”アルツハイマー病とビタミンB群” &認知症だった母のこと | こころの雑談日記

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両親と夫を看取ってひとり暮らし。子供もいない孤独な人生。
話し相手がいないので、ときどきここでうっぷんを晴らそうと思います。
しばらくは手首(橈骨遠位端骨折)と肩腱板断裂の治療のことがメインになりそう..

8年前に亡くなった母はアルツハイマー病と診断された。

79歳で診断されたが、たぶんその前から兆候はあったと思う。

もう18年前になるのか...

健康診断とウソを言って、なんとか神経内科へ連れて行って検査をした。

 

私は50歳だった。

それまで、勤めに出ていた私に毎朝朝食を用意してくれていた。

お弁当も作ってくれていた。

夕食も毎日作ってくれた。

 

母はパチンコ依存症で、サラ金や銀行にものすごい借金があった。

おそらく、私が就職する前からパチンコに嵌っていたんじゃないかな。

私はずーっと母が借金返済に困るたびにお金を工面するという人生だった。

千歳で寮生活をしていた私の職場までお金をとりに来る人だった。

 

父が74歳で亡くなってから、母の膨大な借金が判明した。

約300万円だった。

今住んでいる家を担保にしてさらに借金をしようとしていたのだ。

仕方なく、私はなんとか工面してその借金を返済した。全額。

 

そのあと、そんな母がパチンコをしなくなった。

それでも、人と話すためにパチンコ屋には通っていた。

 

そして数年経ったころ、

よく、道に迷ったという話をするようになった。

何時間も歩いて、結局タクシーで帰って来たと言ってたこともあった。

 

冷蔵庫に同じものがいくつも入っていたり

10分くらいで出来そうな私の弁当のおかずを夜中に何時間も煮込んでいたり。

くたくたに煮込まれた大根と人参の入ったお弁当を食べていた私。

(味は大丈夫だったけど)

あとで振り返ってみたら、認知症の兆候がたくさんあった。

 

そして、自分の銀行のキャッシュカードでお金をおろせなくなった。

母のお金を私が管理するようになり、どんどん認知症は悪化。

まだ買い物には出かけていたが、小銭が使えなくなった。

お財布という存在がわからなくなり、

ティッシュペーパーでお金を包むようになった。

 

そのころには、私が娘だと言うこともわからなくなっていた。

 

家に一人でおいておくのが心配になり、

近くの小規模多機能サービスにお願いして見回りにきてもらうことにした。

 

そんなある日、火事になる寸前の事故がおきた。

ガスコンロの火を消せなくて、全開の火の上にステンレス鍋をかぶせていたらしい。

爆発寸前のところに、見回りの人が来て間一髪で難を逃れた。

 

そこで私は勤めに出るのをやめた。

仕事を辞めざるを得なかった。

そこから介護生活が始まった。

そのあとのことは、またの機会に書こうと思う。

 

母が認知症になったので、遺伝の可能性があるのでは?と調べた。

ゼロではないけど、その可能性はほとんどない。

母とは生活のペースも全く違うし、食べ物の嗜好もまったく違う。

性格もまったく違う。趣味も違う。パチンコもしない。

ただ、体質はどうだろうと考えるとけっこう母に似てるところがある。

女性だから、多くの人はそうだろうという感じでもあるけど。

 

そんな考えで、サプリメントや健康食品をとるようになった。

ビタミンB群、E、食物繊維には気をつけるようにしている。

ビタミンDと亜鉛もコロナ禍で、しっかりとるようになった。

               (ワクチンは1回のみ接種)

 

みのり先生のブログにあったフェルラ酸は、

母のときに知って飲ませていたことがある。

でも、始めたのが遅すぎたのか、母にはあまり効果を感じられなかった。

 

認知症は進行すると本当に悲惨だ。本人も家族も。

私もそうならないようにと日々気をつけて生活している。

つもりだけどね・・・無気力

 

でも、家族はいないので認知症になってもわからないかも?

ほとんど人と話すこともなくて、自分で気がつくかな?

そうなったらどうしよう...煽り

 

母は89歳で死んだ。

ざっと10年間は認知症で生きたことになる。