2015 最下位:DeNA 南場さ~ん! | ハロー・ベースボール!

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南場さ~ん!

投手陣は捕手がレベルアップ出来るんですよ。


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古田氏が殿堂入り!日本一4度のヤクルト支えた「ID野球の頭脳」


2015年の野球殿堂入りが23日、東京・文京区の野球殿堂博物館で発表された。競技者表彰のプレーヤー表彰で、1990年代のヤクルト黄金時代に正捕手を務めて5度のリーグ優勝、4度の日本一に貢献し、大学、社会人を経験した選手として初めて通算2000安打を達成した古田敦也氏(49)が選ばれた。特別表彰で選出された林和男氏、村山龍平氏(いずれも故人)と合わせ、殿堂入りは計187人となった。

1990年代のヤクルト黄金期を支えた名捕手・古田氏が、野球殿堂入りした。大学・社会人出身初の通算2000安打、セ・リーグ最多の9度のベストナインなど輝かしいプロ野球人生で、切っても切れない存在が入団時の監督だった野村克也氏。受賞スピーチでは感謝の言葉を並べた。

「イロハのイから厳しく教えてくれた。毎日立たされて怒られたが、すべて吸収するという強い気持ちがあった。今となれば、ありがたかった」

立命大4年だった87年、ドラフト当日に会見場を用意されたが、指名されなかった。「プロで活躍してやる、と強い気持ちになった」。88年のソウル五輪で野茂英雄らとのバッテリーで銀メダル。アマでナンバーワン捕手との評価を受けながら、当時は「メガネの捕手はプロでは通用しない」が定説。その反骨心から、90年にヤクルト入団後は野村監督の厳しい指導に耐えた。

2年目の91年に首位打者を獲得。「野村ID野球の頭脳」として5度のリーグ優勝、4度の日本一に貢献した。印象に残る場面は「ヤクルトを認知していただいたターニングポイント」という、常勝・西武を倒した93年の日本シリーズ。西武の捕手は伊東勤(現ロッテ監督)で、リーグを代表する捕手対決だった。

日本プロ野球選手会会長としても、初の殿堂入り。2004年の球界再編問題では「闘う選手会長」として球界初のストライキを決行し、楽天の誕生で12球団体制を維持した。労使交渉を続けながら、ヤクルトの4番を務めた日々も「ファンのみなさんが勝ち取ったもの」と振り返った。

昨年6月に父・英夫さん(享年81)を亡くした。「『男なんだから強い体と強い心を持つんだ』と言ってくれたおかげで今がある。喜んでいると思います」。今後の現場復帰には「もちろんチャンスがあれば。野球は得意なので」。サラリとした口調に意欲をのぞかせた。