聞けば中学まで運動部で頑張ってた。はぁ??高校は?帰宅部?・・・・・・・正直すげーイラっとした経験があります。俺らは大学いってまでも寮生活をし理不尽な規則やルールに従い、何かあったら連帯責任、朝早くから掃除したり食事をつくったり大学生になってまでも門限ある生活を送る中競技生活に時間を費やしてたんだ。それに比べてお前は何をしてたんだ!まじで一緒にするな!と かなり失礼だと感じました。
今私は脳研究の本を読みあさってますが、すげー表面的だけで脳ののの字もわかっていません。
しかしながらその表面的なことだけど学んでいるうちに自分にコーチングと密接に関わってくることが多く感じました。
今やってることに重要なことが脳だと考え、脳について学び、脳に密接に関係してるときは睡眠学、睡眠に関係することは寝具学と・・・きりが無いですが、本質を追い求めていくと他ジャンルの学問の力や考えを持てる人にならなければ進化はしないと最近強く感じています。
自分の分野の範囲内でしか学ばないと言っている人は単細胞で、他ジャンルを学び少しでも自分に専門領域を進化させようとしている人はまさしく多細胞な人だと思います。
しかし脳研究の学問が大事だからと言って闇雲に学んではいけません。
自分のコーチング学に対しても自分の考えと合った人もいれば合わない人もいるものです。、合わない人とのコーチングを学んでもすごくつまらないものになってしまう。だからこそ類はとも呼ぶではないですが自分の考えに似た人と話あったりディスカッションしたときはすごく楽しい時間になります。
自分は少し?異端児的な発想を持っているので脳研究の異端児的な池谷さんの本を読んだとき一瞬で好きになりました。一字一句がおもしろくてたまらない。また発想が豊かというのも茂木さんと似ている部分で共通していう点があります。またこの2人に共通しているのが本質にこだわっているということです。僕が一番好きなとこです。こうやって本選びに成功しています。もし僕と考えが合わない脳研究者の本を読んでしまったら多分今は脳の本を読んでいなかったのではないかと思っています。まずは楽しくなくてはいけません。
結果が出たことによって楽しくなるのではなく、楽しくないと結果はでないということです。
今宇宙物理学の天文学の本を読んでますが、天文学は科学において一番歴史の古い学問であると思います。
つまり全てが元型である 本質がどんどん生みださている学問です。
すごくわからない。
わからないことだらの自分がすごくおもしろいです。
長々となりましたが、最後にアインシュタインの言葉で〆たいと思います。
『この宇宙でもっとも理解不能なこと、それはこの宇宙が理解可能であることだ。』
※帰国する前あたりから ちょいちょい このブログ勉強になります。とメッセージくれる読者がいます。
見ず知らずの私のブログを読んでいただきありがとうございます。www
何かに導かれたように自ら俺が本を読み始めたのだ。wwwしかも、次から次へとおもしろいように読破していってる。
自分の分野はコーチング学やトレーニング学に重きを置く生活を毎日送っている。
しかし、それだけの学問で突き詰めていってもやがて行き詰る。なぜならば、突き詰めていっても答えがすぐ変わるから。これは何を意味しているかというと日々“進化”しているということだ。
昨日バレー関係者の馬場という男に会いコーチングについて熱く議論していたとき、やっぱり自分の経験を生かした発想が大事でそれがもしぶっとんでる考えであっても今まで生き学んだ知恵ならそれを現場に活かすべきだ。とゆー話から私はそれをどんどん発信していけ!その結果、基本に戻るのか、もう少し先へぶっ飛ぶのかわかるいという話をしていたとき、馬場が『まちがいない!けど基準は大事や!忘れたらあかん!!』と言った。
じゃトレーニングの基準って何なん?って感じた。
大半のトレーニングをかじっている人は、ビックスリー(ベンチ・スクワット・デッド)そしてクリーンというのではないだろうか?教科書や雑誌にはすごく推奨されているからね!
自分の経験から言うとこと、これらの種目がトレーニングの基準として捉えられる考えなんて絶対にありえない。
20年昔にこの種目が大事だと言わていたのに20年たつ今になってもこの種目に重きおくスタイルについて少しは疑問を持たなければなれない。
違う例で言うと、電話機は昔すげーでかかった それがコンパクトになりやがて子機の電話機が登場そして、デカ携帯 そして白黒携帯 カラー携帯 そしてスタイリッシュな携帯 そして今はスマホとして日々進化しているじゃないか。じゃ電話機の基準って何??といえば、誰も『形!色!』と答える人はいないだろう。間違いなく電話機は基準は『喋れて、メール打てる』ことにあるはずです。
そしたらトレーニングの基準って何?と言われれば種目とか、器具とかレップ数とかセット数じゃなくて競技現場なら『勝つトレーニング』がトレーニングの基準にならなきゃいけない。
それがビックスリーやクリーンでいいの???
絶対違う。なぜならそれだけやっても結果がだせるわけがないからだ。
このトレーニングをやれば万人が絶対に結果がだせるってトレーニングあるの?もしあるならそれが基準になってるはず。しかし、こうやって万人に結果を出せるトレーニングがないからこそこうやって今も、それを探して進化しているはず。いつまでたっても過去に重要とされたトレーニングにこだわってやり続けても、日々進化している周りに勝てるわけがない。私はスマホだけどあなたはまだ白黒携帯ってことと一緒。(多分日本の10年後もビックスリーだのクリーンだの言われているでしょう・・・。)
勝つトレーニングの基準とは現場のコーチが指導するメニューこそ基準になるべきなんだ。と思う。
また、そのぐらい今のやってる自分のコーチングやトレーニングに想いがないと絶対に選手に伝わらないと思っています。
私のレスリング部の恩師・藤本先生はメニューが何十年と全く変わっていません。これは上で述べた、進化していないということではありません。
藤本先生の経験、そして考え、想いが行き着いた先がレスリング部のメニューだったんでしょう。アメリカでトレーニングやコーチングを目の当たりにして多々、俺もいつの日か、藤本先生のトレーニングに行き着いてしまうような気がすると感じたことが多々ありました。しかし、まだあそこには全然行き着けません。だからもっと多くのことを学び、考えなきゃ藤本先生の指導法を越えることはできません。
そこで自分の特技でもある“発想”を大事にしようと考えました。
上でも述べたようにコーチング学やトレーニング学を突き詰めていってもなかなか進まない状況です。そこで過去のブログにも書いた“脳研究”の学問からコーチングを見つめなおすことにしました。
するとどんどんアイデアが浮かんできます。これは新たな発見であり進化といえるでしょう。
研究者の中には僕みたいに体育科学の学問にさらに違う学問 今回なら脳の学問交えて考えることに対して、自分の学問もわからないのに別のジャンルの学問に手を出すなんて時間の無駄!自分に学問に時間を注げ!とか、また自分の学問のことで手がつけられないのに他の学問に手を出してしまったらもっとわからなくなってしまう。とか言う人がいます。
何様?
僕はこーゆう考え大嫌いです。
そもそも自分に得意とする分野に何十年と膨大な時間を費やし追究してきたのにまだわからない・・・そのくら奥が深いものなのに、他ジャンルときたら学ばずしてそこに手を出すと危ない的な言い方をする・・知った口叩くな!といいたいです。
すごい失礼!!
その発言はクリーンやったこともないくせに、クリーンは怪我するからやったらダメ!と言ってるのと同じ。
また自分の経験にもごくまれにあるのですが、飲み会の時に私が体育会系っということもあって、飲み会にきた人が『俺も同じ体育会系だからー!へーいとかいって握手求めてくる人。』 話を聞けば中学まで運動部で頑張ってた。はぁ??高校は?帰宅部?・・・・・・・正直すげーイラっとした経験があります。俺らは大学いってまでも寮生活をし理不尽な規則やルールに従い、何かあったら連帯責任、朝早くから掃除したり食事をつくったり大学生になってまでも門限ある生活を送る中競技生活に時間を費やしてたんだ。それに比べてお前は何をしてたんだ!まじで一緒にするな!と かなり失礼だと感じました。
今私は脳研究の本を読みあさってますが、すげー表面的だけで脳ののの字もわかっていません。
しかしながらその表面的なことだけど学んでいるうちに自分にコーチングと密接に関わってくることが多く感じました。
今やってることに重要なことが脳だと考え、脳について学び、脳に密接に関係してるときは睡眠学、睡眠に関係することは寝具学と・・・きりが無いですが、本質を追い求めていくと他ジャンルの学問の力や考えを持てる人にならなければ進化はしないと最近強く感じています。
自分の分野の範囲内でしか学ばないと言っている人は単細胞で、他ジャンルを学び少しでも自分に専門領域を進化させようとしている人はまさしく多細胞な人だと思います。
しかし脳研究の学問が大事だからと言って闇雲に学んではいけません。
自分のコーチング学に対しても自分の考えと合った人もいれば合わない人もいるものです。、合わない人とのコーチングを学んでもすごくつまらないものになってしまう。だからこそ類はとも呼ぶではないですが自分の考えに似た人と話あったりディスカッションしたときはすごく楽しい時間になります。
自分は少し?異端児的な発想を持っているので脳研究の異端児的な池谷さんの本を読んだとき一瞬で好きになりました。一字一句がおもしろくてたまらない。また発想が豊かというのも茂木さんと似ている部分で共通していう点があります。またこの2人に共通しているのが本質にこだわっているということです。僕が一番好きなとこです。こうやって本選びに成功しています。もし僕と考えが合わない脳研究者の本を読んでしまったら多分今は脳の本を読んでいなかったのではないかと思っています。まずは楽しくなくてはいけません。
結果が出たことによって楽しくなるのではなく、楽しくないと結果はでないということです。
今宇宙物理学の天文学の本を読んでますが、天文学は科学において一番歴史の古い学問であると思います。
つまり全てが元型である 本質がどんどん生みださている学問です。
すごくわからない。
わからないことだらの自分がすごくおもしろいです。
長々となりましたが、最後にアインシュタインの言葉で〆たいと思います。
『この宇宙でもっとも理解不能なこと、それはこの宇宙が理解可能であることだ。』
※帰国する前あたりから ちょいちょい このブログ勉強になります。とメッセージくれる読者がいます。
見ず知らずの私のブログを読んでいただきありがとうございます。www
常識の奥に進化あり。
ブログ書こうと思ったら、ちょっと変わっててすげーやりずらいアメブロ。
もうすぐ僕のやってることを現場で活用していきますが、ここらからさらに進化していくと思います。なぜなら現場で活用するネタだからです。現場の意見こそ僕のやっている理論を進める一番の方法です。その前に僕のやってる理論を知ってるいる人に見てもらってからコーチや選手、コーチング学の先生、脳研究者に見てもらう機会を作っていきたいなと考えています。
体育科学に関する研究論文は先行研究や参考文献などを見てもほとんどが体育科学の分野からのアプローチが多いと感じます。たまたま多趣味ということがあって、他の学問の研究に目を通しているいるときその学問分野以外のアプローチの多さに はぁ!と気づきました。参考文献を見ても違う学問から見た視点や発想による共通点を探し自分に研究学問を見ている。体育科学にはありえない多ジャンルの目線から一つ議題に着目するのは常識を覆す発想が生まれるかもしれないという自分にはあったスタイルだなと感じています。それに似たTVがホンマデッカTVだと思います。一つの議題に対していろんな評論家や学者が自分に専門領域から物申すあのおもしろさ。 自分は澤口先生が好きです。
アメリカ人にリスクをかけても進化するか?と訊けば5割の確立でリスクを負ってでも進化にかけるというでしょう、しかし、日本の場合は8割は、現状維持を望む人が多いのではないでしょうか。研究者や現場にでている人もそうです。
ライト兄弟が飛行機の飛行に成功するまでは、フランスの物理学者により人間は人工物体を空に飛ばすことは不可能という論文を発表していました。 学者や研究者や技術者のほとんどそうですが、今ある知識や統計の水準で、“これはできる、これはできない”を断定しています。しかし、それでは文明がここまで進化することはありません。将来こうなってほしいんだ!という気持ちが文明を進化させてきたんではないでしょうか。
その為には常識と向き合わないといけない。 すごい手ごわいです。だって当たり前のことなんだから。
鳥は空を飛ぶか?という質問をバレー関係者の馬場にしました。そしたら『当たり前やろ!』といいました。 答えは不正解です。なぜなら、ペンギンやニワトリは空を飛べないからです。
そして次に、口ほどにもないバレー関係者の馬場に解熱剤の飲んだら熱がさがった。正解ですか?不正解ですか?と訊いたら馬場は『下がるに決まってるやろ』と言いました。答えは、正解だとは言い切れません。なぜならば、解熱剤を飲まなくても熱は下がったかもしれないからです。ここで馬場は言いました『そやけど飲んだら下がる傾向があるって統計ででてるやろ!』と。
自分の分野でいくとハイクリーンをすれば競技能力は向上した。これは正解ですか?不正解ですか?答えは、、、もうわかってると思いますが、そうとは言い切れないということです。しかし否定もできない。なぜならば、馬場の言う通り過去の膨大な研究データに裏づけされた結果が数値として記録されているから。では数値って一体なんなんだ!
こうゆう考えはどうでしょう。
『天然パーマの人はIQが低い。』この答えは・・正解になる。 アフリカの人たちは日本人や欧米系の人より天然パーマの人が多い。これはアフリカの人がIQが低いって言うてるんじゃなくて、環境問題とか飢餓や貧困が関わってきていて実際に教育を受けれていない場所が多いという理由がある。そこで統計を取ったら、天然パーマの人はIQが低いとい結果になるだろう。ここでいうIQが低いという結果は数値、ただの相関でしかない。これを結果として認めても、これが全てだと言い切れるのだろうか? 確かに言ってることは間違ってはいない。けど、何か負に落ちない点がでてくる だってあまりにも無理やり感があると思うから。そう考えると、この世の中に出回ってる論文の数値ってどうなん?とつっこみをいれたくなってくる。あくまでもただの相関であってそれが因果関係に結びつくと言い切れない。どんな研究をしても“そうゆう傾向がある”としか言えないのが俺らのやってる研究なのかもしれない。自分の業績や功績として割り切って残すのならいいけど、それを現場で使おうと思って研究をするならもう少し目を向ける部分を変えるべきことがでてくる。傾向があることを“絶対そうだ”と信じてしまい。それが常識になるほど怖いものはない。重要なことは常に“そうゆう傾向がある”。ただそれだけということを肝に銘じておけば例外もあるしこの先変わるかもしれないと心構えを 知っておくことが大きな失敗を招かないことにつながると感じている。
言いたいことは、
・論文により信用性のばらつきがあるということ。
・相関はあくまでも、傾向があるというだけで因果関係には結びつかない。
・論文は慎重に見極めれる力も研究者や論文を読む人にとっては重要なことで、それもまた、論文に載っている常識に疑問に思え。 ということ。
そうじゃないと、その結果や研究ででた答えの時間から
“進化は止まってしまう。”ということです。
そこが一番怖いことだ。
進化が止まってしまうぐらいなら、一生わからなくても出た答えの常識に向き合い、さらにその出た答えの常識に向き合い続ける繰り返しで結局一生わからなく死んでいったほうがいいと思います。寿命ある限り進化させていくのも僕みたいに気づいた人の使命だと思ってます。
進化は止めないことです。
もうすぐ僕のやってることを現場で活用していきますが、ここらからさらに進化していくと思います。なぜなら現場で活用するネタだからです。現場の意見こそ僕のやっている理論を進める一番の方法です。その前に僕のやってる理論を知ってるいる人に見てもらってからコーチや選手、コーチング学の先生、脳研究者に見てもらう機会を作っていきたいなと考えています。
体育科学に関する研究論文は先行研究や参考文献などを見てもほとんどが体育科学の分野からのアプローチが多いと感じます。たまたま多趣味ということがあって、他の学問の研究に目を通しているいるときその学問分野以外のアプローチの多さに はぁ!と気づきました。参考文献を見ても違う学問から見た視点や発想による共通点を探し自分に研究学問を見ている。体育科学にはありえない多ジャンルの目線から一つ議題に着目するのは常識を覆す発想が生まれるかもしれないという自分にはあったスタイルだなと感じています。それに似たTVがホンマデッカTVだと思います。一つの議題に対していろんな評論家や学者が自分に専門領域から物申すあのおもしろさ。 自分は澤口先生が好きです。
アメリカ人にリスクをかけても進化するか?と訊けば5割の確立でリスクを負ってでも進化にかけるというでしょう、しかし、日本の場合は8割は、現状維持を望む人が多いのではないでしょうか。研究者や現場にでている人もそうです。
ライト兄弟が飛行機の飛行に成功するまでは、フランスの物理学者により人間は人工物体を空に飛ばすことは不可能という論文を発表していました。 学者や研究者や技術者のほとんどそうですが、今ある知識や統計の水準で、“これはできる、これはできない”を断定しています。しかし、それでは文明がここまで進化することはありません。将来こうなってほしいんだ!という気持ちが文明を進化させてきたんではないでしょうか。
その為には常識と向き合わないといけない。 すごい手ごわいです。だって当たり前のことなんだから。
鳥は空を飛ぶか?という質問をバレー関係者の馬場にしました。そしたら『当たり前やろ!』といいました。 答えは不正解です。なぜなら、ペンギンやニワトリは空を飛べないからです。
そして次に、口ほどにもないバレー関係者の馬場に解熱剤の飲んだら熱がさがった。正解ですか?不正解ですか?と訊いたら馬場は『下がるに決まってるやろ』と言いました。答えは、正解だとは言い切れません。なぜならば、解熱剤を飲まなくても熱は下がったかもしれないからです。ここで馬場は言いました『そやけど飲んだら下がる傾向があるって統計ででてるやろ!』と。
自分の分野でいくとハイクリーンをすれば競技能力は向上した。これは正解ですか?不正解ですか?答えは、、、もうわかってると思いますが、そうとは言い切れないということです。しかし否定もできない。なぜならば、馬場の言う通り過去の膨大な研究データに裏づけされた結果が数値として記録されているから。では数値って一体なんなんだ!
こうゆう考えはどうでしょう。
『天然パーマの人はIQが低い。』この答えは・・正解になる。 アフリカの人たちは日本人や欧米系の人より天然パーマの人が多い。これはアフリカの人がIQが低いって言うてるんじゃなくて、環境問題とか飢餓や貧困が関わってきていて実際に教育を受けれていない場所が多いという理由がある。そこで統計を取ったら、天然パーマの人はIQが低いとい結果になるだろう。ここでいうIQが低いという結果は数値、ただの相関でしかない。これを結果として認めても、これが全てだと言い切れるのだろうか? 確かに言ってることは間違ってはいない。けど、何か負に落ちない点がでてくる だってあまりにも無理やり感があると思うから。そう考えると、この世の中に出回ってる論文の数値ってどうなん?とつっこみをいれたくなってくる。あくまでもただの相関であってそれが因果関係に結びつくと言い切れない。どんな研究をしても“そうゆう傾向がある”としか言えないのが俺らのやってる研究なのかもしれない。自分の業績や功績として割り切って残すのならいいけど、それを現場で使おうと思って研究をするならもう少し目を向ける部分を変えるべきことがでてくる。傾向があることを“絶対そうだ”と信じてしまい。それが常識になるほど怖いものはない。重要なことは常に“そうゆう傾向がある”。ただそれだけということを肝に銘じておけば例外もあるしこの先変わるかもしれないと心構えを 知っておくことが大きな失敗を招かないことにつながると感じている。
言いたいことは、
・論文により信用性のばらつきがあるということ。
・相関はあくまでも、傾向があるというだけで因果関係には結びつかない。
・論文は慎重に見極めれる力も研究者や論文を読む人にとっては重要なことで、それもまた、論文に載っている常識に疑問に思え。 ということ。
そうじゃないと、その結果や研究ででた答えの時間から
“進化は止まってしまう。”ということです。
そこが一番怖いことだ。
進化が止まってしまうぐらいなら、一生わからなくても出た答えの常識に向き合い、さらにその出た答えの常識に向き合い続ける繰り返しで結局一生わからなく死んでいったほうがいいと思います。寿命ある限り進化させていくのも僕みたいに気づいた人の使命だと思ってます。
進化は止めないことです。
湿度90%にしたら、我がホーム、マイアミの気候と同じ笑
次はさらにプラスして目の前から向かい風5mでやってくれるらしいです。
これは人間の閾値を調べてるのでしょうか笑
できることと、できないこと。
最近後輩の金久保のレスリングを考えていたときに はぁ!と気づきました。
金久保のレスリングは全くおもしろくもなく、スタンドではただ時間が過ぎるのを待って、グランドで守って返して勝つというスタイル。
全くおもしろくないです。
しかし絶対勝つんです。
元K-1武蔵選手のスタイル、ヒット&アウエイ。
当てて逃げて当てて逃げて。
見てる方からしたら全くおもしろくないんです。
しかしヘビー級の中、K1グランプリ準優勝までいきました。
この2人は、自分のできることだけをやって、できないことはやらないに徹した人です。
つまり自分のできることと、できないことをちゃんと把握している人です。
最近こうゆう、自分を知るということを常に考えて行動しています。
自分は大学院に行きながらも、学会で発表できる論文や研究はしていません。一時期は進路ミスか?と思った時期もありました。
しかし確信しました。確実に間違ってないんだと。
自分のやってることは自分でよくわかっています。
今やってる研究は超スーパー現場型です。この研究を学会などで発表しても、あんた魔法使いなこと言うんじゃないよ?とか言われるのがオチです。しかし現場では初対面であっても10分もたたづして選手は自分の言ってることを理解し信頼に一気にもっていけます。研究者や学会では評価されなくても、自分は現場で評価されればいいと思ってます。
研究は全て学会や学術的に評価されることだけが目的ではありません。現場において評価されることも研究として重要なことです。
選手や現場に立っている人は研究で発表されたことを見ても、だから何?なんの意味があるの?というコメントを多く残します。つまり直結できないからです。また研究者は、統計がでたし、傾向がある。数字もしっかりでてるんだからこうすればいい。数字で現場を組もうとします。
他の学問はどうなのかわかりませんが。少なからず体育科学においては研究機関と現場が一緒の枠組みで見られていることがこのすれ違いを生んでいるんじゃないかと考えています。
ある社長が言ってました。
『頭のいい人材だけを集めても会社は成り立たない。仕事がなかなかできない社員がいて教育係ができる。またお客さんが来たときにお茶をださないといけない。必ずしも頭のいい社員が教育やお茶汲みができるとは限らない。お茶汲みだって立派仕事だ。』
スポーツの場合はチームですが、エリート集団を作っても成り立たないよってことです。その辺を考えるとうちのチームは成り立ってるなって感じます。
最初の本題に戻りますが、こう考えるとやっぱり自分は現場に立つべきだと思うようになりました。
研究の中では評価されませんが、現場では確実に評価されています。
かと言って研究している人を否定はしていません。否定する力もありません。自分が学術的に評価される研究なんてできないからです。別に僕がやらなくても研究に適した人がやってくれるので。
自分は自分が評価される本領発揮できる現場に力をだせばいいのだ!と。
現在は現場で活用できる研究を進めています。もうすぐ具体的に完成します。ここに行き着くまでに膨大な時間を費やしました。けどほんとに自分のやりたいことに夢中になれてる楽しい時間でした。
今思うと自分が研究がすすまなかった原因として学会や学術的に評価される研究をしなければならないという自分にとっては悪魔の囁きがありました。しかし、現場で評価される研究として見方を変えるとなんて天使の囁きなんだと変貌しました。
僕の性格を知ってる人は皆思いますが、自分がこれをやると自分で進んで決めたときには他の人よりも寸断エンジンがかかります。
わざわざできなことをやらなくてもいいだ。できることだけに力をそそげ!
また最近は物事を本質的にとらえようとしています。
本質ほどつきつめていってもいきつく先は、わからない。
そうわからないということがわかった。ことに気づけるだけ進歩した考えで物事を捉えているな思っています。
本質に勝る進化はなし。
金久保のレスリングは全くおもしろくもなく、スタンドではただ時間が過ぎるのを待って、グランドで守って返して勝つというスタイル。
全くおもしろくないです。
しかし絶対勝つんです。
元K-1武蔵選手のスタイル、ヒット&アウエイ。
当てて逃げて当てて逃げて。
見てる方からしたら全くおもしろくないんです。
しかしヘビー級の中、K1グランプリ準優勝までいきました。
この2人は、自分のできることだけをやって、できないことはやらないに徹した人です。
つまり自分のできることと、できないことをちゃんと把握している人です。
最近こうゆう、自分を知るということを常に考えて行動しています。
自分は大学院に行きながらも、学会で発表できる論文や研究はしていません。一時期は進路ミスか?と思った時期もありました。
しかし確信しました。確実に間違ってないんだと。
自分のやってることは自分でよくわかっています。
今やってる研究は超スーパー現場型です。この研究を学会などで発表しても、あんた魔法使いなこと言うんじゃないよ?とか言われるのがオチです。しかし現場では初対面であっても10分もたたづして選手は自分の言ってることを理解し信頼に一気にもっていけます。研究者や学会では評価されなくても、自分は現場で評価されればいいと思ってます。
研究は全て学会や学術的に評価されることだけが目的ではありません。現場において評価されることも研究として重要なことです。
選手や現場に立っている人は研究で発表されたことを見ても、だから何?なんの意味があるの?というコメントを多く残します。つまり直結できないからです。また研究者は、統計がでたし、傾向がある。数字もしっかりでてるんだからこうすればいい。数字で現場を組もうとします。
他の学問はどうなのかわかりませんが。少なからず体育科学においては研究機関と現場が一緒の枠組みで見られていることがこのすれ違いを生んでいるんじゃないかと考えています。
ある社長が言ってました。
『頭のいい人材だけを集めても会社は成り立たない。仕事がなかなかできない社員がいて教育係ができる。またお客さんが来たときにお茶をださないといけない。必ずしも頭のいい社員が教育やお茶汲みができるとは限らない。お茶汲みだって立派仕事だ。』
スポーツの場合はチームですが、エリート集団を作っても成り立たないよってことです。その辺を考えるとうちのチームは成り立ってるなって感じます。
最初の本題に戻りますが、こう考えるとやっぱり自分は現場に立つべきだと思うようになりました。
研究の中では評価されませんが、現場では確実に評価されています。
かと言って研究している人を否定はしていません。否定する力もありません。自分が学術的に評価される研究なんてできないからです。別に僕がやらなくても研究に適した人がやってくれるので。
自分は自分が評価される本領発揮できる現場に力をだせばいいのだ!と。
現在は現場で活用できる研究を進めています。もうすぐ具体的に完成します。ここに行き着くまでに膨大な時間を費やしました。けどほんとに自分のやりたいことに夢中になれてる楽しい時間でした。
今思うと自分が研究がすすまなかった原因として学会や学術的に評価される研究をしなければならないという自分にとっては悪魔の囁きがありました。しかし、現場で評価される研究として見方を変えるとなんて天使の囁きなんだと変貌しました。
僕の性格を知ってる人は皆思いますが、自分がこれをやると自分で進んで決めたときには他の人よりも寸断エンジンがかかります。
わざわざできなことをやらなくてもいいだ。できることだけに力をそそげ!
また最近は物事を本質的にとらえようとしています。
本質ほどつきつめていってもいきつく先は、わからない。
そうわからないということがわかった。ことに気づけるだけ進歩した考えで物事を捉えているな思っています。
本質に勝る進化はなし。
焼肉理論
帰国してレスリング版脳科学のパワポでまとめて研究する計画を着実にすすめています。
やっぱり自分で考えてこそなんぼ。
常に考えてる人でありたいと考えている今日この頃です。
自分の経験談を含め最近あらためて感じることを書きます。
海外と日本のトレーニング現場においてのコーチングに関してざっくり言えば、海外は個性ある指導者が多く、日本はマニュアルに沿った指導者が多いということです。
これについてどちらが正解でどちらが間違ってるということではありません。
両方を経験し見てきた自分にとって一つの疑問が生じました。
個性あるということは、自分の経験や考えをフルに活用し現場で発揮してる。
マニュアル通りとは、誰かが作ったマニュアルでそれに沿って動くということに発揮してる。
つまりマニュアルとは誰かが考えた経験や考えであり、言わば誰かの指導方法に着目しそれを模範としているということ。結局はマニュアルも誰かが考えた“個性”という場所に帰ってくるものだと思います。
しかしこの両者の決定的な違いは、前者は自分で考えて行動し、後者は他人の考えで行動しているという点にあるというところです。
つまり後者のマニュアル通りを理解する為には、マニュアルを作った人の人間性や なぜそのマニュアルになったのか?その人の生い立ちや経験を追わないと その人が言うマニュアルの本質といった場所まで理解できないということです。
トレーニング界だけではありませんがそういった“本質を知らないけど教えてる”という状況は日本の世の中ははびこりすぎています。
ベンチプレスにしても一体誰が考え なぜその動作をしたのか?知らない限りベンチプレスの本質や元型には迫れないでしょう。ただ胸の筋肉がつくとかビック3だというだけであって練習している。それほど怖いものはないと最近感じ初めています。回りでトレーナーやコーチとして選手に指導にあたっている人を見るとホントにそのトレーニング種目や考え方の本質を理解しているのかな?表面的でここが鍛えられるからやってるだけじゃないのかな?って思ってます。もし表面的な知識だけで指導に当たっているなら、マニュアルに沿るんじゃなくてあなたにしか経験してない経験をフルに活用して指導現場にあたってほしいと思ってます。そうじゃないともったいないよ。もし本質を知ったとき、ああじゃこのトレーニング俺には必要ないわって思うことも多々でてくるんではないかと思っています。
言いたいことは“知らないことほど怖いものは無い”ということです。
さらに強く言うと“知らないことに気づいていないことが一番最悪であり、周りにも影響を産む”ということです。
例えば、部活でスクワットを指導しているコーチがいるとします。少し練習をし、細かいことはおいといて完全にできない状態で選手のフォームがある程度できたと判断し重量を挙げていく。こういったパターンが多く見受けられる。
ここでコーチの目は二手のルートに別れます。
1つは、コーチがフォームができてないってわかってるけど重量を挙げさせたのか?
もう1つは、フォームができてないのを気づくことなくコーチが重量を挙げさせたのか?
両者とも、このまま続けも逆に選手のパフォーマンスの低下や怪我をさせてしまう可能性がでてくる。
ここで前者のできてないのをわかっているならば今の指導や方法を変えて違う方向性から指導をしていていかなくてはなりません。後者であれば、同じコーチとして非常に残念です。
それと同時に練習をした選手はこれでスクワットができてる。やってるとい気になってフォームができてなくてもできてる。という状況を産むことになります。
これほど怖いものはありません。
知らないことがあるのはダメなことかもしれませんが、知らないことがあるのに気づいていない方がよっぽど怖いということです。
本を読んだだけで自分はもう知ってる。この思い込みこそ敵なのです。常に考えなきゃいけない。
コーチ陣がそこを徹底してやらないと適当にやるツケはいつか自分や選手にかえってくると思います。
また良い例として、元K-1ファイターに武蔵という選手がいました。
武蔵の戦い方はパンチを当てて逃げるというヒット&アウエイという方法で試合を組み立てていました。結果、観客からはブーブー言われましたが、世界2位という成績を収めました。
武蔵の良いところは『できないことはしない』というところでした。
外人選手で大振りフックの選手がいますが試合はすごく面白い。勝ち方も豪快、負け方も豪快。けど優勝はできない。
中日の落合監督も試合展開はおもしろくないからファンは離れていったそうですが、結果は残してます。
何よりも結果を出す為には『できないことはしない、できることだけする』ことを徹底しているのだと思います。
ここで最近、ためした焼肉理論を紹介したいと思います。
たいていの人は焼肉へ行くときは腹を空かしていきます。
そして頼みすぎて残すことが多い食事です。
・ルールは食い切れなかったり、肉を焦がして捨てる、まだまだ喰えるという状況では失敗。満腹でありながら残さなかったら成功。
・注文は飲み物以外一回のみ。¥
そう一回の注文で、空腹から大量に喰いたい!だからついつい多く頼んで、残すというリスクを横目に冷静に自分の胃袋と相談しなければなりません。これもまた自分の力量を知るということです。
自分の力量を知らなかったら肉を残し、気持ち悪くて喰えなくなるという悲惨なリスクや失敗を犯してしまうかもしれません。空腹からの大好きな焼肉。この誘惑と勝負し自分の適量を判断できる力が養うのも焼肉を食すときのカギになります。
僕の口癖は『やるからには成功させる。失敗する癖をつけない。』と常に言ってます。
それは小さなことから大きなことまで全て実行しています。
さらに最近は常にプラスの考えに何事も変換できるように心がけ、思い込みはなくそう常にネガティブなことにもポジティブなことにもなぜそなるんだと考えるようにしています。
とりあえず、
『できないことをやっても、できないことが増殖していくだけで、
できることだけをやればいい ということです。
できることだけをやっていれば、できることが増殖していくもんだ』と最近感じています。
長いクダリでしたが、言いたいことは最後の3行です。
最近このブログは、発信というより自分の頭の整理として書いてるだけです笑
やっぱり自分で考えてこそなんぼ。
常に考えてる人でありたいと考えている今日この頃です。
自分の経験談を含め最近あらためて感じることを書きます。
海外と日本のトレーニング現場においてのコーチングに関してざっくり言えば、海外は個性ある指導者が多く、日本はマニュアルに沿った指導者が多いということです。
これについてどちらが正解でどちらが間違ってるということではありません。
両方を経験し見てきた自分にとって一つの疑問が生じました。
個性あるということは、自分の経験や考えをフルに活用し現場で発揮してる。
マニュアル通りとは、誰かが作ったマニュアルでそれに沿って動くということに発揮してる。
つまりマニュアルとは誰かが考えた経験や考えであり、言わば誰かの指導方法に着目しそれを模範としているということ。結局はマニュアルも誰かが考えた“個性”という場所に帰ってくるものだと思います。
しかしこの両者の決定的な違いは、前者は自分で考えて行動し、後者は他人の考えで行動しているという点にあるというところです。
つまり後者のマニュアル通りを理解する為には、マニュアルを作った人の人間性や なぜそのマニュアルになったのか?その人の生い立ちや経験を追わないと その人が言うマニュアルの本質といった場所まで理解できないということです。
トレーニング界だけではありませんがそういった“本質を知らないけど教えてる”という状況は日本の世の中ははびこりすぎています。
ベンチプレスにしても一体誰が考え なぜその動作をしたのか?知らない限りベンチプレスの本質や元型には迫れないでしょう。ただ胸の筋肉がつくとかビック3だというだけであって練習している。それほど怖いものはないと最近感じ初めています。回りでトレーナーやコーチとして選手に指導にあたっている人を見るとホントにそのトレーニング種目や考え方の本質を理解しているのかな?表面的でここが鍛えられるからやってるだけじゃないのかな?って思ってます。もし表面的な知識だけで指導に当たっているなら、マニュアルに沿るんじゃなくてあなたにしか経験してない経験をフルに活用して指導現場にあたってほしいと思ってます。そうじゃないともったいないよ。もし本質を知ったとき、ああじゃこのトレーニング俺には必要ないわって思うことも多々でてくるんではないかと思っています。
言いたいことは“知らないことほど怖いものは無い”ということです。
さらに強く言うと“知らないことに気づいていないことが一番最悪であり、周りにも影響を産む”ということです。
例えば、部活でスクワットを指導しているコーチがいるとします。少し練習をし、細かいことはおいといて完全にできない状態で選手のフォームがある程度できたと判断し重量を挙げていく。こういったパターンが多く見受けられる。
ここでコーチの目は二手のルートに別れます。
1つは、コーチがフォームができてないってわかってるけど重量を挙げさせたのか?
もう1つは、フォームができてないのを気づくことなくコーチが重量を挙げさせたのか?
両者とも、このまま続けも逆に選手のパフォーマンスの低下や怪我をさせてしまう可能性がでてくる。
ここで前者のできてないのをわかっているならば今の指導や方法を変えて違う方向性から指導をしていていかなくてはなりません。後者であれば、同じコーチとして非常に残念です。
それと同時に練習をした選手はこれでスクワットができてる。やってるとい気になってフォームができてなくてもできてる。という状況を産むことになります。
これほど怖いものはありません。
知らないことがあるのはダメなことかもしれませんが、知らないことがあるのに気づいていない方がよっぽど怖いということです。
本を読んだだけで自分はもう知ってる。この思い込みこそ敵なのです。常に考えなきゃいけない。
コーチ陣がそこを徹底してやらないと適当にやるツケはいつか自分や選手にかえってくると思います。
また良い例として、元K-1ファイターに武蔵という選手がいました。
武蔵の戦い方はパンチを当てて逃げるというヒット&アウエイという方法で試合を組み立てていました。結果、観客からはブーブー言われましたが、世界2位という成績を収めました。
武蔵の良いところは『できないことはしない』というところでした。
外人選手で大振りフックの選手がいますが試合はすごく面白い。勝ち方も豪快、負け方も豪快。けど優勝はできない。
中日の落合監督も試合展開はおもしろくないからファンは離れていったそうですが、結果は残してます。
何よりも結果を出す為には『できないことはしない、できることだけする』ことを徹底しているのだと思います。
ここで最近、ためした焼肉理論を紹介したいと思います。
たいていの人は焼肉へ行くときは腹を空かしていきます。
そして頼みすぎて残すことが多い食事です。
・ルールは食い切れなかったり、肉を焦がして捨てる、まだまだ喰えるという状況では失敗。満腹でありながら残さなかったら成功。
・注文は飲み物以外一回のみ。¥
そう一回の注文で、空腹から大量に喰いたい!だからついつい多く頼んで、残すというリスクを横目に冷静に自分の胃袋と相談しなければなりません。これもまた自分の力量を知るということです。
自分の力量を知らなかったら肉を残し、気持ち悪くて喰えなくなるという悲惨なリスクや失敗を犯してしまうかもしれません。空腹からの大好きな焼肉。この誘惑と勝負し自分の適量を判断できる力が養うのも焼肉を食すときのカギになります。
僕の口癖は『やるからには成功させる。失敗する癖をつけない。』と常に言ってます。
それは小さなことから大きなことまで全て実行しています。
さらに最近は常にプラスの考えに何事も変換できるように心がけ、思い込みはなくそう常にネガティブなことにもポジティブなことにもなぜそなるんだと考えるようにしています。
とりあえず、
『できないことをやっても、できないことが増殖していくだけで、
できることだけをやればいい ということです。
できることだけをやっていれば、できることが増殖していくもんだ』と最近感じています。
長いクダリでしたが、言いたいことは最後の3行です。
最近このブログは、発信というより自分の頭の整理として書いてるだけです笑
決めた
帰国後友達たちにBeyond the zeroどう?とか、トレーニングどう?って聞かれる。
もちろんそうだろう。トレーニングの勉強兼視察しにいったんだから。
前やってたトレーニングとか、DVDとかもう生産中止で。2度と見ること無いような気もする。
昔やってたトレーニングが結果良くも、悪くても、成果あっても、無くてもに関係なく俺は今までやってたトレーニングを捨てることにした。
古いものは捨てないと新しいものは入ってこないからだ。
つまり“進化”するためだ。
古き良き物を残すという言葉があるが、今までの経験は全て今の自分の血となり肉となって人間形成に役立っているだろうが、わざわざ現物として残そうとは思わない。
海外に出た理由を一言で言うと自分と向き合う時間がほしかったからだ。
出国する前、自分と向き合う時間がほとんど無くなった。それがすごく疲労感と違和感を作った。
海外に行く前に俺思う最高の指導論は、指導者や監督の指導を押し付けて監督の考えを選手に埋め込ませるより、監督の指導方法を学び選手の数だけトレーニング方法や考え方が生まれるのが(独学)理想と思っていた。
それはこの海外から帰ってきて改めて確信している。
世の中には他人の勧めや、押し付けがどこにいってもはびこっている。
部活の独裁的な監督や、TV番組で言えば通販だろう。
良い例で、鈴木あみというアイドルがいるが、あの人は一回芸能界を離れた。
理由は、何で他人のひいたアイドル路線で、他人の用意した服装で、他人が決めたスケジュールで、他人が書いた歌詞で生活しないといけないの?そんなん自分がやりたかったことじゃない!とふと思ったらしい。昔ほど今は活躍できていないが今のほうがめっちゃ幸せと言っている。
今の時代は金もうけできてるこそが幸せを掴んだと勝ち組とされているが、実際、スポーツの場合でもオリンピックでメダルを獲って燃え尽き症候群になったりする人も少なくないし、アイドルとして大人気であってもいきなり自殺したり、はたやアフリカの子供たちの笑顔やキューバ人のスーパー物ない生活や海外で出会った最低限の生活で楽しんでいる生活を見て幸せを感じているのを見ると本当の勝ち組はどこにあるのか考えさせれた。
スポーツの中で、結果が出る出ない関係なく燃えつき症候群になってしまうことから、起こる理由に他人が決めた路線もしくは自分で決めた路線が大きく影響しているんじゃないかて思う。
また、皆は脳が考えて体が動くと思われがちだが実際は、体で動いたことに脳が考えているらしい。
その二つのポイントからの
極論を言えば、何事も“自分で考えて、自分で決定する”ことが一番大事ってこと。
そして考える前にまず行動しろ!そしたら脳も考える。“行動して脳を動かせ”まずやってみろ!ってことだ。
今の自分は指導現場や頼られる場面が多いのが事実。
だからこそ、自分がどうゆう人間であるのかより知らなくてはならない。
自分を知ることが他人から見た自分の魅力でもある。
だから選手や友達に俺は こうしろ ああしろ という言葉がけはしない。
あくまでも選手や相談者が自発的に動き考え決定してくれないと真の勝ち組にはなれないと思う。
だからもし、選手がこうなりたい とかああなりたい とか言う言葉に、そのためにはこのメニューをやれってこの種目をやれここを鍛えろと言うのではなく、そのためには何が必要だと思う?何セット?それができたらどうなるの?と言った疑問で返し自分自身で目標を達成するために自分で目標達成の設定を自発的に考えされるようなコーチでありたいと最近考えています。
つまり、コーチングの最期の極論を言えば、
“指導しない”こと
に尽きると考えています。
もし部活をコーチが指導しなくなったら、自分で何かを考えるでしょう。はたや部活をやめるかもしれません。しかしそれこそ自分で決めたレールなんです。
人間の数だけ、選手の数だけ考え方があっていい。
それを多く生産するほどぶつかり合い納得し新たな発見そして進歩があると思っています。
強く言いますがコーチは選手人数分の発想を生み出すことが、選手の可能性を引き出していることに繋がってくる。こういった環境を作ることがコーチ陣の使命だと思っています。
もちろんそうだろう。トレーニングの勉強兼視察しにいったんだから。
前やってたトレーニングとか、DVDとかもう生産中止で。2度と見ること無いような気もする。
昔やってたトレーニングが結果良くも、悪くても、成果あっても、無くてもに関係なく俺は今までやってたトレーニングを捨てることにした。
古いものは捨てないと新しいものは入ってこないからだ。
つまり“進化”するためだ。
古き良き物を残すという言葉があるが、今までの経験は全て今の自分の血となり肉となって人間形成に役立っているだろうが、わざわざ現物として残そうとは思わない。
海外に出た理由を一言で言うと自分と向き合う時間がほしかったからだ。
出国する前、自分と向き合う時間がほとんど無くなった。それがすごく疲労感と違和感を作った。
海外に行く前に俺思う最高の指導論は、指導者や監督の指導を押し付けて監督の考えを選手に埋め込ませるより、監督の指導方法を学び選手の数だけトレーニング方法や考え方が生まれるのが(独学)理想と思っていた。
それはこの海外から帰ってきて改めて確信している。
世の中には他人の勧めや、押し付けがどこにいってもはびこっている。
部活の独裁的な監督や、TV番組で言えば通販だろう。
良い例で、鈴木あみというアイドルがいるが、あの人は一回芸能界を離れた。
理由は、何で他人のひいたアイドル路線で、他人の用意した服装で、他人が決めたスケジュールで、他人が書いた歌詞で生活しないといけないの?そんなん自分がやりたかったことじゃない!とふと思ったらしい。昔ほど今は活躍できていないが今のほうがめっちゃ幸せと言っている。
今の時代は金もうけできてるこそが幸せを掴んだと勝ち組とされているが、実際、スポーツの場合でもオリンピックでメダルを獲って燃え尽き症候群になったりする人も少なくないし、アイドルとして大人気であってもいきなり自殺したり、はたやアフリカの子供たちの笑顔やキューバ人のスーパー物ない生活や海外で出会った最低限の生活で楽しんでいる生活を見て幸せを感じているのを見ると本当の勝ち組はどこにあるのか考えさせれた。
スポーツの中で、結果が出る出ない関係なく燃えつき症候群になってしまうことから、起こる理由に他人が決めた路線もしくは自分で決めた路線が大きく影響しているんじゃないかて思う。
また、皆は脳が考えて体が動くと思われがちだが実際は、体で動いたことに脳が考えているらしい。
その二つのポイントからの
極論を言えば、何事も“自分で考えて、自分で決定する”ことが一番大事ってこと。
そして考える前にまず行動しろ!そしたら脳も考える。“行動して脳を動かせ”まずやってみろ!ってことだ。
今の自分は指導現場や頼られる場面が多いのが事実。
だからこそ、自分がどうゆう人間であるのかより知らなくてはならない。
自分を知ることが他人から見た自分の魅力でもある。
だから選手や友達に俺は こうしろ ああしろ という言葉がけはしない。
あくまでも選手や相談者が自発的に動き考え決定してくれないと真の勝ち組にはなれないと思う。
だからもし、選手がこうなりたい とかああなりたい とか言う言葉に、そのためにはこのメニューをやれってこの種目をやれここを鍛えろと言うのではなく、そのためには何が必要だと思う?何セット?それができたらどうなるの?と言った疑問で返し自分自身で目標を達成するために自分で目標達成の設定を自発的に考えされるようなコーチでありたいと最近考えています。
つまり、コーチングの最期の極論を言えば、
“指導しない”こと
に尽きると考えています。
もし部活をコーチが指導しなくなったら、自分で何かを考えるでしょう。はたや部活をやめるかもしれません。しかしそれこそ自分で決めたレールなんです。
人間の数だけ、選手の数だけ考え方があっていい。
それを多く生産するほどぶつかり合い納得し新たな発見そして進歩があると思っています。
強く言いますがコーチは選手人数分の発想を生み出すことが、選手の可能性を引き出していることに繋がってくる。こういった環境を作ることがコーチ陣の使命だと思っています。
帰国後
トレーニングに関して感じたこと
南米で、スペイン語、服装、文化、食、習慣、視界、音・・・
初めて見るものが多く、脳内が情報を処理しきれていなく、がちゃがちゃ系の人と会いたくない病にかられて落ち着いた人と会いたいと思う今日のこの頃です。
帰国後5日間は毎日睡眠一日15~20時間寝てました。
確実に時差ぼけではないです。脳が情報を処理してるのをすごく感じていました。
それだけ刺激たっぷりの5ヶ月間と10日だったのでしょう。
そしてこれはどうしたものかと、私の絶大な信頼を置いているゆうだりんに海外の報告とこの脳内の出来事について話しに兵庫へ行ってきました。
そしてゆうだりんから脳科学の本を6冊くれました。
私の専門は体育科学ですがこの5ヶ月間と10日の海外生活で、脳科学が重要なポイントであることが強く感じるようになりました。
茂木さん、苫米地さん、池谷さんの本を読ましてもらってますがすげーおもろいです。
最近確信してわかってきたことはやっぱり体育科学だけで物事を見ても考えは進まないということ。
物事の考え、発想 なぜそうなったのか 本来の目的は?と
「元型」をたどって言った結果、体育科学には脳科学通らずして語れないと強く感じることがありました。今から研究を進めていくポイントに、「相性」が重要なキーワードになってきます。
一言で相性と言っても、片付けられることが多いのに対し、相性はスポーツの現場だけでなく私生活にも相性が重要なポイントであることを感じています。
例えば、ソファーに座ってみてこのソファー気持ちいーーー寝れるーとか、またこのソファー寝にくいとか感じたことはあるはず。
スポーツで言うならやりにくい相手やりやすい相手、手にフィットするバットやラケット。
今までなんとなくこっちのほうが良かったというパターンを明確にパターン化できるかもしれない。
それを研究していきます。
まだ詳細は内緒です。
けど明確な目的はあります。
その目的を実現するためには、脳科学を勉強しなければなりません。
そしてパワーポイントでシンプルにまとめ説明できるようにならなくてはなりません。
そして井川先生と飲みに行かなければなりません。
そして監督と話合わなければなりません。
そして大学を強くしなければなりません。
帰国後出国前と同じ日常が始まりましたが明確な目的があるからこそ、5ヶ月と10日前までいた日本の生活とは居場所が違っています。
へへへ
南米で、スペイン語、服装、文化、食、習慣、視界、音・・・
初めて見るものが多く、脳内が情報を処理しきれていなく、がちゃがちゃ系の人と会いたくない病にかられて落ち着いた人と会いたいと思う今日のこの頃です。
帰国後5日間は毎日睡眠一日15~20時間寝てました。
確実に時差ぼけではないです。脳が情報を処理してるのをすごく感じていました。
それだけ刺激たっぷりの5ヶ月間と10日だったのでしょう。
そしてこれはどうしたものかと、私の絶大な信頼を置いているゆうだりんに海外の報告とこの脳内の出来事について話しに兵庫へ行ってきました。
そしてゆうだりんから脳科学の本を6冊くれました。
私の専門は体育科学ですがこの5ヶ月間と10日の海外生活で、脳科学が重要なポイントであることが強く感じるようになりました。
茂木さん、苫米地さん、池谷さんの本を読ましてもらってますがすげーおもろいです。
最近確信してわかってきたことはやっぱり体育科学だけで物事を見ても考えは進まないということ。
物事の考え、発想 なぜそうなったのか 本来の目的は?と
「元型」をたどって言った結果、体育科学には脳科学通らずして語れないと強く感じることがありました。今から研究を進めていくポイントに、「相性」が重要なキーワードになってきます。
一言で相性と言っても、片付けられることが多いのに対し、相性はスポーツの現場だけでなく私生活にも相性が重要なポイントであることを感じています。
例えば、ソファーに座ってみてこのソファー気持ちいーーー寝れるーとか、またこのソファー寝にくいとか感じたことはあるはず。
スポーツで言うならやりにくい相手やりやすい相手、手にフィットするバットやラケット。
今までなんとなくこっちのほうが良かったというパターンを明確にパターン化できるかもしれない。
それを研究していきます。
まだ詳細は内緒です。
けど明確な目的はあります。
その目的を実現するためには、脳科学を勉強しなければなりません。
そしてパワーポイントでシンプルにまとめ説明できるようにならなくてはなりません。
そして井川先生と飲みに行かなければなりません。
そして監督と話合わなければなりません。
そして大学を強くしなければなりません。
帰国後出国前と同じ日常が始まりましたが明確な目的があるからこそ、5ヶ月と10日前までいた日本の生活とは居場所が違っています。
へへへ
アメリカ
飛行機故障でワシントンDCにて着陸
一泊せざるえないじょうきょうになり
友達の結婚式いけず
帰国は一日遅れの10・10
さすが日体大生!体育の日!
こう思わないとやっていけないと河合氏なら言うでしょう。
それではアメリカ最後の観光名所ホワイトハウス 4年ぶりに見てきます!
そして帰国です。
でわ!
一泊せざるえないじょうきょうになり
友達の結婚式いけず
帰国は一日遅れの10・10
さすが日体大生!体育の日!
こう思わないとやっていけないと河合氏なら言うでしょう。
それではアメリカ最後の観光名所ホワイトハウス 4年ぶりに見てきます!
そして帰国です。
でわ!

