きょうのレッスンのひとコマ。
僕「あれ?なんで4番の(3)はやってないの?」
小6「ああ、それねー。難しくて、途中でがんじがらめになって、匙を投げちゃったんだよ」
プリントをまとめる作業をしながら聞いていたが、その台詞を聞いて手が止まった。
じっと彼の眼を見て、「ふーん・・・。『がんじがらめになって』『匙を投げたんだ』ねえ。」
キョトンした表情している彼に、「国語の個別指導のK先生に感謝しないとねえ。それだけ語彙力がついてきてすごいねえ・・・!」
大学受験の世界ではかなり淘汰されたが、いま中学受験の国語講師には「悪の講師」が沢山いる。
算数は質問してみてその問題が解けなかったらまず講師失格だろうし、成績が上がらないと生徒が離れていくから、実力判断はしやすい。一方で、国語はある程度年配の講師だと、現場で応用可能性のない解法や明らかなインチキを教えていても傍目には分からない。
解答から逆算したようなリードの仕方。
本文を読まずに、選択肢の矛盾点から答えを導きだす方法を教える。
なぜの「ウ」の選択肢がなぜ正解なのかという解答根拠を教えずに、アでもなく、イでもなく、エでもないから答えはウという授業。
ぼくは国語講師(集団指導)も小論文講師(代々木ゼミナール)もやってきたから分かる。
中受国語講師なんて、でたらめばっかりだ。本当にいい先生は一部。ごくわずか。
そして、別の生徒。
「~中は精神年齢が高くないと解けないって国語の先生が言っていたよ」
「じゃあ、その先生に『精神年齢をあげる方法を教えてください』って言ってごらん。その先生は難しい問題の解説をするたびに、「君たちは精神年齢が幼いから」って言うんでしょう?具体的な解決策もなしで。ひどい発言だと思いませんか?」
この業界に蔓延する「精神年齢」信仰にはうんざりとする。
国語はまず「語彙力」だ。
そのつぎに、ある程度の短い文章を精読することができる力。(「構文把握力」)
そして、読みの練習(「読書」(多読力))と並行しながら少しずつ「解法」をつかんでいく。
地味に、地味にやるしかない。
がんじがらめになって、匙を投げた生徒。
2月1日まで百折不撓の姿勢で、試験当日、誰よりもスマートに解けるようになるでしょう。
さあ、ここから夏期講習中盤戦へ!!!

















