人は本来 親切な存在です。
転んだ子供を見ると 起こしてあげたくなり
困っている人を見ると 誰でもほっとけない気持ちになり
手を差し伸べたくなる、親切にしないことよりも
親切にするほうが気持ちが良いと感じる存在です。
自分だけでなく周りの成長、向上、繁栄を助けるのに
必要なものが全ての人に本来の資質として備わっていますが
この生まれ持った力を発揮させるためには
それらの力が消耗するような行為をやめて
自分が資質の邪魔をしないようにする必要があります。
「いつも楽しそうとか 気楽そう、幸せそう、とか言われるけど
本当はいい人だと思われたくて 相手に合わせたり、喜んでいる振りをしたり
自分を後回しにして相手に優しくしたり・・・・
人と会うだけで、どーっと疲れる・・・
でも、人から信頼されたり好感を持ってもらうためには
我慢や犠牲は仕方ない。。。。」 なんてことありませんか?
本来の親切さを発揮しているのであれば 暖かな気持ちになり
幸せを感じられ 元気にすらなるのに
疲れる「気遣い」はなぜ疲れるのでしょう。
それは「自分はどう思われているのか」という
「不安や恐れ」がベースにあるからと云えます。
その上「~~と思われたい」と 相手の心の領域に干渉し
相手のニーズに合わせ、ありのままの自分を抑圧し
自分に対する評価を操作することで
操作する方も される方も 大きな力が消耗されています。
相手を大切にするということは
相手の領域に立ち入ることではありません。
相手を尊重し大切にするということは 違和感があるままの相手の言動について
変えようと干渉や操作するのでなく
「相手の反応は相手の自由」
「相手も事情のある存在」と 見守るということです。
「気遣い」とは 人としての本質的な機能です。
誰かと過ごす時間とは 大切な誰かの人生の一部であり
大切な自分の人生の一部だということを忘れないようにしましょう。