どうも、僕です。
「それが”愛”だと、誰が決めたん?笑」
ギクっとした人は、
今日22:30から!!
三上みひろさんのインスタライブに出演させていただけることになったので、
観ーーーーーーーーーーーーてーーーーーーーーーーーー笑
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みひろさんのインスタをフォロー&通知をONにして、
夕飯後にガンガンにカフェイン摂取しといてください。
僕も奥さんがスタバをテイクアウトしてきてくれたんでカフェイン摂取しますた!!
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みひろさんがインスタのストーリーに過去記事紹介をあげてくれました。
ありがとうございます。
リンク貼っておきます!!
○<保存>男女の「愛してる・愛してない」論争に終止符を打つ。笑
みひろさんのインスタライブでも、
自分の”愛”の形を疑ったエピソードを話されていて、納得!!って思ったのですが。
「愛されない」と言っている人は、
愛されないことが問題というより、
・自分の”愛”の形に呪われてる。
・愛の「呪縛」に囚われている。
が、問題というか、苦しみを生んでいる大きな要因になっています。
逆に、
パートナーシップに問題がない人たちというのは、
普通に生きてる日々の生活の中で、
「愛されてるー!!!」とか、
「愛ってなんだ」について考えることなんてほぼないと思います。
普通に毎日楽しい、
その生活の一部にパートナーシップがあるだけです。
・要望は伝える
・嫌なことされたら怒る、
・考えが食い違ったら話し合う、
結果、
利害関係の不一致(性格の不一致ではなく)がリカバリ不可能だったら別れる、
以上です。
そもそも!!
「愛の形」に世界共通定義はないのですが、
それは個人のなかですら変わるものです。
愛の形の成り立ち方でいうと、
自尊心が低い人ほど、
『親からもらえなかった形の愛情』を他人に求める傾向にある気がします。
例えば僕の親は、
僕に対して放任主義をとりましたが、
僕の自尊心が傷ついていたときは、
放任主義とは逆の、
積極的関心と承認、賞賛、というようなものを愛情の形として相手に求めていました。
当然ですが、愛の形としては万人に共通しないので、相手は困ってしまいます。
自尊心が回復した今、
パートナーに必要以上の承認や賞賛を求めることは減り、
むしろ、自由や尊重(≒放任、信任)を大事にしているように自分自身思います。
「親が過保護だった。」
というケースであればこの逆になることだってあります。
こんな風に、
愛の形というのは人によって違いますし、
一個人のなかでも変わるものなので、
相手を自分の「愛の形」で縛ることなどできません。
それに固執して自分とパートナーを縛ってしまうのはむしろ、本末転倒ですよね。
僕の例でいえば本質的には、
目の前の相手に愛されてない、ことよりも、
自分の自尊心が傷ついていることそのものについて向き合うことが必要でしたしね。
存在しない概念に呪われているより、
目の前の相手(パートナー)ときちんとコミュニケーションを取ることの方が大事で、
それをしてない状態での「愛してる、愛してない」論争ほど、
なんて日だ!!(不毛)
なものはないと思います。
ちゃんと、コミュニケーションすればするほど、
愛という曖昧なものから解放されて楽になりますし、
結果として、
目の前の相手との愛の形っていうのができあっていくものなのではないでしょうか。
では夜にー!
今日22:30!!
むねを