「母性をくすぐられる」って言うじゃん。
あれは2つのタイプがいると思うのね。(・∀・)
(男性のタイプじゃなくて、くすぐられる方の女性のタイプの話ね。)
母性くすぐられる系2タイプ
母性をくすぐられるタイプの人は、
1、自分の有り余る母性を与える先をいつでも探してる山崎まさよしタイプ
2、自分がもらえなかった母性を人に与えたい非・山崎まさよしタイプ
まさよしタイプと、
非・まさよしタイプね。
まあ2のパターンももらえなかった母性を与える先をいつでも探してるから、
どっちにしてもまさよしタイプなんだけど。(・∀・)笑
そもそも母性とは
仮に、母性を単純に「子どもに何かをしてあげたいと思うこと」としましょう。
けどこれって、母親(してあげる側)視点なんです。
なので、母親によって、「母性」の中身がかわっちゃいます。
子ども視点から見た時の母性ってのはすっごい簡単な話で。
『母親が自分を見て笑顔をくれること』だ。
だから、まさよしタイプは別に何かを与えよう与えようなんて必死にはなってなくて、
ただ、めっちゃ笑ってる人が多い。(≧∀≦)
逆に、非・まさよしタイプは、
子ども視点から見た時の母性を知らずに大人になって、
母親視点で母性を語ってるからなんだろうけど、
なぜか与えよう与えようと必死になって、我慢して、自分犠牲にして、疲弊して、不機嫌になって、
笑顔忘れてる人が、多い。(≧∀≦)
「母性」の意味が、
まさよしタイプと非・まさよしタイプでは違ってくるのは当たり前で。
まさよしタイプがなぜ母性が有り余るのかといえば、
それは自分が母性をたくさんもらったことがあるからで、
その母性は母親の笑顔から感じてるから、
自分が母性を発揮する時、自然と笑顔になる。
逆に非・まさよしタイプは母性をもらったことがなくて、
自分の想像の母性になってるんだよね。
だから、
母性が拗れて、
・尽くすこと
・与えること
・寄り添うこと
・いつも優しく
みたいに謎にハードルだけ高い母性になっちゃう。
まさよしタイプと非・まさよしタイプ
1、まさよしタイプは、
自分が母親との間に愛着を感じられたこと喜びを体が覚えているからだと思うのね。(・∀・)
それを、いろんな人、いろんな物との間にも感じたいんだと思う。
そして愛着を感じた時のことを体が覚えてて、
その時、母親が笑っていたことをしっかり体が覚えているから、きっと笑えるんだろう。
そして人は笑顔だと気分がよくなる。
気分がいいと、
・人に対して優しくなり、
・行動的になるので、
人に対して笑顔だけでなく、何かを与えられる、のだろう。
2、非・まさよしタイプは、
「母性くすぐられる」が実は、もらえなかった母性を人にあげようとしてるだけだったりする。
それは、
母性をもらえなかった悲しみを他人に投影して同情しているだけ、だったりする。
・かわいそうな人
・出来ない人
・自己肯定感低い人
に、
与えられる存在になることで、
自分自身が母親から母性をもらえなかった悲しみを晴らそうとしているようで、
実際には、
自分自身が母親から母性をもらえなかった悲しみから、救われたいんだよな。
・人に対して優しく
・否定せず
・親切に
与えたいからじゃなく、本当は与えられたかったからだ。
他人に同情してるとき、本当は救われたいのは自分だ。
与えたいんじゃなくて、救われたいんだよな。(・∀・)
救われたいのは今でも与えられたかった母性を自分が求めてるからだよな。
だから、
母性をくすぐられて付き合って結婚したつもりが、
いつのまにか自己犠牲で相手に与える我慢が積み重なって、
「何で私はこの人と結婚したんだろう」ってなる。
自分自身が母親から母性をもらえなかった悲しみはちっとも癒えないから。
また、別のものに救いを求めるんだろう。
あなた自身は、
母性足りてますか?
まずこの問いとしっかりと向き合うのが大切なんじゃないかなと、思う。
※コメント欄は一応全部読んでます!( ´∀`)
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