片山君のこと

   三森至樹

 最近ふと片山君のことを思い出した。もう55年も前の出来事だ。
 「さざんかの宿」という歌について、こういう不倫とか心中とかの歌がなぜはやるのか考えていたとき、ふと思い出したのだ。
 私は高校1年のとき、二か月ほど休学して入院した。腰が痛くなったためだった。高校は熊本市内の学校だったが、入院したのは水俣の北の方の湯の児というところの病院だった。温泉で有名なところで、その病院も温泉を利用した療養所のようなところだった。湯の児は私の家の湯浦にも近かった。
 そこにはいろいろな人が入院していた。胎児性水俣病の子供もいたし、トラック事故で下半身マヒになった人もいた。脊髄癆のおじさんは私の同級生の父親だった。だいたい整形外科関係の患者が多かったと思う。
 その入院患者の中に一人の高校生がいた。彼は片山勇次といった。彼が生まれたのは、矢部町ということだった。熊本市の南の町で、今は山都町になっていると思う。彼は高校生だったが、私より年上だったと思う。二年か三年ではなかったろうか。彼はいつも私を「ボク」と呼んでいたから。彼はバイク事故で脊髄を損傷して下半身が動かせなくなっていた。彼はいつも車椅子で動き回っていた。
 彼が湯の児病院にどれくらいいたかは分からないが、やがて下半身不随のまま、車椅子のままで退院していったのだと思う。彼の下半身はもう治療できない状態だった。
 その後まもなくだと思うが、彼が自殺したということがどこからか伝わってきた。彼は付き合っていた女子高校生と一緒に心中したという話だった。彼がどこの高校に通っていたかは分からないが、一緒に自殺したのは熊本市内の女子高校に通っていた女性だった。
 彼はおそらく、下半身不随のままこれからの一生を生きていかなければならないという重荷を耐えられないと思っただろう。そんなくらいなら死んだほうがましだとも思っただろう。そしてその当時付き合っていた女性が、そんな彼に同情して、一緒に死んであげようとなったのだろう。軽率といえば軽率だし、一時の迷いで長くあるべき一生を二人とも棒に振ったともいえる。
 自殺しようとする男が、どれくらいの割合で女性と心中するのかは分からないが、世にはよくあることだと思う。有名な例を挙げれば、太宰治がそうだ。彼は若いころから何度も心中事件を起こしていて、相手だけ死んで自分は生き残るということもあった。そして最終的にも、彼に心酔していた女性編集者と心中して、一生を終えた。
 私の父は片山君の事件のことを聞いて、「バカな奴だ」とののしった。私は死者に鞭打つようなことはよくないと諫めたが、実際それは若気の至りというには愚かなことだったと今は思う。
 もう55年の前のことだし、片山君のことを覚えている人ももうあまりいないだろう。まして人々の記憶に残るような大事件の話でもない。ただ、ふと思い出すままに書いてみたのだ。