感情の始まりに気付くこと | 目覚めるための心のlesson

目覚めるための心のlesson

あなたの頭の中で巻き起こっている不安も批判も
「自分は間違ってない」と主張している思考もすべてが
「本当のあなた」とは何の関係もないとしたら。。。。

 

 

 

一昨日、昨日と リフレッシュ休暇で

一人で早春の南伊勢に行ってきました。

宿泊したコテージは

内海の一番奥まったところに建っていました。

朝、海のそばまで散歩にでると

潮が浜の岩場と出会う水際で小さな拍手をしてるようなさざ波と音が

出会えたことを喜んでいるように思え思わず胸が熱くなりました。

 

 

今日は

子育てセミナー講師養成講座の第2回目。

皆さん、お気をつけておこしください。

 

 

 

人間が感情の支配を受ける理由の一つが
人の脳の進化の歴史にあります。

 

 

感情を司るのは 
大脳辺縁系の扁桃体と呼ばれる場所です。
この扁桃体を含む大脳辺縁系というところは 
いうなれば「古い脳」といわれています。



つまり「生存に関わる」反応を 任されているところ。



そして 論理的な思考や理性を司るのは
前頭前野と呼ばれる場所で 
先程の大脳辺縁系よりも後にできました。



実は
子どもの脳の成長・発達にもこの進化のプロセスが表れていて 
この前頭前野は 12-15歳くらいに発達します。



ですので 衝動的で感情的な子どもが 

理性的に論理的になっていくのは12-15才頃から。



生命の維持、安全に関係の深い反応を司っているのは
大脳辺縁系にある扁桃体という所で、危険を避けるという
本能的な恐怖や嫌悪、悲しみなどに深い関係があります。



大脳辺縁系は 大昔のように危険と隣り合わせの時代では とても重要でした。


例えば よちよち歩きの赤ちゃんが 
熱いストーブを触ってやけどをしたとすると
ストーブの側に行くだけで泣き出したり
「これは危険だ」と学ぶことで 側に近づかなくなったり 
無意識に周辺で「用心深く」振舞ったりします。



とはいえ、大人になってくると ある程度の危険は
意識的に避けることもでき、突発的な出来事以外は
大きな危険というのは少なくなります。



大人になってからでも そういった感情を
ある程度
コントロールできる人(否認や抑圧ではなく)と
感情に簡単に左右される人がいます。



人間の脳の大脳辺縁系と前頭前野は 
必ずどちらかだけが優位に働くようになっています。



では、理性的・知性的な人は 
冷血漢で 感情が涌かないのか、大脳辺縁系が働かないのかというと 
そうではなく
理性的な人ができているのは
感情が妥当かどうかを吟味し
適切に感情を扱えている、ということなのだろうと思います。


激しい怒りや恐れ、悲しみに圧倒され
感情が暴走してしまう時というのは
暴走の始まりを意識できない時に起こります。
始まりに気がつけると暴走を止めることができます。



暴走の始まりを意識するには
自分が動揺しやすい物事や状況の傾向を調べ
自覚していること。

ですが 自分の傾向がわかっていたとしても
大きな痛みを伴う心の傷が残っていると
パニック発作のように 知性や自力で抑えるのは難しくなります。



ですので
自己防衛的な反応や習慣的な反応を生み出す
未完了の感情やトラウマを解消しておくのも
感情が暴走することをなくす有効な方法です。



一人でも 自分の感情に気づく方法があります。
一つの方法が

仏教にある「止観」という煩悩を止めて観る方法。


「止観」は
自分の感情の動きに気付いて 客観的に眺める事

普段から 自分の感情に関心を持ち 小さな波も 
キャッチし吟味する
ということ。



身体的な症状にも 感情の動きは 必ず現れています。


例えば

特定の誰かとお話を始めると
必ず 汗をかいたり、頭が真っ白になったり・・・


誰かに イヤミを言われたきがして腹が立ったとき
「自分は腹が立っている」と 気づくこと。

その上で
「自分はなにに腹が立っているのだろう」
「それが どうだったら腹が立たなかったのだろう」と
客観的に考えます。



前頭前野(知性・論理)を 働かせるには
「イヤミを言われたから」で 終わらないで
できるだけ詳細に分析的に
「動いたのはどんな感情か」
「感情が動いた理由」
を一度 意識に上げ
傾向を調べるためのデーターを取ることが重要になります。

 

 

感情を「止めて観る」

「フィットする言葉を見つける」ということができると
その感情が「トラウマ」となるのを防いでくれます。

 


大抵の人は
大人になると 心は沢山の傷でいっぱいです。
心の傷から生じる感情は

子供のころに学習し習慣となったやり方で

原始的な

「逃げる」「戦う」「固まる」のような適応の仕方を自動的にします。


心の傷から生じるむき出しの衝動的な感情に振り回されている

大人が 多いのはそのためです。

 

 

人は誰でも心に傷を負っていますが
それがトラウマとなって心の傷を引き起こすこともあれば
傷にならずに癒えていくこともあります。

 

 

これを 感情について言うと
感情を 「自分で選んだ」と考えているか
感情を 「○○にされた」「そう感じさせられた」と
考えるかという 自己責任感の違い。

 

 

人は 自分の感情や行動のすべてを自分で選んでいて
その責任は自分にあることが腑に落ちると
大抵の問題症状が軽減します。
(もちろん、これだけではありませんが)

 

 

逆に 問題が繰り返されている、長引いてるにもかかわらず
「自分に責任はない」「~のせいでできない」と考え続ける人の場合
無意識に身近な人の期待に応え続けている等  
気付かずに
誰かのニーズを満たす行為で 
心の傷を深めてしまっていることもあります。



 
身体は 目に見える「心」であり 心は 目に見えない「身体」。

体の不調や心の不調が長引く原因には
共通する人生の課題が見つかることがよくあります。



心や体の「状態」というのは 人間の自己表現の一つで
病気という症状も 健康のひとつの表現であると 強く感じるこのごろです。