欲しかったものの50%
誕生日プレゼントに、
僕は超合金ロボが欲しいって言ったんだ。
なのにこれは、食玩のプラスチックロボじゃないか・・・。
だけどこのプラスチックロボったら、
なんてよく出来ているんだ。
以上
想像力
この可能性もあるが、
その可能性もあるな。
しかし、
あの可能性もある上に、
あんな可能性もないとはいえない。
想像力が限りなく、正解から私を遠ざけ、
想像力が私から、はじめの一歩を剥がし取る。
以上
右と左は暇つぶし
見下されるのはイヤなんだけど、
見下す自分はもっとイヤだ。
見上げ駆けるのはイイんだろうが、
見上げられるのはどっちつかず。
見下されすぎて折れた心と、
見下しすぎて折れた腰。
見上げられすぎた高所恐怖症。
見上げすぎたら足元ふわり。
前を向くのがいいんだろうが、
それではどうにも息が出来ない。
(※一言モノは文字でかくしようと思います☆)
以上
ねこたん
昼に公園のベンチに座り昼食を食べていたら、
野良猫が僕の座っているベンチの足元にやってきてちょこんと腰を下ろした。
野良なんだけど、毛並みも顔もキレイでとてもかわいい。
じっとこっちを見てる。
彼女(たぶんメス)とした妄想会話はこうだ。
猫:「なんかくれ。食えるもんくれ。」
僕:「イヤだね。」
猫:「そんなこと言わずに、そのマス寿司おにぎりくれよ。」
僕:「いやなこった。」
猫:「いやいやそんなこと言わずに・・・」
この繰り返し。
どこぞの野生猿の、人間の餌付けによる傍若無人化と、それに伴う近隣住民の迷惑を、
夕方のニュース番組の特集(憤激レポートとか)で年に一度は見せられ刷り込まれた倫理観は、
僕に米粒の一粒も分け与えることを許してはくれませんでした。
本当は超あげたい!!
何度わざと落としてしまおうかと思ったか。
それに駆け寄り食べる猫たんの様子を眺められたら、
僕の1日はどれだけほんわかになったか知れない。
しかし、心の中の厳しい方の僕(←嫌なヤツ)が、
「いやいや“わざと”落とすくらいなら普通にあげればいい。
“わざと”に許してもらおうとするな、かっこ悪いぞ、おれ!」
と叱責してくる。
落ち込みさえする。
結局、僕はこれっぱかしも食べれるものを与えなかった。
すこし「えさをあげてはいけません」ってところで餌をあげちゃう人の気持ちがわかり、
僕は少し大きくなった。
彼女は途中から僕が何もくれないと悟ったか、僕の近くを離れていった。
「まざふぁっかっ!!・・・ニャ~」って捨て台詞が聞こえてきそうで、だけど全然聞こえはしなかった。
少し距離をおいて、彼女はここより公道に少し近い場所にまたちょこんと腰を下ろした。
お昼ごはんを終えて少し眠くなりながらも、
まったりと煙草をくゆらせる僕。
同じ空間の中で男子が勝手に意識しているのも露知らず、
全然関係ないことを考えている鈍感な女子のように、
どっかよくわからないところを見ながらちょこんと座ってる彼女。
僕と彼女は、一定の距離。
公道をバイク便のお兄ちゃんが最徐行で走り抜ける。
僕と彼女は、今も一定の距離。
僕の中に変な想像力がスパークする。
「もしあの猫が、間違って公道に飛び出して、通り抜けたバイクに撥ねられ、
口からなんか赤くてドロドロしたものを出して亡くなったら、
僕は“食べ物を分け与えてやればよかった・・・”と、すごい後悔して泣くのだろうな。」
よく「明日死んでも後悔のない人生を!」みたいなことを聞く。
嘘。よくは聞かないけど、なんとなく慣例的な表現としてある。
この考えが間違いだとは別に思わない。
そもそもこの言葉は完全に存在する生きてる未来を想定した、
精神姿勢を示したたとえ話だから。
なのになんか履き違えている人が多いような気もする。
短絡的で恣意的な行動を正当化するための口実ではない。
否定はしないけど、未来を描かない人生なんかくそ食らえだな、と、
なんとなく思ったのだ。
だってあるもの、未来は。
輝いてるとか素晴らしいとか言う気はまったくないけど、未来はある。
で、当然輝かしい理想の未来を目指して生きる。
明日死ぬかもしれませんが、その時は死ぬぐらい後悔すると思います。
でも、それはしょうがないと思います。
僕はむしろ死ぬ時後悔したいです。
当然「ああしておけばよかった、もっとこう出来た」って想いはあって、
それらをそれぞれ少しずつ後悔しながらも、
手に入れた幸福のいくつかを混ぜあわせた上で、
いい人生だったといえる死を迎えたいな。
今、それが出来るかな?
みんなのおかげで、意外と出来そうだぞ。
たくさん「ごめん」と謝るけれど。
うむ、話が大分それた。
結局、
「もし、食べ物を与えていたら、俺は後でもっと後悔してたろうな。だからよし。」
ってことで落ち着いた。
彼女はその後も、元気でも陰気でもない様子で、
公園を歩き回っていた。
彼女は彼女の未来に向かって、勝手に歩いていった。
僕はもちろん僕の未来に向かって、勝手に歩いていきました。
これは僕の勝手な妄想だ。
彼女に「カマトト」という名をつけて、たまに会おう、と思うのも、
僕の勝手な構想だ。
最近、「3:7」から「1:9」で“イヌ派”になった林太郎でした。
以上
松屋
先週、諸々の事情が相まって、
夕食に松屋を頻繁に利用した。
4日中3日松屋。
土、月、火、松屋。
僕は吉野家より、もっぱら松屋派です。
「牛丼にデフォルトで味噌汁がつく」と言うのは、
僕にとって“松屋派”を公言するにふさわしいメリットであります。
定食も豊富だし、不足しがちな野菜もおいしく取れるしね☆
でね、その4日中3日と言うヘビロテで行った松屋の最終日(笑)にね、
食べ終わった僕はいつものように元気良く「ご馳走様」って言ったんです。
するとね、店員さんがこういったんです。
「いつも、ありがとうございます!またお待ちしております!!」
・・・。
ちょっと恥ずかしいやん・・・。
軽い常連さんやん・・・。
確かに、通った3日は全て仕事帰りで、
全てスーツ姿で、全て同じような時間帯ではあった。
僕の存在を認知するには十分だったかも知れないけど、
他のお客さんの前でそんな特別扱いされたらちょっと恥ずかしいよ。
帰り道、僕の脳内に「こじ~んじょ~ほ~♪こじ~んじょ~ほ~♪」という
センスのかけらも感じられない鼻歌がほんのり舞い降りてしまったじゃないか!!
でも、正直嬉しかったんだ。
僕が“大勢のお客さん”という存在から、
“お客さんの中のあの人”という存在として認識されたことが。
裏の厨房で「デミ玉」とか「先野菜」とか「ご馳走サマルトリア王子」とか呼ばれてたとしても結構。
呼称があるなんて、むしろありがたい☆
松屋の何十倍もお世話になってる「なっとくのハヤシ」 と「炊きたての味 おいしいご飯」 は、
いくら食べても話しかけてはくれないし、覚えてはくれない。
人間って素晴らしいな、って話。
時代がこの先いくらデジタルになっても、
体温とか言葉とかかけがえのないものは、
人間が人間に与え続けるのだと思う。
以上