山篭り<寒さ体験編>
文明の力に慣れ親しんだこの身体を、身体の本来のメカニズムを呼び起こす為に寒い中、相模湖の埠頭にテントを張り一泊を過しました。

スエットとシャカシャカと寝袋
漆黒の闇に溶け込み、一つの星を代表して宇宙を覗けば無数の星星たち。
ああ あの星から地球は見えるのだろうか。
人間は地球に存在すると同時に、宇宙に存在している。
人間本来のメカニズムを呼び起こすには一番は自然にかえること。
自然に従えは良いと。
寒い。
そう冬だから。
日中の温度計は20℃を指すのに夜になると-4℃を指した。
凍え 凍え テントの中も霜をはり、ペットボトルのお茶もパンも凍りつき、湖も凍り、湖の温度差なのか湯気みたいな霧が発生する。
息がお香の煙のようにふかふかし気温を感じる。
空気が冷たく、息をすると鼻やのどが冷え痛みを感じる。
寝ると体温が落ちさらに寒さが増す。
寝れねーよ これは!!と。
そこで、坂口と、クソな奴らをネタにあげ盛り上り気温を上げ、また食べ物を食べる そうすると気温が上がることに気づく。
6時前になると東から太陽が指し始め、気温が上がると同時に眠りにつく。
寒さ体験で学んだこと、
・シャカシャカよりもダウンを持ってきたほうが良い。
・寝たら体温が落ち、寒さが増す。
・勘違い野郎のネタをあげて話すと体温があがる。
・固形物を食べたら、体温があがる。
・やっぱり人間は自然に帰った方が良い。
・人間同士で対話するよりも、自然と対話する時間も必要。
第二回山篭りは 何編でいきましょうか!!

スエットとシャカシャカと寝袋
漆黒の闇に溶け込み、一つの星を代表して宇宙を覗けば無数の星星たち。
ああ あの星から地球は見えるのだろうか。
人間は地球に存在すると同時に、宇宙に存在している。
人間本来のメカニズムを呼び起こすには一番は自然にかえること。
自然に従えは良いと。
寒い。
そう冬だから。
日中の温度計は20℃を指すのに夜になると-4℃を指した。
凍え 凍え テントの中も霜をはり、ペットボトルのお茶もパンも凍りつき、湖も凍り、湖の温度差なのか湯気みたいな霧が発生する。
息がお香の煙のようにふかふかし気温を感じる。
空気が冷たく、息をすると鼻やのどが冷え痛みを感じる。
寝ると体温が落ちさらに寒さが増す。
寝れねーよ これは!!と。
そこで、坂口と、クソな奴らをネタにあげ盛り上り気温を上げ、また食べ物を食べる そうすると気温が上がることに気づく。
6時前になると東から太陽が指し始め、気温が上がると同時に眠りにつく。
寒さ体験で学んだこと、
・シャカシャカよりもダウンを持ってきたほうが良い。
・寝たら体温が落ち、寒さが増す。
・勘違い野郎のネタをあげて話すと体温があがる。
・固形物を食べたら、体温があがる。
・やっぱり人間は自然に帰った方が良い。
・人間同士で対話するよりも、自然と対話する時間も必要。
第二回山篭りは 何編でいきましょうか!!
自然の部屋
カヌーで日本一周した小西さんのセミナーに参加してきました。
10692km
1年8ヶ月
沖縄まで行ったので世界初です。
ノースポンサー
ノーサポート
ノー事故
ノー転覆
講演中 漆黒の闇を漕いでるシーンがありました。
カヌーについてる明かりだけ。
方位磁石を見て進む。
達成した人にしかわからない。
達成できなかったら違う感情が生まれる。
成功と失敗の感情は紙一重。
失敗や途中でやめることは簡単できることではないけど、成功し続けていくことよりは簡単。
だから達成した人には魅力を感じる。
その人の助言がほしいんじゃない。そうゆう人に引き付けれる。
類を呼ぶ為に。
世間は失敗したら学ぶといいますが、自分は成功から学ぶ人間だからです。
だから成功している人と会い続けなければないない。
そして俺も成功し続けなければならない。
俺にはいらない不合格
俺にはいらない失敗
俺にはいらない落選
去年は南米生活、今年もなんかやります。
とりあえず今日は相模湖にテントはって無になります。
感じるままに感じろ。
あーん
10692km
1年8ヶ月
沖縄まで行ったので世界初です。
ノースポンサー
ノーサポート
ノー事故
ノー転覆
講演中 漆黒の闇を漕いでるシーンがありました。
カヌーについてる明かりだけ。
方位磁石を見て進む。
達成した人にしかわからない。
達成できなかったら違う感情が生まれる。
成功と失敗の感情は紙一重。
失敗や途中でやめることは簡単できることではないけど、成功し続けていくことよりは簡単。
だから達成した人には魅力を感じる。
その人の助言がほしいんじゃない。そうゆう人に引き付けれる。
類を呼ぶ為に。
世間は失敗したら学ぶといいますが、自分は成功から学ぶ人間だからです。
だから成功している人と会い続けなければないない。
そして俺も成功し続けなければならない。
俺にはいらない不合格
俺にはいらない失敗
俺にはいらない落選
去年は南米生活、今年もなんかやります。
とりあえず今日は相模湖にテントはって無になります。
感じるままに感じろ。
あーん
自分のプライドを獲るべきか、大学を好きな皆の気持ちを背負うべきか。
ほんま不愉快ななめ腐った奴が周りにいると類は友を呼ぶというように、その周りにもなめ腐った奴が現れます。
わかりやすい例が宗教です。
自分が読んだ超スーパーハイレベルな本、『リーダーシップとニューサイエンス』という本を読んだのですが、95%くらい理解不能でしたが、そこに組織を作り上げる為には、何か違うと思った直感的は違和感が生じたとき、それに従いなさい。そうじゃないと自分が活躍でき本領を発揮できる場はつくりつくりあげられないと。その通りだと思います。この本以外にもそうゆう本やまた言っている人とも今まで会いました。
僕はこの本に洗脳されているわけではないですが、今まで生きてきて自分はこうゆう人間なんだと、お偉いさんや上の人に誰に何を言われても自分の考えや行動は曲げない人間です。
だから嫌いな奴には嫌いな態度をあからさまにとるし、もう二度と話さなくなるケースもあります。
しかし、この日本という国ではそうゆうことはできるだけ抑えて、嫌な人とも一緒にいるなどといったストレスを抑えて生活していく国でもあります。
その国に住んでる私ですがさらさらそれに従う性格ではありません。嫌なものは嫌なんです。
はたから見たら、そこで抑えろよ我慢しろよと言うかもしれませんが、逆にそうゆうことをしていたら、ストレスを発散させるために、ヤケ酒をしたり、現実逃避な行動をしたり、やがてストレス発散が苦手な人は精神的な 日本でいう うつ的なことに繋がってくるのではないかと感じています。その分、自分は、もうだめだらダメだと判断し、ぶったぎるので その後にストレスを蓄積させるということがあまり無いのではと感じています。
嫌いな食べ物をいかに食べるように努力するか?
よくテレビでピーマンを子供に食べさせるように料理人を呼んでおいしく食べさせようとしていますが、あんなことをして何のメリットがあるのでしょうか?
ピーマンと同じ栄養素は他にもいっぱいあるんだし、むしろ子供がこれがピーマンと思っただけで食べてもないのにストレスが感じるはずです。
嫌いな食べ物は食べなければいいだけの話です。そしたらストレスはかかりません。
これと同じです。
もう自分にとって無理な人と、いかに仲を戻せば良いのか?どのように関係修復すればいいのか?
そう悩んでる時点でストレスを感じます。
簡単なことです、割り切って関係を切ればいいだけの話しです。
悩むだけ時間の無駄。子供のけんかじゃないんだから大人は大人の対応をすればいいだけ。
子供のころは、直感を感じることなんてありませんでした。
しかし、いろんな経験を積んでいけば、今までの経験値が一瞬で自分にサイレンとして、理由はわからないけどなぜかOK!!理由はわからないけどなぜか違和感!!といった具合に教えてくれます。つまり経験がないと直感は生まれないということです。さらに直感の良いことは世間的評価としてOKか違和感なのか?ということではなく、自分にとってOKか違和感なのかで教えてくれるとことです。だから自分は直感に従った方が良いと自分はそう感じています。
僕はそうゆうシビアというか、絶対誰とも共存しない、自分だけの考えを貫き通すことが少なからずあります。
類は友を呼んだり、引き寄せの法則みたいなことはよく言われてるけど、僕もやっぱそうなってるなって感じています。
嫌な奴といるということは、僕のそいつの関係だけではなくて、その周りにも自分にとって嫌な奴が集まってくるということです。
ただその職場が自分に適した職場として、入ってしまっても周りに意識が低い人とか、心から良くしていこうという人でもなければ、その職場は連携できないだけでなく崩壊してしまいます。そういったことを踏まえて今いる現場や環境を見据えないと絶対崩壊する。
誰でもいいから入れという環境であっても、目的意識が似てる奴じゃないと食い違ってくる。
\\\
1+1=2のように人間は数字的に単純にはいかない。
1+1がマイナスになるケースもあれば、もっとプラスにうあたらき3にも4にもなるのが人間である。
できないことをしようとするバカな奴がいるお陰でうちの大学は強くなっていかないのである。
出すべきか悩む。直感がまだ教えてくれない。
自分のプライドを獲るべきか、日体大を好きな皆のためにだすべきか。
個人的なことだけでいえば、出さないけど、だって、なぜトレーニングのトの字も知らない奴らと俺が比べられなきゃいけないのか理解できない。不愉快。だからそんなとこに出したくないんだけど、周りにはトレセンが好きで頑張って良くしようとしている連中がいてそれらにお前が変えてくれ!と言ってくる友達や先生や学生がいてその皆の気持ちがわかるからこそその声にのるべきか。
直感よ 俺の経験値よ はやく処理して答えを教えておくれ!もし直感で浮かばなかったら今回のケースは自分の経験値不足ということだと思う。
こんなん自分にとっては小さな岐路なんだけど、皆の顔や気持ちが浮かぶとそいつらのために何かやってやりたいし、そいつらと逆に、俺の好きな職場をなめ腐ってる奴らが多いのがいらつく。
日体大が好きじゃない奴らはこの大学から去ればいいだけの話です。
わかりやすい例が宗教です。
自分が読んだ超スーパーハイレベルな本、『リーダーシップとニューサイエンス』という本を読んだのですが、95%くらい理解不能でしたが、そこに組織を作り上げる為には、何か違うと思った直感的は違和感が生じたとき、それに従いなさい。そうじゃないと自分が活躍でき本領を発揮できる場はつくりつくりあげられないと。その通りだと思います。この本以外にもそうゆう本やまた言っている人とも今まで会いました。
僕はこの本に洗脳されているわけではないですが、今まで生きてきて自分はこうゆう人間なんだと、お偉いさんや上の人に誰に何を言われても自分の考えや行動は曲げない人間です。
だから嫌いな奴には嫌いな態度をあからさまにとるし、もう二度と話さなくなるケースもあります。
しかし、この日本という国ではそうゆうことはできるだけ抑えて、嫌な人とも一緒にいるなどといったストレスを抑えて生活していく国でもあります。
その国に住んでる私ですがさらさらそれに従う性格ではありません。嫌なものは嫌なんです。
はたから見たら、そこで抑えろよ我慢しろよと言うかもしれませんが、逆にそうゆうことをしていたら、ストレスを発散させるために、ヤケ酒をしたり、現実逃避な行動をしたり、やがてストレス発散が苦手な人は精神的な 日本でいう うつ的なことに繋がってくるのではないかと感じています。その分、自分は、もうだめだらダメだと判断し、ぶったぎるので その後にストレスを蓄積させるということがあまり無いのではと感じています。
嫌いな食べ物をいかに食べるように努力するか?
よくテレビでピーマンを子供に食べさせるように料理人を呼んでおいしく食べさせようとしていますが、あんなことをして何のメリットがあるのでしょうか?
ピーマンと同じ栄養素は他にもいっぱいあるんだし、むしろ子供がこれがピーマンと思っただけで食べてもないのにストレスが感じるはずです。
嫌いな食べ物は食べなければいいだけの話です。そしたらストレスはかかりません。
これと同じです。
もう自分にとって無理な人と、いかに仲を戻せば良いのか?どのように関係修復すればいいのか?
そう悩んでる時点でストレスを感じます。
簡単なことです、割り切って関係を切ればいいだけの話しです。
悩むだけ時間の無駄。子供のけんかじゃないんだから大人は大人の対応をすればいいだけ。
子供のころは、直感を感じることなんてありませんでした。
しかし、いろんな経験を積んでいけば、今までの経験値が一瞬で自分にサイレンとして、理由はわからないけどなぜかOK!!理由はわからないけどなぜか違和感!!といった具合に教えてくれます。つまり経験がないと直感は生まれないということです。さらに直感の良いことは世間的評価としてOKか違和感なのか?ということではなく、自分にとってOKか違和感なのかで教えてくれるとことです。だから自分は直感に従った方が良いと自分はそう感じています。
僕はそうゆうシビアというか、絶対誰とも共存しない、自分だけの考えを貫き通すことが少なからずあります。
類は友を呼んだり、引き寄せの法則みたいなことはよく言われてるけど、僕もやっぱそうなってるなって感じています。
嫌な奴といるということは、僕のそいつの関係だけではなくて、その周りにも自分にとって嫌な奴が集まってくるということです。
ただその職場が自分に適した職場として、入ってしまっても周りに意識が低い人とか、心から良くしていこうという人でもなければ、その職場は連携できないだけでなく崩壊してしまいます。そういったことを踏まえて今いる現場や環境を見据えないと絶対崩壊する。
誰でもいいから入れという環境であっても、目的意識が似てる奴じゃないと食い違ってくる。
\\\
1+1=2のように人間は数字的に単純にはいかない。
1+1がマイナスになるケースもあれば、もっとプラスにうあたらき3にも4にもなるのが人間である。
できないことをしようとするバカな奴がいるお陰でうちの大学は強くなっていかないのである。
出すべきか悩む。直感がまだ教えてくれない。
自分のプライドを獲るべきか、日体大を好きな皆のためにだすべきか。
個人的なことだけでいえば、出さないけど、だって、なぜトレーニングのトの字も知らない奴らと俺が比べられなきゃいけないのか理解できない。不愉快。だからそんなとこに出したくないんだけど、周りにはトレセンが好きで頑張って良くしようとしている連中がいてそれらにお前が変えてくれ!と言ってくる友達や先生や学生がいてその皆の気持ちがわかるからこそその声にのるべきか。
直感よ 俺の経験値よ はやく処理して答えを教えておくれ!もし直感で浮かばなかったら今回のケースは自分の経験値不足ということだと思う。
こんなん自分にとっては小さな岐路なんだけど、皆の顔や気持ちが浮かぶとそいつらのために何かやってやりたいし、そいつらと逆に、俺の好きな職場をなめ腐ってる奴らが多いのがいらつく。
日体大が好きじゃない奴らはこの大学から去ればいいだけの話です。
論文脳と自然脳
ちょっと前に自転車を漕いでいたとき、怪我をして足をびっこ引いて歩いてる高校生がいた。
歩くということはすごいことだが、日常では当たり前の動作である。
しかし、その当たり前の歩くという動作が身体の一箇所でも支障をきたせば、びっこを引くように歩けなくなるのである。
また、骨折や肉離れやねんざなどといった怪我だけでなく、ギブスやテーピングなどで固定しても同じ現象が起きる。
これらから考えられることは、歩く動作においても身体を全て連動させて歩いているということになる。
そして、日常行なっている歩くという基本動作でさえ、身体の一部だけでは“できない”ということになる。
普通の状態を100として、捻挫をしてマイナス10が起きたとして90。で歩こうとしたらびっこを引いてなんとか歩ける。
そしたら10だけでは絶対に歩けないのが予測される。
この歩くという動作ができなくなるのに、さらに現場は技術や体力などといった歩く動作よりレベルの高い動作を繰り広げなければならない。
はっきしいって無理な話である。
ここまでの前ふりを頭に入れて、トレーニングの負荷のあり方について自分の考えをまとめていきたいと思います。
自分の周りにもコーチやトレーナーはいっぱいいますが、重量を挙げて1RMのMAXが向上していけば、パワーアップしたという人がいますが、自分の考えではかならずしもそうとは思いません。その理由のヒントは上の前ふりにあります。
トレセンや練習場面で選手は、『よし今日は二頭筋いじめよ』とか『昨日は胸やったから、今日は背中』とか部位を抽象的に名指しして一部の筋肉を大きくしようとする意気込みが伝わってきます。これは選手だけでなく自分の周りにいるトレーナーやコーチもこの競技は下半身を重点的に鍛える だからこれだ!的にトレーニングの種目設定をする場合は、動作よりも、一部の筋肉を意識して決めています。
身体の一箇所でも怪我をすれば身体は連動できなくなるのに、一部の筋肉だけを太らせるやり方で、果たして連動できるようになるのでしょうか?
さらに高負荷と言った、重量を挙げていくやり方は、一部の筋肉を意識しやすくなると思います。
自分の周りもほとんどが高負荷や重量を挙げていくことを目的としたコーチやトレーナーが多くいます。結局その人らも何の根拠もないんでしょう。
ただ、そう論文で発表されている。とかトレーニング雑誌に書いてるとか。そうゆう固定概念が作られたことをやめるのが怖いんだと思うんです。プロテインをやめれば筋肉がつかなくなるんじゃないか?って不安になるように。別に重量を挙げていくことを否定はしていません。周りからみたらすごく重い重量であっても身体を連動させて全身で軽がる挙げれればいい話です。ベンチプレスをしても胸だけが筋肉痛になるのではなく、全身が筋肉痛になればいいだけの話です。しかしながらどうしても重量が重くなると一部の筋肉を意識しがちになってしまいます。だからまずは重量を落として筋肉ではなく連動を意識せよということです。
まぁ僕が言っていることはそうゆう論文脳のおかされた人には気づかないことですが。非常に残念なことです。ほんとに非常にくやしい。
僕の近くに馬場というバレーのコーチがいますが 正直この男には少なからず期待をしています。まだまだトレーニング知識においては論文脳に犯されていないからです。
最終的に、いきつく先は競技によって重量の重さは設定していけばいいんじゃなかと感じています。
今まで人類は数々のトレーニング方法を生み出してきました。
100や200どころか1000種類は余裕で越えるトレーニングがあります。さらに人それぞれ設定レップやセット数など考えればもう万人の方法があるといえます。科学的研究によって数多くのトレーニングの裏づけを立証してきたにもかかわらづ未だに、これだ!というトレーニング種目や方法はありません。
これらから言えるのは、多分この先も見つかることはないんじゃないのか?ということです。そして科学的研究の無意味さ。何千種類という中から一つや2つのトレーニングをピックアップして何ヶ月とかかけて数値をだし有意差をつけて立証する。だからと言ってそのトレーニングが世界でやられることがないと思うと科学的研究より実践的研究の方が重要であると確信している。しかしながら実践現場においてはなかなか個々の要素や環境がからんでくると どのようにそれを立証するのか数値ではあらわせられないからこそ、論文にはできない その結果、教科書や雑誌にものせられないということになる。
日本の相撲はなぜ弱くなったのか?という質問に対し朝青龍はこう言った。
機械的なトレーニングしかしていない。昔の日本の子供たちは山や川などといった自然で遊んできたのに今はそゆうことをしなくなったから。私のモンゴルでは家を移動する民族だから丸太やテントやでっかい石を何十回も運んでたりしていた。その違いだね。
確かにウエイトトレーニングにおいては、一部の筋肉に意識を集中させて鍛えるのに対し、20kgの石を何十回も運ぶとなると、よし二頭筋で挙げようとか思わないはずだ。いかに全身を使って楽に持ち上げ運ぶかということを意識している。
ヒョードルも、ヒクソンもミノワマンも自然と共にトレーニングをしている。
確かにアメリカの現場で感じたことは、いかに実践に近い形でトレーニングを組んでいるということだった。つまり一つの筋肉に集中したトレーニングなんて一切ない。だけど日本の現状は違う。まず重さである。論文で固められた脳をいかに自然で鍛える脳に変えていくのか?がこの先の日本の大きな課題でなはないのか。野球の清原番長はいかに一つの筋肉に意識をおいていた挙句、ただ走る動作なだけで肉離れを繰り返すはめになっていた。
ここで筋肉の気持ちになって考えたらよくわかる。
投げる動作をするときに、二頭筋君が、俺が鍛えたんだから俺がやってやる!というだろう。そこで三角筋君も俺も鍛えられたんだから俺がいく!というだろう そうやって 俺が!俺が!!ってなって結局一つの筋肉だけで動作をすると負担がかかり肉離れという形に繋がるのではないか。やはり全身を使ってトレーニングをしていかないといけないとはそうゆうことであると感じる。
バリアフリーが普及したことによって、歩けない人が増えてきている。そういった体力面だけでなく、バリアフリーがあるからそこしかいかないなどと言った気力面さえも衰えている。車椅子の人が階段で止まっていると回りにいる人が助けましょうかと協力が生まれ人の集団生物としてのメカニズムが発揮されコミュニケーションがあがっていくのに今は違う。
便所だって和式から洋式に変わって、信じられないがしゃがめない子供たちが増えてきている。
便利になったなぁ~と感じると同時に、人間の身体は退化していっているのではないのか。
科学的研究を狙って、トレーニングをしてもどーせ何千種類のいう中の1種類なんだから そんなんやるぐらいだったら、今の子供たちは自然と遊ぶことを知らないとされているからこそ、無人島とか山とか川で遊ばしたりして経験させていくことをさせて さてどのぐらい運動能力が上がるのかという研究をしていくのが今は求められているのかもしれない。
科学的研究よりも実践的研究が好き。だから自分は論文になる論文をかけてないんだと最近思いました。実践的研究を意識するあまり数値にはできないから。だからと言ってやめるつもりはありません。論文にしなくても、今年は研究していきます。もちろん実践的研究です。
自分が言ってることももちろん何千種類という中の1種類である。
そしてこれをやったことで運動能力が伸びるという根拠もない。しかし、そうなのである笑。
自分にはこうゆ考えがあるからこそ、論文脳のコーチには指導力は負けない。

紐をたらして鉛直にオモリをぶら下げています。
さてこの2つのオモリはどこで交わるでしょうか?
答えは、地球の真ん中です。
歩くということはすごいことだが、日常では当たり前の動作である。
しかし、その当たり前の歩くという動作が身体の一箇所でも支障をきたせば、びっこを引くように歩けなくなるのである。
また、骨折や肉離れやねんざなどといった怪我だけでなく、ギブスやテーピングなどで固定しても同じ現象が起きる。
これらから考えられることは、歩く動作においても身体を全て連動させて歩いているということになる。
そして、日常行なっている歩くという基本動作でさえ、身体の一部だけでは“できない”ということになる。
普通の状態を100として、捻挫をしてマイナス10が起きたとして90。で歩こうとしたらびっこを引いてなんとか歩ける。
そしたら10だけでは絶対に歩けないのが予測される。
この歩くという動作ができなくなるのに、さらに現場は技術や体力などといった歩く動作よりレベルの高い動作を繰り広げなければならない。
はっきしいって無理な話である。
ここまでの前ふりを頭に入れて、トレーニングの負荷のあり方について自分の考えをまとめていきたいと思います。
自分の周りにもコーチやトレーナーはいっぱいいますが、重量を挙げて1RMのMAXが向上していけば、パワーアップしたという人がいますが、自分の考えではかならずしもそうとは思いません。その理由のヒントは上の前ふりにあります。
トレセンや練習場面で選手は、『よし今日は二頭筋いじめよ』とか『昨日は胸やったから、今日は背中』とか部位を抽象的に名指しして一部の筋肉を大きくしようとする意気込みが伝わってきます。これは選手だけでなく自分の周りにいるトレーナーやコーチもこの競技は下半身を重点的に鍛える だからこれだ!的にトレーニングの種目設定をする場合は、動作よりも、一部の筋肉を意識して決めています。
身体の一箇所でも怪我をすれば身体は連動できなくなるのに、一部の筋肉だけを太らせるやり方で、果たして連動できるようになるのでしょうか?
さらに高負荷と言った、重量を挙げていくやり方は、一部の筋肉を意識しやすくなると思います。
自分の周りもほとんどが高負荷や重量を挙げていくことを目的としたコーチやトレーナーが多くいます。結局その人らも何の根拠もないんでしょう。
ただ、そう論文で発表されている。とかトレーニング雑誌に書いてるとか。そうゆう固定概念が作られたことをやめるのが怖いんだと思うんです。プロテインをやめれば筋肉がつかなくなるんじゃないか?って不安になるように。別に重量を挙げていくことを否定はしていません。周りからみたらすごく重い重量であっても身体を連動させて全身で軽がる挙げれればいい話です。ベンチプレスをしても胸だけが筋肉痛になるのではなく、全身が筋肉痛になればいいだけの話です。しかしながらどうしても重量が重くなると一部の筋肉を意識しがちになってしまいます。だからまずは重量を落として筋肉ではなく連動を意識せよということです。
まぁ僕が言っていることはそうゆう論文脳のおかされた人には気づかないことですが。非常に残念なことです。ほんとに非常にくやしい。
僕の近くに馬場というバレーのコーチがいますが 正直この男には少なからず期待をしています。まだまだトレーニング知識においては論文脳に犯されていないからです。
最終的に、いきつく先は競技によって重量の重さは設定していけばいいんじゃなかと感じています。
今まで人類は数々のトレーニング方法を生み出してきました。
100や200どころか1000種類は余裕で越えるトレーニングがあります。さらに人それぞれ設定レップやセット数など考えればもう万人の方法があるといえます。科学的研究によって数多くのトレーニングの裏づけを立証してきたにもかかわらづ未だに、これだ!というトレーニング種目や方法はありません。
これらから言えるのは、多分この先も見つかることはないんじゃないのか?ということです。そして科学的研究の無意味さ。何千種類という中から一つや2つのトレーニングをピックアップして何ヶ月とかかけて数値をだし有意差をつけて立証する。だからと言ってそのトレーニングが世界でやられることがないと思うと科学的研究より実践的研究の方が重要であると確信している。しかしながら実践現場においてはなかなか個々の要素や環境がからんでくると どのようにそれを立証するのか数値ではあらわせられないからこそ、論文にはできない その結果、教科書や雑誌にものせられないということになる。
日本の相撲はなぜ弱くなったのか?という質問に対し朝青龍はこう言った。
機械的なトレーニングしかしていない。昔の日本の子供たちは山や川などといった自然で遊んできたのに今はそゆうことをしなくなったから。私のモンゴルでは家を移動する民族だから丸太やテントやでっかい石を何十回も運んでたりしていた。その違いだね。
確かにウエイトトレーニングにおいては、一部の筋肉に意識を集中させて鍛えるのに対し、20kgの石を何十回も運ぶとなると、よし二頭筋で挙げようとか思わないはずだ。いかに全身を使って楽に持ち上げ運ぶかということを意識している。
ヒョードルも、ヒクソンもミノワマンも自然と共にトレーニングをしている。
確かにアメリカの現場で感じたことは、いかに実践に近い形でトレーニングを組んでいるということだった。つまり一つの筋肉に集中したトレーニングなんて一切ない。だけど日本の現状は違う。まず重さである。論文で固められた脳をいかに自然で鍛える脳に変えていくのか?がこの先の日本の大きな課題でなはないのか。野球の清原番長はいかに一つの筋肉に意識をおいていた挙句、ただ走る動作なだけで肉離れを繰り返すはめになっていた。
ここで筋肉の気持ちになって考えたらよくわかる。
投げる動作をするときに、二頭筋君が、俺が鍛えたんだから俺がやってやる!というだろう。そこで三角筋君も俺も鍛えられたんだから俺がいく!というだろう そうやって 俺が!俺が!!ってなって結局一つの筋肉だけで動作をすると負担がかかり肉離れという形に繋がるのではないか。やはり全身を使ってトレーニングをしていかないといけないとはそうゆうことであると感じる。
バリアフリーが普及したことによって、歩けない人が増えてきている。そういった体力面だけでなく、バリアフリーがあるからそこしかいかないなどと言った気力面さえも衰えている。車椅子の人が階段で止まっていると回りにいる人が助けましょうかと協力が生まれ人の集団生物としてのメカニズムが発揮されコミュニケーションがあがっていくのに今は違う。
便所だって和式から洋式に変わって、信じられないがしゃがめない子供たちが増えてきている。
便利になったなぁ~と感じると同時に、人間の身体は退化していっているのではないのか。
科学的研究を狙って、トレーニングをしてもどーせ何千種類のいう中の1種類なんだから そんなんやるぐらいだったら、今の子供たちは自然と遊ぶことを知らないとされているからこそ、無人島とか山とか川で遊ばしたりして経験させていくことをさせて さてどのぐらい運動能力が上がるのかという研究をしていくのが今は求められているのかもしれない。
科学的研究よりも実践的研究が好き。だから自分は論文になる論文をかけてないんだと最近思いました。実践的研究を意識するあまり数値にはできないから。だからと言ってやめるつもりはありません。論文にしなくても、今年は研究していきます。もちろん実践的研究です。
自分が言ってることももちろん何千種類という中の1種類である。
そしてこれをやったことで運動能力が伸びるという根拠もない。しかし、そうなのである笑。
自分にはこうゆ考えがあるからこそ、論文脳のコーチには指導力は負けない。

紐をたらして鉛直にオモリをぶら下げています。
さてこの2つのオモリはどこで交わるでしょうか?
答えは、地球の真ん中です。
ダイエット方法の考え方について
久々のブログ
日本人トップ3の病気 癌・心疾患・脳疾患。
癌を除けば部位が違うだけで同じ血液関係の病気である。
つまり食生活やストレスが原因である。
さらに癌を含めたら3つに共通するのはストレスである。
ストレスが加わるとこれらの病気を起こしかねない。
そこで一つのポイントが肥満である。
では肥満の原因は何であるのだろうか?
肥満の原因それは間違いなく“食べ過ぎ”である。
そこでヒトはダイエットを始める。
ダイエットの方法は運動と食事制限である。
はたしてこれだけで健康になりえるといえるのだろうか?
肥満のヒトはかなりの確立で部屋が汚い。散らかってるとわかっている。
生物学上、やはり散らかっているところで生活をするとヒトはストレスを溜める。つまりストレスは身体に毒なわけでその毒をなくす為にストレス発散や埋め合わせをしなければならない。そうしないと気が狂って精神障害を引き起こす。そこで食べ過ぎるのである。
これが悪いことなのか?自分は正しい身体のメカニズムだと思っている。
部屋が汚いストレスを、食べ過ぎることによって帳消しにしているんだからバランスが保たれる。(デブにはなるけど)
しかし、世の中のダイエットはここで食事制限をしようとする。
もちろん食事制限をすると体重は落ちる。しかし、部屋が汚いストレスをどこで発散させるの?さらに食事制限してるストレスがダブルストレスとなって押し寄せてくる。
問題はただ太ったからと言って食事を減らせば良いということではない。しかし世の中はそうなのである。
しかし自分の考えは、食事を制限するくらいなら部屋を片したほうがダイエット成功するのではないだろうか?
なぜならば食べ過ぎを起こしている原因を止めるのだから。食べ過ぎる原因がなくなれば食べ過ぎる必要もない。
半年近くの南米から帰国後自分の体重はものすごい勢いで増加した。食べ過ぎたのである。しかし問題はただ食べ過ぎたことが原因ではなく、南米の食事がいかに自分にストレスを与えていたのかよおくわかった瞬間だった。
デブであっても健康なヒトはいっぱいいる。逆にデブで健康なヒトを標準にすることによって病気なるケースもある。だけどメディアはそこを隠す。それは知っててもらいたい。
まぁここで言いたいことは、食べ過ぎている原因を探らなければならない。
肥満の人は部屋が汚いと言ったが実際部屋がキレイな人もいる。そしたら会社のストレスとか人間関係のストレスかもしれない。そうやって原因を追究していかないとダイエットは成功できないと思っている。
栄養学を勉強している人は、5大栄養素と食物繊維を入れて6大栄養素でしか判断しない。
あなたビタミンが不足しているからビタミンを補いなさい!はいサプリメント のような世の中である。しかしこれもおかしな話でそんな単純に考えてはいけない。
某ファーストフードのハンバーガーの肉のパテ1枚を遺伝子研究者と分子生物学者が、一体このパテ一枚から何頭分の牛の遺伝子が見つかるのか研究をした。
5頭?10頭?100頭?
結果は約500頭である。
あと10cmくらいしかない肉一枚に500頭分の牛が存在するなんてものすごい恐ろしい話である。
アメリカのS社が遺伝子組み換え食品をブランド化しようとしているが事業は成功しているとはとてもいえない。
ヨーロッパからの猛反対、日本も遺伝子組み換え食品は禁止にしている。
遺伝子組み換えとは種の遺伝子を組みかえることである。
例えば、チューリップの種はチューリップを咲かせ、タンポポの種はタンポポを咲かせる。チューリップの種をタンポポを咲かせることはない。なぜならば、種が違うからである。当たり前の話である。ということは猿から人間に変わったという話を嘘になる。猿は猿の種であり、人間は人間の種であるからだ。
人はホモサピエンス時代から人間であった。何百年何千年かけて人類は進化し今はあまり変化していない。つまり今のバランスの取れた最高傑作のようなものである。それは人間でけでなく動物だって、周りに生えてる植物だって何百年と生きてきたできたバランスの良い最高傑作なのである。
しかし、人間のエゴが種の遺伝子を人工的に組み換えるという作業をこのアメリカのS社は始めた。それが遺伝子組み換え産業である。
植物は花粉を飛ばし受粉を繰り返し植物としての種をこの世に残す。このS社の近くには無農薬栽培をしている畑があったが、その畑に遺伝子組み換え植物の種が飛び無農薬栽培の畑から遺伝子組み換え植物の芽が出てしまった。そしてこのS社はこの無農薬栽培の会社を訴えるという事件も起きている。
遺伝子の中に一切害虫を寄せ付けず、肥料をまかなくてOK、雨風にも強いと組み替えていればあとは、水だけ与えればすくすく育つ製品である。
上にも述べたが、遺伝子組み換え食品は我が日本では禁止しているため直接口にすることはない。
しかし、それだけで安心なのだろうか?
前ファミレスで米国産牛肉だから安心安全100%と書いてあったが・・・・
チェーン店の牛丼屋もほとんどが米国産である。
BSEでないながらも、その牛たちが食べている肥料は紛れもなく遺伝子組み換え肥料である。その遺伝子組み換え肥料を食べた牛を私たちは食べている。
遺伝子組み換え食品は猛毒性は無いため今日食べたら明日異変が起こるというものではない。しかしあきらかに自然の法則に違反している食べ物である。毎日人体実験しているようなものである。
栄養士はもっとミクロな部分までさかのぼって、やはりトレースを追わなければいけない。
日本人トップ3の病気 癌・心疾患・脳疾患。
癌を除けば部位が違うだけで同じ血液関係の病気である。
つまり食生活やストレスが原因である。
さらに癌を含めたら3つに共通するのはストレスである。
ストレスが加わるとこれらの病気を起こしかねない。
そこで一つのポイントが肥満である。
では肥満の原因は何であるのだろうか?
肥満の原因それは間違いなく“食べ過ぎ”である。
そこでヒトはダイエットを始める。
ダイエットの方法は運動と食事制限である。
はたしてこれだけで健康になりえるといえるのだろうか?
肥満のヒトはかなりの確立で部屋が汚い。散らかってるとわかっている。
生物学上、やはり散らかっているところで生活をするとヒトはストレスを溜める。つまりストレスは身体に毒なわけでその毒をなくす為にストレス発散や埋め合わせをしなければならない。そうしないと気が狂って精神障害を引き起こす。そこで食べ過ぎるのである。
これが悪いことなのか?自分は正しい身体のメカニズムだと思っている。
部屋が汚いストレスを、食べ過ぎることによって帳消しにしているんだからバランスが保たれる。(デブにはなるけど)
しかし、世の中のダイエットはここで食事制限をしようとする。
もちろん食事制限をすると体重は落ちる。しかし、部屋が汚いストレスをどこで発散させるの?さらに食事制限してるストレスがダブルストレスとなって押し寄せてくる。
問題はただ太ったからと言って食事を減らせば良いということではない。しかし世の中はそうなのである。
しかし自分の考えは、食事を制限するくらいなら部屋を片したほうがダイエット成功するのではないだろうか?
なぜならば食べ過ぎを起こしている原因を止めるのだから。食べ過ぎる原因がなくなれば食べ過ぎる必要もない。
半年近くの南米から帰国後自分の体重はものすごい勢いで増加した。食べ過ぎたのである。しかし問題はただ食べ過ぎたことが原因ではなく、南米の食事がいかに自分にストレスを与えていたのかよおくわかった瞬間だった。
デブであっても健康なヒトはいっぱいいる。逆にデブで健康なヒトを標準にすることによって病気なるケースもある。だけどメディアはそこを隠す。それは知っててもらいたい。
まぁここで言いたいことは、食べ過ぎている原因を探らなければならない。
肥満の人は部屋が汚いと言ったが実際部屋がキレイな人もいる。そしたら会社のストレスとか人間関係のストレスかもしれない。そうやって原因を追究していかないとダイエットは成功できないと思っている。
栄養学を勉強している人は、5大栄養素と食物繊維を入れて6大栄養素でしか判断しない。
あなたビタミンが不足しているからビタミンを補いなさい!はいサプリメント のような世の中である。しかしこれもおかしな話でそんな単純に考えてはいけない。
某ファーストフードのハンバーガーの肉のパテ1枚を遺伝子研究者と分子生物学者が、一体このパテ一枚から何頭分の牛の遺伝子が見つかるのか研究をした。
5頭?10頭?100頭?
結果は約500頭である。
あと10cmくらいしかない肉一枚に500頭分の牛が存在するなんてものすごい恐ろしい話である。
アメリカのS社が遺伝子組み換え食品をブランド化しようとしているが事業は成功しているとはとてもいえない。
ヨーロッパからの猛反対、日本も遺伝子組み換え食品は禁止にしている。
遺伝子組み換えとは種の遺伝子を組みかえることである。
例えば、チューリップの種はチューリップを咲かせ、タンポポの種はタンポポを咲かせる。チューリップの種をタンポポを咲かせることはない。なぜならば、種が違うからである。当たり前の話である。ということは猿から人間に変わったという話を嘘になる。猿は猿の種であり、人間は人間の種であるからだ。
人はホモサピエンス時代から人間であった。何百年何千年かけて人類は進化し今はあまり変化していない。つまり今のバランスの取れた最高傑作のようなものである。それは人間でけでなく動物だって、周りに生えてる植物だって何百年と生きてきたできたバランスの良い最高傑作なのである。
しかし、人間のエゴが種の遺伝子を人工的に組み換えるという作業をこのアメリカのS社は始めた。それが遺伝子組み換え産業である。
植物は花粉を飛ばし受粉を繰り返し植物としての種をこの世に残す。このS社の近くには無農薬栽培をしている畑があったが、その畑に遺伝子組み換え植物の種が飛び無農薬栽培の畑から遺伝子組み換え植物の芽が出てしまった。そしてこのS社はこの無農薬栽培の会社を訴えるという事件も起きている。
遺伝子の中に一切害虫を寄せ付けず、肥料をまかなくてOK、雨風にも強いと組み替えていればあとは、水だけ与えればすくすく育つ製品である。
上にも述べたが、遺伝子組み換え食品は我が日本では禁止しているため直接口にすることはない。
しかし、それだけで安心なのだろうか?
前ファミレスで米国産牛肉だから安心安全100%と書いてあったが・・・・
チェーン店の牛丼屋もほとんどが米国産である。
BSEでないながらも、その牛たちが食べている肥料は紛れもなく遺伝子組み換え肥料である。その遺伝子組み換え肥料を食べた牛を私たちは食べている。
遺伝子組み換え食品は猛毒性は無いため今日食べたら明日異変が起こるというものではない。しかしあきらかに自然の法則に違反している食べ物である。毎日人体実験しているようなものである。
栄養士はもっとミクロな部分までさかのぼって、やはりトレースを追わなければいけない。
推し以外にも推しを作ることが大事。
まゆゆもいいけど、わさみんも推し!
そして、はるごんも、しりりも推し!
最近気づいたね。自分の好きなものばかり見てると周りの良さや他の重要性に気づかないって。
つまり、自分の得意なことだけだけでやると、周りに転がってる自分の可能性を見落としているってこと。
皆、時計屋さんで時計を選ぶとき何を見て選ぶ?
もちろんデザインだよね。だけど、数年、10年もその時計をつけていたら“デザイン”じゃなくて“時間”しか見ていないんじゃない?
買うときはデザインが好きで選んだのに、10年たったとき時計を見ずにそのデザインを絵に描いてみてと言ったらなかなか描けないもんだよ。
もっと言うとデザインを意識したせいで、針や時間が見えにくいのを買った後から気づいたって人いない?
つまり人間というのは、一つの情報に集中してしまうと他の情報が見えなくなってしまうってこと。この時は脳の中の副側被蓋野が活発に動いているときだよね。
これを選手自身が理解してくれたらいいんだけど、監督・コーチが気づかずどんどんハマっていくと、恐ろしい失敗に繋がるかもしれない。
恋人と別れた瞬間視野が広がるのも同じことだと思う。付き合ってる最中は恋人に夢中で他のことを見れないけど、別れたとき周りがよく見える見える。そして口文句的に。あーはやく気づけば良かったと言った人いない?
失敗してから時既に遅しな状態を作ってはいけないことがあるように監督・コーチは常に頭を柔らかくして見なきゃいけない。
何に対しても、一つのことだけに集中してたどっていくと、毎回言うけど、結局わからないってことがわかる。とこに行き着くことが多い。そのときに無意識的に、自分の場合はそれに近い学問やそれに必須の学問の教養を取り入れたんだ。もちろん自分の専門外だけど。そしたらどんどん違う方向からアプローチできるようになったと強く感じている。
この無意識というところに最近凄さを感じてるんだ。
周りから見たら、この人頑張ってますね!って言われたりすることが実は自分は別に頑張ってないことがある。
この状況を作る条件って、自分のやりたいことをしているときとか、夢中にやってるときだと。
もし自分にとって夢中になってしているときって、ワクワクドキドキしてる自分がいる。もちろん失敗もするかもしれないけど、やりたいことやってんだから何も悔いはないって言ってる人多い気がする。
その時すごい感じることがあって、そうゆう人ってすげーパワー感じる。一緒にいて元気もらえたりする。
その対照的に、始発や終電の満員電車にいると負のオーラ満載が・・・。あの空気間にいたくないから絶対電車使わない仕事をするって人も多い。
無意識的にどんどん進んでいっている人って、上にも書いたけど、ちょっとやそっとのこのでへこたれないし何よりも今の環境から抜け出す可能性があるようね。
お金持ちになりたい。
オリンピックでたい。
9秒台で走りたい。
そう思ってる時点でその目標を達成できないゾーンから物事をみていると同じ。
お金持ちになりたいって思ってる人は、貧乏な自分の領域から見つめているよね。
オリンピックにでたいって思ってる人は、オリンピックにでれない自分の領域から見つめているよね。
けど、夢中になってるときって、今のゾーンから抜け出して当たり前のゾーンにいる気がするんだ。
そうゆ人からはそんな秘めたパワーを感じる。
今の自分は着実にいつゾーンを壊してもおかしくない気がするんだ。
あとは火をつければ直ぐに発射できる自分が形成されてきた気がする。
そのタイミングはどこなのか?
このまま自分のやりたいことをどんどんやってれば気がつけばすごいことになってるよ。
ははははは ははは
そして、はるごんも、しりりも推し!
最近気づいたね。自分の好きなものばかり見てると周りの良さや他の重要性に気づかないって。
つまり、自分の得意なことだけだけでやると、周りに転がってる自分の可能性を見落としているってこと。
皆、時計屋さんで時計を選ぶとき何を見て選ぶ?
もちろんデザインだよね。だけど、数年、10年もその時計をつけていたら“デザイン”じゃなくて“時間”しか見ていないんじゃない?
買うときはデザインが好きで選んだのに、10年たったとき時計を見ずにそのデザインを絵に描いてみてと言ったらなかなか描けないもんだよ。
もっと言うとデザインを意識したせいで、針や時間が見えにくいのを買った後から気づいたって人いない?
つまり人間というのは、一つの情報に集中してしまうと他の情報が見えなくなってしまうってこと。この時は脳の中の副側被蓋野が活発に動いているときだよね。
これを選手自身が理解してくれたらいいんだけど、監督・コーチが気づかずどんどんハマっていくと、恐ろしい失敗に繋がるかもしれない。
恋人と別れた瞬間視野が広がるのも同じことだと思う。付き合ってる最中は恋人に夢中で他のことを見れないけど、別れたとき周りがよく見える見える。そして口文句的に。あーはやく気づけば良かったと言った人いない?
失敗してから時既に遅しな状態を作ってはいけないことがあるように監督・コーチは常に頭を柔らかくして見なきゃいけない。
何に対しても、一つのことだけに集中してたどっていくと、毎回言うけど、結局わからないってことがわかる。とこに行き着くことが多い。そのときに無意識的に、自分の場合はそれに近い学問やそれに必須の学問の教養を取り入れたんだ。もちろん自分の専門外だけど。そしたらどんどん違う方向からアプローチできるようになったと強く感じている。
この無意識というところに最近凄さを感じてるんだ。
周りから見たら、この人頑張ってますね!って言われたりすることが実は自分は別に頑張ってないことがある。
この状況を作る条件って、自分のやりたいことをしているときとか、夢中にやってるときだと。
もし自分にとって夢中になってしているときって、ワクワクドキドキしてる自分がいる。もちろん失敗もするかもしれないけど、やりたいことやってんだから何も悔いはないって言ってる人多い気がする。
その時すごい感じることがあって、そうゆう人ってすげーパワー感じる。一緒にいて元気もらえたりする。
その対照的に、始発や終電の満員電車にいると負のオーラ満載が・・・。あの空気間にいたくないから絶対電車使わない仕事をするって人も多い。
無意識的にどんどん進んでいっている人って、上にも書いたけど、ちょっとやそっとのこのでへこたれないし何よりも今の環境から抜け出す可能性があるようね。
お金持ちになりたい。
オリンピックでたい。
9秒台で走りたい。
そう思ってる時点でその目標を達成できないゾーンから物事をみていると同じ。
お金持ちになりたいって思ってる人は、貧乏な自分の領域から見つめているよね。
オリンピックにでたいって思ってる人は、オリンピックにでれない自分の領域から見つめているよね。
けど、夢中になってるときって、今のゾーンから抜け出して当たり前のゾーンにいる気がするんだ。
そうゆ人からはそんな秘めたパワーを感じる。
今の自分は着実にいつゾーンを壊してもおかしくない気がするんだ。
あとは火をつければ直ぐに発射できる自分が形成されてきた気がする。
そのタイミングはどこなのか?
このまま自分のやりたいことをどんどんやってれば気がつけばすごいことになってるよ。
ははははは ははは
すっげー難しい本。
是非この本を読んだことある人、この本を理解した人と話がしたい。
最近は学問が細分化しすぎたせいで、物事が進化してより細かくなり研究分野が広がりより専門的になったことによって進化しSFの世界が現実となりえる文明になりつつある。つまり文明の力があったことでどんどん環境は変わってきている。すばらしいことだ。しかし、長所は短所、短所は長所というように自分の得意な分野、性格にこそ欠点があることを忘れてはいけない。
歯医者さんが言っていたが、肩こりになると同時に歯が痛むという患者さんがきたらしいのだ。
歯をチェックするとその痛む歯は何も虫歯にもなっていない。しかし、治療をしたという安心感を与える為に虫歯になっていない横の歯を少しだけ削る。そしてたら患者さんとしても安心感を持つようになる。しかしその患者さんがまた後日きて同じ歯が痛いと言ってきた。もちろんその歯は虫歯ではない。そして愕然とした。その患者さんは違う歯医者でその歯の神経を抜き取られていた歯だったのだ。もちろん歯は虫歯ではない。さらに神経が抜き取られているにもかかわらづズキズキ痛むというのだ。
歯医者さんが言うにはこのうように虫歯でもないのに痛いといってくる患者さんが多くいるのは感じているらしい。そこで歯医者としては最悪神経を抜くということをするしかない。それが歯医者のできる現状なんです。と。
そこで歯医者さんが体を関節をいじりはじめら、なんとその歯を痛さが治ったと同時に肩こりも治ったというのだ。
普通、歯が痛ければ歯医者へ、肩こりがあれば接骨院か整体へという考えが生まれる。
ここで学問が細分化してしまった欠点が浮き彫りになってきた。
歯医者としては口腔もしくは歯のみ治療をしていく。そもそもそれがおかしなことだと歯医者は気づく。
歯というものは骨であり体全身の骨や神経や血管をつないでいる。さらにその周りには筋肉が支えてできている。つまり歯は全身と繋がっているのにも関わらず、ただ歯が痛いというだけで歯以外は別物と考えること事態ナンセンスな話だと。
それに気づいた歯医者さんは虫歯でない患者が来たら関節などをいじってチェックしていくとなんと歯が痛くならなくったという患者さんがどんどん増えていったというのだ。むろん歯医者業界では そんなはずはない の一言で信じない人が大半をしめている。
自分たちのスポーツの現場で置き換えて考えると、よく『体幹が弱いんで鍛えるメニュー教えてください。』といった選手がいる。そこで普通は体幹を鍛える練習をやってしまうのではないのか?言いたいことは、体幹が弱いからと言って体幹をやればは解決できるということではないということだ。
骨格がゆがみ筋肉がねじれなどが起きている場合、体幹が使いにくくなっている可能性だってかなりの確立であるということだ。
学問は細分化しても、人の身体は細分化して考えてはいけない。
人間は歩き、走り座るなど日常生活の中であたり前のようにする行動は皆同じである。しかし、睡眠中の寝返りについては人それぞれ自由に寝ている。
寝返りは身体のゆがみを調節しているとう考えかたもある。つまり脳がストレスを感じないように身体を動かして身体のねじれを戻しているわけだ。
自分の実験室でよく寝具屋さんが睡眠の実験をしているがよりよい快眠にするために脳がストレスを感じるか感じないかに重きを置いている。
身体をゆがめるのを脳のストレスだと浜田研究所も言っている。自分が考えていている4スタンスも、この動きがしっくりくる・こないを感じるのは脳である。野球のグローブ選びも、シューズだって全てしっくりくる、すっきりといったことを脳が選んで判断している。物質的なことだけでなく、心理においても今日はこのご飯が食べたい。今日のデートの服は何を着ていこうか?よしこの服で今日は勝負を決めるといったことを常に考えているということ。
ここから考えると、やはり自分自身と対話し、自分をしっかり理解してあげることで脳の調子をあげることで身体のゆがみも、肩こりであっても、競技パフォーマンスの向上であっても、全て脳がストレスを感じれば身体もゆがみ、パフォーマンスも低下する。ということだ。
アメリカの研究者が 悩みについての研究をした。深く悩んでいる人に、それについて悩んだらどうなったか?という問いを繰り返した こう悩むことによってこうなったと言えば それからさらに悩んでどうなった? そこから悩んでこうなって それでどうなった?と。結果何も解決しなかったそうだ。
つまり、悩んでもことは何も解決に至らない。悩むことは無駄な時間だと提唱したのだ。
最近行き着いた考えがある。
フォームを教えるのではなく、ポイントだけ教えるということ。
フォームを教えて技術指導をして技術力を挙げていくのが万人に通用しないし、かえって指導者によって自分には合っていないフォームを思い込んでしまうというこで、ポイントだけ教えればポイントで発揮できるように自分自身が無意識でも身体がパワー発揮できるフォームを作り上げていくことが人間にはできるということ。
多くを語らずできる指導が、少しづつ自分の中で形成さているのを感じる。
昔は軍隊などがあり指揮官の言うことは絶対な時代も今は忘れられ、屁理屈を平気でいう時代である。
指導現場においても、この練習の意味や目的をコーチが選手に練習に取り組む前に説明しないと、やる意味がわからないからやらないといった選手がいる時代である。しかし昔はコーチが出すメニューを黙々とこなし、そこで自分で感じとってトレーニングの意味などを発見していく時代であった。
指導する立場も環境や時代の変化によって適応していかないといけない。しかし、この両者が同じ立場にたったとき。自分で糸口を見つけ出した人達が人に説明を受けて練習してきた選手よりも人間的に成長するであろう。
自分を知るためには自分で気づかないといけないのだ。自分で考えられない奴はそこまでの人間だと。最近自分は割り切って考えるようにしている。
昔は物がなかった時代から一気に文明が進んだこの時代。その当時は何年後にはこう変化するといった予測が必要であった。
しかし今は違う。文明が進みいつなんどきすぐに違う変化が簡単に起こってしまう時代、予測力よりも反応・適応力が必要になってくる。
だから物事は壮大で広く考えないといけない。
鉄人28号
土曜に地元三重に帰り次の日神戸へ移動し横浜帰国。
新幹線を出た瞬間から家→伊勢神宮→電車→神戸まで人に触れずに帰るルールを結構。
触れまくりの連続だった。
厄介だったポイントが伊勢神宮と大阪から兵庫への電車区間。
伊勢神宮のごったごった人の数。特に金を投げるところのギューギュー積め状態。
関西特有のガメツイ歩き方の洗礼を受けて人と触れずに歩くことも難しさを改めて実感。

最近の自分の他ジャンルに及ぶ分野に興味あって本を読み漁ってる、そこに行き着いたのも体を鍛えることがあったからだ。とかべらべら友達に話していると、お前ブロリーになれたか?近づいたか?と友達が俺に訊く。そのときに はぁ!と感じた。
確かにあの時、ブロリーを見なければブロリーになりたいがために腕立て伏せから始まり腹筋などを鍛えるようになった。ブロリーに触発されてトレーニングするようになったのが始まりだった。それが今の自分を作り上げてきた最初の動機である。
不純な理由ほど人間を活気づかせ頑張らすのではないのか。
ちょいと前に、TVをつけたら野球の王さんが『イチローのお陰で大リーグ、日本球界のバッティングとピッチングは向上するよ。』と言っていた。
イチローは10年連続200本安打を記録し今年はその記録が途絶えた。
皆さんこの途絶えた原因をどう考えるだろうか。
イチローは歳をとってきたからしょうがないとか、ピークは過ぎてからではないか?と思う人が多いのではないだろうか。
ここで王さんは『イチローがダントツでずば抜けていたんですよ。200本安打はまれにするものであって10年はすごいという気持ちがあるならば、この記録は達成できていない。そしてイチローが記録を現実にたてたことによって、人間の脳はああ 人間はできるんだと確信する。そしてそれに伴いバッティング技術とかピッチング技術があわせる形で向上してくる。』と。
違う言い方をするとなぜかベンチプレスに関しては皆とりあえず100キロを挙げたいと言う人が多くいる。
僕から言わしてもらったら100キロぐらいなら大体の人は挙げられる重量だと思っているが、目標を100キロあげたいと言った時点でハードルがすごく高くなるのではないかと思っている。このとき脳内では100という数字が特別な数字になっている。だからなぜか90、95㌔まではすんなり挙がるのに100手前で止まってしまう現象をよく見てきた。力的に劣るのではなく脳が設定していないから挙がらないだけで、もし目標設定を120とかしたら100なんかすぐに挙げてしまうと感じる。
競技によっては陸上競技やスキーなどといった数字競技もあれば、バレーやサッカーみたいに得点競技もあれば、単純に勝ち負けで判断するアームレスリングや格闘技といったスポーツある。昔ちょっとだけ陸上をやっていてそこからレスリングに競技を変えたとき明らかに陸上の人は数字に細かい挙句神経質な人がおおかったのに大してレスリングをやっている人は大雑把で適当なのに練習になるろいきなり切り替えせるギャップが印象的だった。
日本人でいうと100mを9秒台で走るということが夢になっている。伊東浩二が1998年に10秒00を打ち立ててから9秒台に誰も到達していない。もうあれから何年たっているんだと。いい加減だせよ9秒台と思うかもしれないがこの原因は10秒00という記録になるのではないかと思っています。
もしあそこで9秒99でも出しておけばあれから2人でも3人でも日本人で9秒台をだしていてもおかしくない人材がいたと思う。しかし一番出してはいけないう10秒00という数字を出した挙句、9秒台の意識がさらに増し、なかなか越えられない記録になっているのではないかと考えています。だから試合前100m選手は9秒台を目指してとかあえて数字を意識し口に出すべきではないと思っています。数字を言った時点でそこから上を塗り替えるのは俄然厳しくなると思う。
世界記録保持者のボルトを見ても記録に関して意識しているコメントなんか何も言っていなかった ただ1番で走るだけだと。
あの世界記録を打ち立てたときはボルトはダントツでもう記録を誰も塗り替えられないのではないのか?と誰もが思ったはずです。しかし、あのダントツの記録を出したことによって他の選手がボルトとの差を縮めている。
イチローが打ち立てた200本安打を止めるのにピッチャーは10年もかかったのだ。これは異例だと思う。
僕はボルトの100mの記録更新に10年もかかると思えない。そのぐらいイチローが出した記録はすごいと思う。
こうやって考えると自分の経験では、陸上の投擲をやめるとき、高校では通用したかもしれないけど、大学では他の選手は皆体も大きいし、別にセンスがあるわけでもないし記録は伸びないという体系や実力といったことを理由に辞めたけど、体系や技術や実力といったことはあまり大事な原因ではなくて、自分がもう無理だと思った時点でそこで記録や向上はストップするのだということがわかった。つまり、まだいける!絶対通用するとバカみたいに強い意思があれば体系や技術やセンスとかほとんどことをカバーでき作り上げることができるのではないかと感じる。そう思って今は、物事を見つめなおし自分がやりたいことに関しては物質的にプラスやマイナス要因で物事を考えるのではなく自分の心がそこに向いているのか向いていないのかで判断しなければならないということに気づいた。
陸上部と話していると今日のメニューはやばかった400300200100の何セットだ何だ・・。
だれがやばいって決めたんだ。やばいと決めた時点でそれ以上の練習は望めないということだ。そのやばい練習をしても試合で勝てないほうが俺からしみたらやばい。陸上だったら走って当たり前だという考えにならないのだろか。まじああゆう陸上の口文句的なの俺嫌い。レスリングのカレリンが怪我をしていたときはボートを3時間ひたすら漕ぎ続けて練習をしたとか。基準があったら何本何セットだとか。問題は回数やセットの基準をつくるのではなく自分の頭の中納得できる基準を作るべきではないのか?記録競技の人はなおさら数字や記録にこだわらなくするべきだと強く感じる。
言いたいことは、人間は絶対的な強靭な意識さえあれば、無限大にまだまだ実力を伸ばせるということだ。
新幹線を出た瞬間から家→伊勢神宮→電車→神戸まで人に触れずに帰るルールを結構。
触れまくりの連続だった。
厄介だったポイントが伊勢神宮と大阪から兵庫への電車区間。
伊勢神宮のごったごった人の数。特に金を投げるところのギューギュー積め状態。
関西特有のガメツイ歩き方の洗礼を受けて人と触れずに歩くことも難しさを改めて実感。

最近の自分の他ジャンルに及ぶ分野に興味あって本を読み漁ってる、そこに行き着いたのも体を鍛えることがあったからだ。とかべらべら友達に話していると、お前ブロリーになれたか?近づいたか?と友達が俺に訊く。そのときに はぁ!と感じた。
確かにあの時、ブロリーを見なければブロリーになりたいがために腕立て伏せから始まり腹筋などを鍛えるようになった。ブロリーに触発されてトレーニングするようになったのが始まりだった。それが今の自分を作り上げてきた最初の動機である。
不純な理由ほど人間を活気づかせ頑張らすのではないのか。
ちょいと前に、TVをつけたら野球の王さんが『イチローのお陰で大リーグ、日本球界のバッティングとピッチングは向上するよ。』と言っていた。
イチローは10年連続200本安打を記録し今年はその記録が途絶えた。
皆さんこの途絶えた原因をどう考えるだろうか。
イチローは歳をとってきたからしょうがないとか、ピークは過ぎてからではないか?と思う人が多いのではないだろうか。
ここで王さんは『イチローがダントツでずば抜けていたんですよ。200本安打はまれにするものであって10年はすごいという気持ちがあるならば、この記録は達成できていない。そしてイチローが記録を現実にたてたことによって、人間の脳はああ 人間はできるんだと確信する。そしてそれに伴いバッティング技術とかピッチング技術があわせる形で向上してくる。』と。
違う言い方をするとなぜかベンチプレスに関しては皆とりあえず100キロを挙げたいと言う人が多くいる。
僕から言わしてもらったら100キロぐらいなら大体の人は挙げられる重量だと思っているが、目標を100キロあげたいと言った時点でハードルがすごく高くなるのではないかと思っている。このとき脳内では100という数字が特別な数字になっている。だからなぜか90、95㌔まではすんなり挙がるのに100手前で止まってしまう現象をよく見てきた。力的に劣るのではなく脳が設定していないから挙がらないだけで、もし目標設定を120とかしたら100なんかすぐに挙げてしまうと感じる。
競技によっては陸上競技やスキーなどといった数字競技もあれば、バレーやサッカーみたいに得点競技もあれば、単純に勝ち負けで判断するアームレスリングや格闘技といったスポーツある。昔ちょっとだけ陸上をやっていてそこからレスリングに競技を変えたとき明らかに陸上の人は数字に細かい挙句神経質な人がおおかったのに大してレスリングをやっている人は大雑把で適当なのに練習になるろいきなり切り替えせるギャップが印象的だった。
日本人でいうと100mを9秒台で走るということが夢になっている。伊東浩二が1998年に10秒00を打ち立ててから9秒台に誰も到達していない。もうあれから何年たっているんだと。いい加減だせよ9秒台と思うかもしれないがこの原因は10秒00という記録になるのではないかと思っています。
もしあそこで9秒99でも出しておけばあれから2人でも3人でも日本人で9秒台をだしていてもおかしくない人材がいたと思う。しかし一番出してはいけないう10秒00という数字を出した挙句、9秒台の意識がさらに増し、なかなか越えられない記録になっているのではないかと考えています。だから試合前100m選手は9秒台を目指してとかあえて数字を意識し口に出すべきではないと思っています。数字を言った時点でそこから上を塗り替えるのは俄然厳しくなると思う。
世界記録保持者のボルトを見ても記録に関して意識しているコメントなんか何も言っていなかった ただ1番で走るだけだと。
あの世界記録を打ち立てたときはボルトはダントツでもう記録を誰も塗り替えられないのではないのか?と誰もが思ったはずです。しかし、あのダントツの記録を出したことによって他の選手がボルトとの差を縮めている。
イチローが打ち立てた200本安打を止めるのにピッチャーは10年もかかったのだ。これは異例だと思う。
僕はボルトの100mの記録更新に10年もかかると思えない。そのぐらいイチローが出した記録はすごいと思う。
こうやって考えると自分の経験では、陸上の投擲をやめるとき、高校では通用したかもしれないけど、大学では他の選手は皆体も大きいし、別にセンスがあるわけでもないし記録は伸びないという体系や実力といったことを理由に辞めたけど、体系や技術や実力といったことはあまり大事な原因ではなくて、自分がもう無理だと思った時点でそこで記録や向上はストップするのだということがわかった。つまり、まだいける!絶対通用するとバカみたいに強い意思があれば体系や技術やセンスとかほとんどことをカバーでき作り上げることができるのではないかと感じる。そう思って今は、物事を見つめなおし自分がやりたいことに関しては物質的にプラスやマイナス要因で物事を考えるのではなく自分の心がそこに向いているのか向いていないのかで判断しなければならないということに気づいた。
陸上部と話していると今日のメニューはやばかった400300200100の何セットだ何だ・・。
だれがやばいって決めたんだ。やばいと決めた時点でそれ以上の練習は望めないということだ。そのやばい練習をしても試合で勝てないほうが俺からしみたらやばい。陸上だったら走って当たり前だという考えにならないのだろか。まじああゆう陸上の口文句的なの俺嫌い。レスリングのカレリンが怪我をしていたときはボートを3時間ひたすら漕ぎ続けて練習をしたとか。基準があったら何本何セットだとか。問題は回数やセットの基準をつくるのではなく自分の頭の中納得できる基準を作るべきではないのか?記録競技の人はなおさら数字や記録にこだわらなくするべきだと強く感じる。
言いたいことは、人間は絶対的な強靭な意識さえあれば、無限大にまだまだ実力を伸ばせるということだ。
無色透明の正体
昨日学校の帰り、はまちゃんのバイクのケツに乗り、カヌーのパドルを運んでいるときに、パドルの先端部(水をかくとこ)に風が命中しあおられることに気づいた。それと同時にあおられる場面もあれば風を斬る場面もあった。
そしてはまちゃんちに着くまでに風を斬る練習をした。
風はどこからくるかわからない。ここがもし水面であれば風がくるのがわかるし、雨が降れば雨の降る方向に風が流れているのがわかる。
そのときに風の姿に驚愕する。
風は無色透明なのだ!!
透明でありながら実在する。とんでもない自然の姿だ。今の科学をもってしても透明人間は作れない。さらに風は酸素や二酸化炭素を仲間にして風としての姿に変える。そんな最強の敵と今戦っているのかと思うとワクワクしてきた。
このパドルで風を斬るためには風の動きを読み獲らねばならぬ!
どーせ見えないなら目を瞑るのも同じ そして目を瞑り音と風の流れにあわせることを意識してみた。
いつの間にか風の動きを待つことはせず、風の流れに任せてみようという考えが生まれた。
風を敵だと思ってはいけない。一緒に動かなきゃいけない。俺たちは一体化している。
そして今日朝5時50分に目が覚めたので近くの神社まで散歩してきた。
目を瞑って階段を登ってみた。
こんなにもぐらつき不安定な状況で歩いていることはある程度予測できた。しかし、予測できなかったことがある。
それは足の裏の感覚が普段意識しないけど研ぎ澄まされたように働いていたということだ。
ああ、俺の足の裏さんはここまで敏感に働いてくれてたんだね 俺は今まで気にも止めず足の裏さんを使ってきたんだね ありがとう。
皆の利き手は何手?
俺は右利きなんだけど、あえて左を使うように練習すると左手の使い方はうまくなるよね。
そして両利きになると思っている人がいる。けどこれは間違い。
確かに右利きの人が左の練習をすると左の使い方は向上する。しかし、その反面、今まで使ってきた右の能力は落ちるんだ。
自分の場合だと右7・左3ぐらいの割合か8・2の割合で使ってるけど、もし左の練習をして左手の能力を5にすれば右も5に落ちるんだよ。
やから俺は右を極めたいね。それをフォローしてくれる左は割合的には少ないかもしれないけど右にはできない特殊な使い方があってもいいと思っている。
右と左の個性を高めていくように努力することが大事なんだと最近気づいた。
やっぱりトレースを辿らなければならない。
そしてはまちゃんちに着くまでに風を斬る練習をした。
風はどこからくるかわからない。ここがもし水面であれば風がくるのがわかるし、雨が降れば雨の降る方向に風が流れているのがわかる。
そのときに風の姿に驚愕する。
風は無色透明なのだ!!
透明でありながら実在する。とんでもない自然の姿だ。今の科学をもってしても透明人間は作れない。さらに風は酸素や二酸化炭素を仲間にして風としての姿に変える。そんな最強の敵と今戦っているのかと思うとワクワクしてきた。
このパドルで風を斬るためには風の動きを読み獲らねばならぬ!
どーせ見えないなら目を瞑るのも同じ そして目を瞑り音と風の流れにあわせることを意識してみた。
いつの間にか風の動きを待つことはせず、風の流れに任せてみようという考えが生まれた。
風を敵だと思ってはいけない。一緒に動かなきゃいけない。俺たちは一体化している。
そして今日朝5時50分に目が覚めたので近くの神社まで散歩してきた。
目を瞑って階段を登ってみた。
こんなにもぐらつき不安定な状況で歩いていることはある程度予測できた。しかし、予測できなかったことがある。
それは足の裏の感覚が普段意識しないけど研ぎ澄まされたように働いていたということだ。
ああ、俺の足の裏さんはここまで敏感に働いてくれてたんだね 俺は今まで気にも止めず足の裏さんを使ってきたんだね ありがとう。
皆の利き手は何手?
俺は右利きなんだけど、あえて左を使うように練習すると左手の使い方はうまくなるよね。
そして両利きになると思っている人がいる。けどこれは間違い。
確かに右利きの人が左の練習をすると左の使い方は向上する。しかし、その反面、今まで使ってきた右の能力は落ちるんだ。
自分の場合だと右7・左3ぐらいの割合か8・2の割合で使ってるけど、もし左の練習をして左手の能力を5にすれば右も5に落ちるんだよ。
やから俺は右を極めたいね。それをフォローしてくれる左は割合的には少ないかもしれないけど右にはできない特殊な使い方があってもいいと思っている。
右と左の個性を高めていくように努力することが大事なんだと最近気づいた。
やっぱりトレースを辿らなければならない。
