南座の特別公演は玉三郎の阿古屋 | 宗方玲・詩人が語る京都と歌舞伎

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南座での、玉三郎特別公演。 玉三郎の口上と、千次郎の解説のあとは、「阿古屋」です。

 

重厚な義太夫にのって、すっと現れたのが、秩父庄司重忠。 これには、吉之丞。

下った柔和な目尻、長めのきりっとした鼻の下、ずしりと重い語り口。 やはり、吉右衛門そっくり。

 

いや、これは吉之丞に失礼。 師匠の芸を引き継いで、真似に留まらないのが、この人の芸。

玉三郎が、尊敬の念を込めて紹介するはず。 玉三郎とバランスが取れる、貴重な役者です。

 

遅れて出てくる、岩永左衛門は千次郎。 解説のとおりの人形振りですが、これが人形そのまま。

森村泰昌もびっくりの、人間浄瑠璃ぶり。 顔が見えない遣いの、愛三朗と祐次郎も、いいぞ。

 

そこに、功一の榛沢に連れられて、玉三郎の阿古屋が登場。 拷問にかけると言われても、動じない。

本当に景清の行方を知らないとの、玉三郎の解釈を聞いていたので、演じぶりがわかりやすい。

 

責めろ、責めろとあおる岩永に、重忠が選んだのが三種の楽器の演奏による責め。 これぞ、歌舞伎の美。

「かげというも月のえん 清しというも月の縁」  浄瑠璃とのユニゾンで唄う、玉三郎の琴にうっとり。

 

続いては、三味線。 謡曲「班女」の一節が、朗々と語られる。 古典芸能粋が詰まった一瞬に、うっとり。

胡弓から、正座で身構えていた重忠が、階にぐっと乗り出す。 岩永も、あまりの心地よさに、もうノリノリ。

 

「夢さめてはあともなし 仇し野の露 鳥辺野の、、、」  ああ、恋は儚い夢、恋は水色、恋は盲目(?)

阿古屋の本心を悟った重忠が、楽器の責めの本心を明かし、岩永も得心して、これで情けある裁きの幕。

 

 

捕手と竹田奴には、松十郎を中心に、播磨屋の吉兵衛と吉二郎、高島屋の左升、成田屋の升三郎。

更に、近習に、京屋から京由、高砂屋から梅大などとは、こりゃ賑やかでうれしい。

 

玉三郎の後見は、いつもながら安心の玉雪。 榛沢の功一も、てきぱきと小道具をさばいて師匠を支えます。

現代に進化する古典、その中での様々な役を演じる役者の大切さを、玉三郎に教えてもらったひと時でした。