失われた絆を取り戻すために。 | 里山スタイル@mulepool

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京都たんタン(丹波・丹後)の自由闊達で気ままな里山ライフを発信します。

広小路商店街のシンボルと言えばこの看板のイメージが強い?のは自分だけかな。



いつもと変わらない風景の中で時間だけが流れていく。閑散とした闇の中で光り輝くこの看板にどこか温かみを感じられる。



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福知山は北近畿の商業の町として明治から昭和中期頃まで商店街は人だらけで歩けなくなるほど賑わっていた時期があった。



しかし、現在はャッター通りと呼ばれるほど常時、閑散している。



これまで商店街を中心とした活性化事業を市が中心にやってきましたが、残念ながら大きな成果にはつながってこなかった。


「なぜ人が来なくなったのか」、「政策のやり方は間違っていなかったか」。このような論議がきちんとされなかったのではないだろうか。



これまで福知山は城下町として栄え、商業、交通の要所でもあったことで、何もしなくても自然に商店街に集り、商売は繁盛した。



その恵まれた環境がお客さんの大切な時間を満足させるという「もてなす心」を養うことを忘れさせ、やがて最盛期を過ぎた昭和50年代頃から便利性、効率性、即時性など時代の変化で客は次第に減っていった。



この頃から互いに相手の店を宣伝することで商店街全体を繁盛させ、結果自分のところにも利益につながるという考えをなくし、商店同士の連携を欠いた取組みの結果、人が集まりにくい商店街に自らしてしまった経緯があった。



商店街の活性化にはこれまで数多くの支援の手が差し伸べられている。



しかし、商店主の高齢化、後継ぎ問題、店を住居にしているなどのためになかなか活性化には至っていない。



広小路でのイベントや行事でも積極的な客の呼び込みやイベントをバックアップするような動きが見られず、町なかの為に駐車場が少ないこと等もあり、行きにくい町になり、商店街が形だけのものとなった時代が今日まで続いているという現状がある。


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「福知山はその昔交通の要所であり、自然に人が集まってきたこともあって、もてなしの文化が育たなかったのでは…」と広小路商店街の老舗カメラ屋の方が重い口調で答えられた。



しかし一方で、福知山は歴史的に水害が多く、幾度となく商店街は互いに助け合い、行政にも頼らず復興してきた経緯がある。



「もてなしの心」はなくても絆はあったのではないかと話された。



不器用で自分から先導に立って新しいことをしていく勇気はないけど、つながりを大事にする町だったかもしれない。



ここ1年、福知山では市民参加型の活性化プロジェクトもスタートし、これまでにない、町おこしの兆しが見えてきている。絆を大切にしてきたカメラ屋を営む方の周りにはそれぞれの思いを持つ人が集まってきた。



今年の4月にはお城の下に飲食や雑貨のショッピングが楽しめる「ゆらのガーデン」がオープンし、広小路商店街ではシンボルであったアーケードの撤去の計画がある。



カメラ屋の方は商店街を盛り上げようと20年以上も各商店連盟を説得してきたという。



アーケードの撤去はもう一度、商店街を再生する切り札として、城下町の風情を再現することで、落ち着き、安らぎ、和やか、穏やかな雰囲気を感じさせる、昭和初期のあの頃のような絆を大事にする町にする最後のチャンスだと奮闘しておられた。



「都会に出ていった世代が帰って来られるように」、「その世代が帰ってきたとき、幸せに暮らせるように」、そして「福知山に生まれた人間として自分の町を誇れる町にしてこの世を去りたい」、だから自分の店が赤字続きでも若い人が頑張ろうとしている今、地域活動に多くの時間を割いているのだと…。



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「春には春しか味わえないものを、秋には、秋の味わいを。」



そこに住む人が自分の地域に関心がなければ地域外の人は魅力を感じません。



郷土愛を持つことで誇りが生まれ、相手に伝えたい、言葉では言い表せない感動を味わって欲しいと思うはず。



そこに「おもてなしの心」が加わることで、さらにきずなが深まり、福知山が魅力あるまちになるのではないだろうかと思った。



たった1度しかない人生をその土地でしか感じることができない感性や言葉では言い表せない絆を心で感じとれるようなこの地域の“スタイル”が確立できれば、賑わっていた頃の商店街にまた戻って来るかもしれない。