こんばんは。
つなぎびと雫です。
いつもお読みいただき
ありがとうございます

2月1日 新月を迎える日の明け方に聞こえてきたメッセージ
について
まだ
しっかり結びついたとは言えませんが
沢山の氣づきが生まれました。
昨日の記事で
千と千尋の神隠し
は
私たちの
中心に
突き刺さる
ものがあると書きましたが…
それは
私たちの中心である
魂の願い
だから
だと思うのです。
それは
まだ
氣づいていない
無意識の領域にあるものかもしれません。
だからこそ
氣づきが生まれたら
そのおもいを
言葉にし
そして
行動に移していく
それが大切なことのように
思うのです。
心の奥に届けたい大切な言葉は
何回も何回も
繰り返し繰り返し
意識して
文字や口にするようになりました。
今日も
千と千尋の神隠し
について
「千尋」の作品世界を考察する より
氣になった箇所を書かせていただきたいと
思います。
世の中というものは
善人も悪人もみな混じり合って存在しており、
これを峻別することは出来ない、
と宮崎氏は指摘する。
善人だけの社会とか、
悪人だけの社会というのは存在しない。
もちろん、
一人の人間の中にも善人的なるものと
悪人的なるものが共存しており、
完全な善人とか完全な悪人
というふうな割り切り方は出来ない。
その代表ともいうべき存在が
湯婆婆という湯屋を支配する魔女であり、
一見悪人のように見えるが
悪人と言い切れる訳ではなく、
厳格なように見えて甘い一面も垣間見せる。
同じように、
湯屋で働く者たちの誰が善人であり
誰が悪人であるというふうな分け方もしない。
「今日、あいまいになってしまった世の中というもの、あいまいなくせに浸食し喰い尽くそうとする世の中を、ファンタジーの形を借りて、くっきりと描き出すこと」が
この映画の主題であるという。
すなわち、
湯屋はある意味において「社会の縮図」であり、
湯婆婆は「人間というものの見本」なのである。
「すくなひこな」からも
繋がっていきました。
⬇️
大己貴命が少彦名命に言った。
「吾らが造りし国は、善くなったと言えるだろうか。」
少彦名命が大己貴命に答える。
「あるところは善くなり、
あるところは善くなってない。」
常世の国へ(日本書紀)より
そして
自分の記事にも繋がっていきました。
⬇️
⏫2018.2.20 ブログ記事
白いまんまるになっていく そんな夢からの氣づきを書いています
⏬
私たちは
優しい人
あたたかい人
出来た人
冷たい人
変わった人
嫌な人
など
自分のフィルターを通して判断しています。
でも、その人をまるごと知っていることはない
に等しいです。
自分にとって嫌な人でも
誰かにとっての最高に素晴らしい人かもしれません。
私も色々な人から言葉を頂きながら
そのようなことを感じるようになりました。
千と千尋の神隠しの
考察から
と
こちらの部分も
とても
今を表しているように
思えました。
千と千尋の神隠しの
登場人物が
それぞれとても魅力的に映ったのは
ひとりひとりをとても
多角的に
描いているからだったのかも
しれません。
大河ドラマにおいても
教科書では語られることのない
人物像を
違う角度から描いたものも
多くなったように思います。
いわゆる
悪
と言われる
人物も
違う視点で捉えると
そこには
誰かを思いやる
優しい側面が
見えてきたりします。
少彦名神の言葉
「あるところは善くなり、
あるところは善くなってない。」
も
この言葉の意図とは違うかもしれませんが
とても広い視野で
俯瞰しているように
思えます。
もともと
天から降りてきて
様々な知識や技術を授けに
大国主命の前に
現れたのも
近すぎて見えないものを
そして
小さくて見逃してしまいそうなものを
教えにきてくれたようにも
感じました。
白いまんまるの夢の話を
改めて書かせていただきます。
⬇️
白くて先がとんがった物体が
色々なものにあたっていきます。
様々なものにあたり
どんどん先が丸くなっていきます。
あたったものたちは
全く壊れることなく
びくともしていませんでした。
白くて先のとんがった物体は
最後には
白いまんまるの玉になりました。
その後
その白いまんまるは
うれしそうに
飛び跳ねていました。
⏬
⏬
夢から教えられたこと
とんがっているときは
自分の心が疲れている
まんまるになったら
心はうれしそうにはずんでいる
とんがっている物体があたっても
壊れなかったのは
相手が
柔らかくまんまるだったから。
とんがっている物体が
まんまるくなれたのは
柔らかいまんまるたちに
たくさん触れて
心があたたかく癒されていったから。
大好きなお話
北風と太陽
を思い出していました。
白いまんまる
とは
身魂が磨かれたもの
だと
思うのです。
身魂が
どんどん
磨かれていく様子
を
夢で
見せられたように
思います。
今でもこの夢は
大切な氣づきを
投げかけてくれています。
一部分でしか見なければ
偏った世界に
いることと同じです。
今
この歪みによる
現象が起きているように思えます。
全てを見渡すことが
できるのは
真ん中
だけなのです。
いつもお読みいただき
ありがとうございます。
愛と感謝を込めて。
氣づきと心の解放が生まれますように。