でも、そうも言っていられない。
したくなくてもやらなければならないことがある。
したくても我慢しなきゃならないことがある。
例えば、したくなくても仕事をしなければならない。
休みたくても休めない。
それじゃ、仕事がない休日はさぞイキイキと自由に生きていることでしょうね。
と思いきや、それほど楽しそうに見えなかったりします(笑)
平日と似たようなレベルの自由度で生きていたりします。
人は、それもこれもみんな○○のせいだと考えたくなります。
○○のせいだと考えれば、自分には選択の余地がなく、現状は自分のせいではないと考えられるからです。
こうして、人は、常に○○に縛られているから自由はない。
自分にはどうすることもできない。
あーあー、自由が欲しいな-、みたいに生きることになります(笑)
こうなると、自由とは常に今ここになく、憧れの対象のままです。
追いかけるためのものであって、絶対に手に入らないものになってしまいます。
例えば、仕事をしなければならないのは、お金のためだ、生活のためだ、家族のためだ。
自分は仕事と家庭に縛られているから、自由はない。
あーあー、独身者や学生さんは自由でいいなー、みたいな感じです。
でも、
これこそまさに不自由で不幸になるコツです(笑)
よーーーく考えてみましょう。
お金がなくても、家族がいなくても、幸せに生きている人はいます。
お金を稼ぎたい、家族と暮らしたいと思っているのは、あなた自身じゃないですか??
働かないという選択肢よりも、仕事して稼ぐという選択肢を優先しているのは、あなた自身じゃないですか??
たしかに、お金がなければならない、家族を大事にしなければいけない、っていうのは常識的な考えです。
でも、人間には常識を選択しない自由もあります。
常識どおりに生きないと社会から非難される??
大丈夫です。
別に社会から非難されたって、それより大事な選択肢があるならそっちを選べます。
仕事にも家庭にも縛られたくないって本気で思ったら、仕事をやめて、家族を捨てることも十分可能です。
本当にやりたいことがあり、かつ、自由に生きたいと思っていたら、誰も、どんな価値観も、刑罰でさえも、その人を制限できません。
職場の上司であれ、社長であれ、妻であれ、夫であれ、子供であれ、近所の目であれ、無力です。
人がどうしてもある選択肢を選びたいと明確に決断し、実行に移そうとしたら、誰もそれを止めることはできません。自分以外は(笑)
ということは、本当はあなたは完全に自由なのです。
こんなことを言うと、自分には全然自由がない、好きでこんな毎日を送っているわけじゃない、という反論が聞こえてきそうです。
お気持ちはよく分かります。
無名もそう思いながら生きている日もありますから。
でも、自分の心の奥底をよーく観察してみましょう。
あなたは明日にでも勝手に仕事を辞めちゃうことができますが、それを選択しないのは、あなたにとって仕事を辞めないほうがいいからではないですか。
お金のことなんか全く心配しないで豪遊する自由もありますが、それをしないのは、あなたにとってお金だ大事だからではないですか。
独身の身分を選ぶ自由もありますが、結婚して家族と一緒に生きているのは、あなたにとって家族と暮らすほうがいいからではないですか。
もしも…
あなたが不自由だと言いながら、それに服従しているとすれば、
あなたは本当はそっちのほうが楽なんです。自分の意思でそっちを選択しているのです。
何が言いたかったのかというと、こういうことです。
1,現状は、いろいろな選択肢の中から、自分なりの最善の選択肢を選んだ結果である。
2,つまり、現状は常にその時点のあなたにとっての最善である。
3,もしそうでないとしても、常に別の最善の選択肢を選ぶ自由がある。
4,最善を選択してるとは思えないとしても、あなたの本心はそれが最善だと分かっている。
5,よって、僕らはすでに完全に自由である(笑)
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