以下は1995年に書いたものだ。古いものだが、思い出したので載せておきます。
墨田川と多摩川 (1995年)
「能に墨田川という曲があるが、知っているかね。」
そう、多摩川のほとりの住人が語りだす。
「知っているかもしれないが、一応の粗筋を言うとね。
…昔のこと、今の東京都台東区の墨田川の渡し場に、一人の少しいかれた女がやってきた。この女は、京都からはるばる墨田川くんだりまで、いなくなった独り子を捜し求めてやってきたのだ。そして彼女は、子供恋しさと心痛のあまり、気が触れてしまっているのだ。渡し守や商人が、この女をからかう。そのうち、この墨田川のほとりで去年の今日行き倒れてなくなった子供のことが話題となり、今日の夜供養の念仏があげられるという。
もしやと思って、この女が、その子供の様子や、行き倒れになった当時のことを聞きただしてみると、果たしてその女の独り子であったと分かる。女は泣き崩れる。
…みんなが集まってきて、そのかわいそうな子供のために、念仏を唱え始める。その子供の母親は、悲嘆のあまり念仏を唱えるどころではなかったが、子供の供養のためであると勧められて、鉦鼓(うちがね)をとって念仏を唱え始める。一心に念仏を唱えていると、不思議や、その中に子供の声が混じり始める。ああ、あの声は我が愛し児の声ではないか、今一度、今一度声を聞かせたまえと、女はさらに一心に念仏を唱える。するとまた子供の、念仏を唱える声がして、その亡霊が現われる。「なんじは我が子か」、「母にてましますか」と、母子は近づき抱きあおうとするが、その霊の姿は空しくかき消えて、あとには、夜が白みはじめる中に、草がぼうぼうと生い茂る小さな塚があるばかり。…
まあ、ざっとこんなのが、「墨田川」の粗筋だが、悲しい物語だね。
歌手のジョン・レノンがね、日本に来たとき、ビートルズとして来たときじゃなく、ずっとあとで奥さんのオノ・ヨーコと来たときのことだが、この物語が上演されるのを見て泣いたそうだ。良くは知らないんだが、ジョン・レノンも子供時代に、家庭に問題があったように聞いているから、おそらくそんな関係かもしれない。
あるいは、そんな個人的な事情はなくても、万人の心の琴線に触れるような何かを持っているのかもしれない。親と子の情は全ての人間に、程度の差はあれ、共通しているだろうからね。
僕もね、この能をはじめて見たときは、ひどく泣けて、涙が止まらなかったものだ。全ての親子は、程度の差はあれ、不幸な親子だ。なぜなら、死別するにせよ、子供が結婚して親もとを離れるにせよ、親子はいつか離れる運命にあるものだからだ。時間が全てのものを変えつつあり、そして全てのものが結局、死の中にのみこまれてしまうこの世においては、愛というものは完全に成就することはない。
時間が抵抗しがたい流れのように感じられ、肉体的に離れていることが絶対の制約のように考えられるかぎり、仏教で言う「愛別離苦」は、つまり愛しながらも別れ離れねばならない苦しみというものは、逃れることのできないものだ。そうであるかぎり、別れることを悲しむ人の涙は、尽きることがない。会えないことに苦しむ人の苦悶の声は、静まることがない。…
…同じ川と言っても、あちらは「墨田川」、こちらは「多摩川」だ。多摩川のほとりに住む者としては、多摩川の物語を語るべきだろう。
三鷹市にある大学に入学して、多摩川べりまで遠出をしたとき、僕は友達に、「はるばると遠くに来つるものかな」と言って笑われた。「おまえ、そりゃ、伊勢物語に出てくる言葉だろうけど、主人公がそれを言ったのは、墨田川だよ」と。そうすると、あの当時から僕は、墨田川と多摩川を連想の中で結びつけていたのだ。だから、「墨田川」と似て非なる「多摩川」の物語を書く下地は、あのころすでにあったのだ。
僕の頭の中にある、新しい「多摩川」の物語は、「墨田川」と似てはいるが、読者に伝える内容は違うはずだ。
新しい能「多摩川」は、大体こんな粗筋になるだろう。
…時は昔でも今でも良い。ある一人の女が、多摩川のほとりにやってくる。今の川崎市で、向こうは東京世田谷区だ。彼女は、いなくなった独り子を捜し求めて、はるばるやってきたのだ。(何だい、それは。まるで「墨田川」と同じじゃないか。)まあまあ、これから違ってくるから、だまって聞いていたまえ。
…で、そこで彼女はある坊さんと出会う。その坊さんと話しているうちに、去年の今日、行き倒れて死んでしまった子供がいたことが分かる。坊さんは、ちょうど命日でもあるし、その哀れな子供の供養のためにこれから念仏をあげるのだという。女はもしやと思って、その子供の様子、名前、どこの生まれかなど、分かるだけの一切を聞きただし、間違いない、その哀れな子供こそ我が愛しい独り子であると、泣き崩れる。
日が暮れ、日が沈み、夜になっても、彼女は泣きつづけている。坊さんはその間、黙って女のそばに坐っている。女がひとしきり泣きやんだとき、坊さんは、子供の供養のためにもいっしょに念仏をあげようと勧める。女も気を取り直して、鉦鼓(うちがね)をとって、念仏を唱えはじめる。
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、一心に唱えていると、その中に子供の声が混じり始める。ああ、あれは我が子の声ではあるまいか。今一度、今一度声を聞かせたまえ、姿を見せたまえと、なおも一心に念じると、やがて子供の声が、その母の心に語り始め、阿弥陀仏とともにいる子供の姿が、母の心に見えてくる。
「お母さま、もう嘆きたもうな、泣きたもうな。私は今、阿弥陀様の御手に抱かれて幸せです。…
無量寿、永遠の命、無限の力なる阿弥陀様は、その慈悲の御手をもって、私たちを救いとってくださるのです。だから私はいなくなったのではないのです。また、永遠に死ぬことはないのです。お母さま、私はいまでもあなたと共にいるのです。肉体としてあったときよりも、もっとあなたの近くに、いえ、あなたの中にいるのです。私たちは永遠に離れることはないのです。私たちは阿弥陀様の御胸に抱かれて、永遠にともにいるのです。だから、もう嘆きたもうな、泣きたもうな。悲しみの涙を、法悦の涙に変えてください。苦しみの涙でなく、よろこびの涙を注いでください。私たちは永遠に離れることはないのです。
無限の力なる阿弥陀仏は、無限の慈悲のゆえに、私たちを捨てたまわず、永遠の御国に生かしてくださいます。私たちの為したこと、喜びも苦しみも、迷いも煩悩も、御国において浄化され、悦びの音楽となっています。…ああ、何と美しいこと。私たちの愛は、決して空しく過ぎ去りはしない。愛は御国の宝となり、愛する者たちは決して離れることはない。
阿弥陀仏を信じなさい。阿弥陀仏を念じなさい。阿弥陀仏の御国に生かされていることを知りなさい。お母さま、私はあなたとともにいます。私たちは決して離れることはないのです。」…
子を失って悲しむ父よ、母よ。また、親を失って悲しむ子供らよ。嘆き悲しむのをやめたまえ。全能の愛なる神がともにいたもう。涙を拭いて、目を上げよ。全能の愛なる神がともにいたもう。そして、君たちは言うのだ。ああ、彼らはいなくなったのではなかった。全能の愛なる神が、私たちとともにいたもうのだから、神様とともに、私たちの愛する彼らもまた、私たちとともにいるのだ。神にあって、我らはいつまでもともにいる。私たちは永遠に離れることはないのだ、と。
見よ、神の国を。神は全能であり愛であるのだから、神の国は今ここに、すでに完全に存在する。何一つ悪いものはない。それらは、迷いの影で、過ぎ去りゆくものだ。それらを過ぎ去らせよ。神の国は今ここに、すでに完全に実在する。私たちはこの神の国に生きて、言うのだ。もはや全ての涙はぬぐいとられた。また、死も悲しみも、叫びも痛みも、もはやない。あらゆる先のものは、すでに過ぎ去った。我らは神とともに、永遠にともに愛のよろこびのうちに生きるのだ、と。