こんばんは。
つなぎびと雫です。
いつもお読みいただき
ありがとうございます。
今この瞬間も
自然から学び
氣づきを頂いています。
前回のブログでは
マリア様のメダイから
蛇へ
そして
また
タロットカードの6 恋人達
にも繋がっていきました。
⏬
タロットカードの6 恋人達
人間の本来の純粋無垢な魂を持ち、
生まれたままの姿で暮らす男女を描く恋人達。
何かを選びとる「選択」や、周囲との「調和」を意味するカード。
2人はともに悪魔の化身である蛇の誘惑に負け、
禁断の木の実を食べて楽園を追放された罪人。
でも、このカードで描かれている2人は、
まだ罪を犯す前の姿なので、
これからどのような選択をすることも可能なのです。
イブは、癒しを与え、
超意識を象徴する大天使を見上げています。
2人の男女がともに幸せに調和し、
天からの祝福を受けられるような選択をするためには、
彼女の「感覚」や「感受性」を生かした決断が大切。
果たしてイブは、知恵の木の実を勧める蛇の誘惑に打ち勝って、良い選択をできるでしょうか。
人間の「罪」へと繋がり
アダムとイブに
ついて改めて調べてみました。
以前、夢の中で神様が発っせられた言葉
業と欲
を思い出しました。
⏫2017. 8.22 最後の神様が発したお言葉 業と欲
神様カードをひき、出てこられた神様たちは
産土神
鳥之石楠船神
宗像三女神
速秋津日子神/速秋津比売神
⏫2022.1.29 ブログ記事
速秋津比売神をはっきりと意識し、その後
私の中で大きな変容が起きていくきっかけとなりました。
話は
アダムとイブに戻ります。
人間の「罪」とは
何なのでしょうか…
人間の「罪」は、アダムとイブから始まった
神様が天地をつくり、動植物をつくり、そして最後につくったのが人間、すなわちアダムとイブです。
私たち人間の始まりであるアダムとイブがどうやってつくられたのか、聖書には詳しく記されています。
アダムとイブは同時につくられたわけではなく、神様はまずアダムをつくりました。
そして、ご自身がつくったほかのあらゆるものを見せて、その一つひとつに名前を付けさせました。
アダムはその仕事を見事にやってのけましたが、ほかの動物にはみんな仲間がいて助け合って生きているのに、自分だけ仲間がいないことを寂しく感じました。
そこで神様は「人がひとりでいるのは良くない」と言って、アダムを深い眠りに落とし、あばら骨を1本とると、その骨からイブをつくりました。
さて、アダムとイブはこうして生まれ、苦労も憂いもない「エデンの園」という楽園で何不自由なく暮らしていました。
そこがどんな場所であったかは聖書に詳しく記載はありませんから想像するしかないのですけれど、綺麗な水と美しくてしかもおいしい実のなる木々がたくさんあったようです。
彼らに課せられたルールはたった一つ。「この園の中央にある樹からは実を食べてはいけない。食べたら死んでしまうよ」だけでした。
しかし、悪魔の化身である蛇がイブをそそのかしました。
「この実を食べると死んでしまうと神様が言ったそうですが、死にはしませんよ」
「むしろこの実を食べると賢くなって、神様のようになれますよ」と言葉巧みに誘惑し、最初は拒んでいたイブもついにこの実を口にしてしまいます。
そして、イブに勧められたアダムも、この実を食べてしまったのです。
すると、二人は急に自分たちが裸であることを恥ずかしく思いはじめ、イチジクの葉で腰巻きを作って身につけました。
「羞恥心」はこのように、
「罪=神様のコントロールから外れること」によって生まれたのです。
人は本来、人の目を気にして生きるようにはつくられていませんでした。
だってほかの動物を見回してみても、人間以外には他者の目を気にして羞恥心を抱く動物はいないでしょう?
そして、二人は神様の目をも避けました。
約束を破ってしまった自分たちが後ろめたかったんです。
しかし、当然神様に見つかり、「君たちは食べちゃいけないと言ったのに、あの実を食べてしまったんだね?」と問いつめられました。
すると、アダムは「イブが勧めたから食べたんです」と、
イブは「蛇が勧めたから食べたんです」と、お互いに責任転嫁を始めました。
自分の非を認めずに人に責任を押し付けるというのは私たちの社会でもよくあることですが、これも「罪」から来る行いなんです。
もちろん、そんな言い訳が神様に通じるわけもなく、二人はエデンの園から追放されてしまいました。さらに神様は、アダムには「食べるためには汗を流して働かねばならない」、イブには「子どもを産むには苦しまなくてはならない」という罰も与えました。
そして、何よりの罰は「いつか必ず死ななくてはならない」
しかし、神様は同時に優しさも見せます。
「裸で恥ずかしいのはあの実を食べちゃったせいだけど、恥ずかしいままでもかわいそうだから」と、二人に皮の服をプレゼントしてあげたのです。
罪を犯してしまったことは叱ったし罰も与えた。
それでも神様は二人を愛していたんですね。
引用させていただきました。
ここに書かれてあるように
人間の「罪」
とは
神様のコントロールから外れること
これにより
羞恥心
は生まれた。
神様のコントロールから外れたことにより
自分自身で
コントロールしていくことが必要となったのでは
ないでしょうか…
アダムとイブのお話は
まさに今の世界を表しているように
思えます。
では
言葉巧みに誘惑してくるものたちに
どのように
自分自身で選択していけば
いいのでしょうか…
それは
カードの言葉
「感覚」や「感受性」を生かす
それは
本来の純粋無垢な魂
つまり
神様のコントロールから外れる前の状態に
戻すこと
前回のブログにも書きましたが
その手本となるのが
自然そのもの
人間以外の
生きとし生ける全てのものたち
私自身
あまり
一喜一憂することが
少なくなり
物事にとらわれなくなっていったのは
空を見上げ
太陽
月
雲
虹
雨
雪
山を見
草花や木々など…
植物たち
猫や犬や…
動物たち
小さな小さな
虫たち
自然と共に
触れあう時間が増えていったから
だと思っています。
自然はいつも本当に
大切なことを
氣づかせてくれます。
そして
私たちは
神様のコントロールから外れたことで
「羞恥心」が生まれ
人の目を意識するようになりました。
つまり
「隠す」
という行為が生まれました。
見られたくないものや
見たくないものを
どんどん
奥へ奥へ
追いやっていきました。
でも
奥に奥に
閉じ込めれば閉じ込めるほど
終わることはなく
永遠に繰り返されていきます。
心は
苦しくて苦しくて
どうしようもない状態に
陥っていくのです。
自分の心を偽り
他人のせいにし
何かのせいにして…
自分自身を
正当化しようと
もがきつづけていくのです。
でも
もう
終わらせなければいけません。
⏫2018.3.30ブログ記事 夢の話
私は大きな家の階段を降りていきます。
まるでホテルのような
私は地下まで階段で降りていきます。
そこは沢山の荷物が置かれた倉庫のような部屋でした。
荷物の中を開けられてゆきます。
私は一瞬抵抗する素振りをするのですが心はもう委ね任せていました。
開けられていく荷物たちを目の前にしてただ見つめていました。
私がずっと隠していたものが明るみに出ていきます。
どんどんと
すると最初に感じた一瞬の抵抗とはまるで違う感情を抱いていくのです。
白い光がきらきらとあたりを眩しく照らし始めます。
私はそれを見て、ああと肩の荷をおろしました。
そして、とても晴れやかでうれしい気持ちに変わっていくのです。
⏫2018.6.6
はっきりと届いた心のメッセージ
苦しい苦しい
そうじゃないそうじゃない
ありがとう
それでいいそれでいい
私たち
ひとりひとりの苦しさは
そう
心の悲鳴は地球の苦しさ
地球の悲鳴
地球が苦しいのは私が苦しいから
私たちひとりひとりの心の叫び
そう
今朝しっかりと受けとりました。
もう自分の心に嘘はつけない
あなたの心はもう分かっているから
地球が悲鳴をあげている
ずいぶん前に聞こえてきた。
何度も何度も伝えてきた。
そこに少し近づいたのだろうか…?
まだ分からない。
でもひとりひとり何かが変わろうとしている。
そのひとりひとりの小さな変化は
やがて大きな変化となり
誰の目にも分かるようになっていくのだろう…

昨夜
久しぶりに祖父の夢を見ました。
2階の部屋から降りていくと
いつもの仏間に
祖父と母がいました。
私にはしっかり
祖父の姿が見えました。
でも、もうこの世にいないことを
知っていました。
そう今回も
夢を見ているのに
現実の世界を理解しており
その夢と現実を
照らし合わせていました。
祖父の夢を見たことを書こうと
思っていたのに
内容はいつのまにか
このようになっていました。
きっと
祖父の働きかけでしょう。
神様のコントロールは外れても
私たちはちゃんと愛されています。
真ん中に戻すとは
神様が私たちをコントロールして
くださっていたときのことを
思い出すこと。
それは
全ての生きとし生けるものたちの
愛と調和の世界
なのだと思うのです。
いつもお読みいただき
ありがとうございます。
愛と感謝を込めて。
氣づきと心の解放が
生まれますように。