22.振り返りからの続き | 心筋緻密化障害の兄弟の奇跡☆

心筋緻密化障害の兄弟の奇跡☆

3人の母です。

次男と三男は心筋緻密化障害(心筋症)をもって生まれてきました。

次男と三男の闘病記録と、亡くなった後の私の日々の気持ちを書いています。



かなり久しぶりになりましたが…


これからまた少しずつ三男の記録を書いていきたいと思います。







前回の21.オシッコと薬から時間が空いてしまったので、簡単にそれまでの経緯を・・・










2017/9/22
妊娠28週2日(妊娠8ヵ月)
それまで順調だった妊娠経過だが、この日の検診で
前置胎盤(部分前置胎盤)であることを告げられる。
自宅安静指示



10/10
妊娠30週6日
出血はないものの、お腹の張りが出てきたため、管理入院になる



10/14
妊娠31週3日
管理入院中に大量出血、母体救急搬送、転院
MFICU(母体集中治療室)で絶対安静
(この時既にお腹の中で三男の心臓が大きくなっていたらしい)



10/16
妊娠31週5日
緊急帝王切開にて無事に三男誕生
40.5㎝、1464g(極低出生体重児)

次男の敦希と同じ心筋緻密化障害である可能性が高いため、隣県の小児循環器のある病院に転院。
結果『心筋緻密化障害』『右室低形成』が判明する。

次男の敦希の時よりも心臓の状態は悪く、いずれは心臓移植が必要になるかもしれない。

まずは体重を2100gまで増やすことが目標。



当初は人工呼吸器、鎮静の薬、昇圧剤、強心剤を使用していたが、薬は徐々に減っていく。



10/20
生後4日目(修正32週2日)
BNP43



10/21
生後5日目(修正32週3日)
人工呼吸器がはずれ酸素マスクに
ミルクは1回4ccずつ経鼻栄養から
量も少しずつ増えていく



10/28
生後12日目(修正33週3日)
私、転院以来、初の面会



10/31
生後15日目(修正33週6日)
心不全が悪化。人工呼吸器再挿管
昇圧剤、強心剤を再使用
心臓に負担がかからないよう、鎮静をかけて眠らせている状態

極低出生体重児の心筋緻密化障害の最重症の症例はほぼ例がないと言われ、体が小さいためにできる治療が限られてしまうと告げられる。



11/3
生後18日目(修正34週2日)
血圧が保てず、危険な状態に…
血圧19/12
オシッコも出ない状態

ミルクは一旦中止
輸血をするが血圧は上がらず。

セカンドオピニオンの相談を医師にするが、現時点でのセカンドオピニオン受診や転院は不可能と告げられる。

極低出生体重児には使用例を聞いたことがないとされる血管収縮剤を投与したことで血圧は上昇し、ひとまず血圧を保つことができるようになる



11/4
生後19日目(修正34週3日)
血圧は変わらず安定
オシッコもしっかり出ている
点滴の薬はその都度、微調整
昼からミルク1回2ccを3時間毎に開始(経鼻栄養)

血圧が低い状態が続いたが、腎臓や他の臓器にどう影響が出てくるか…が懸念されるが、今のところは影響はなし。





ここまで書いています。










では続きから・・・





2017/11/5
生後20日目(修正34週4日)
体重1227g(出生時より-237g)

私は引き続き、病院隣の宿舎に寝泊まりし、NICUに通いました。

7:30
心拍137
血圧55/31(平均40)

血圧が少し高いくらいになってきたため、血管収縮剤を1ml/hから0.8ml/hに減らし様子を見る。
血圧上昇に伴い、オシッコもよく出ている。

三男は人工呼吸器をつけているため、痰が喉によくからみ、看護師さんが定期的に吸引をしてくれてはいましたが、苦しそうだと思った時や、モニターの数値に変化があった時には吸引をお願いしました。

また、三男は体が小さいために体温調節が難しく、ヒーターの%を上げると体温が上がり、下げると低くなってしまい、タオルをかけたりずらしたりもしながら調節してもらっていました。

ミルクが昼から1回4ccに増えることに。
鎮静がかかっている関係で、ちゃんと消化ができるかどうか、様子を見ていくとのこと。





この日、三男の血圧はひとまず落ち着いたと判断され、私は医師の許可を得て、夕方に自宅に戻りました。







自宅に帰ると、長男は怒っていて、すごく不安そうにしていました。


「3日の夜に帰ってくるって言ってたのに、何で帰ってこなかったん!?」


三男に会えない苛立ちや不安があったのだと思います。


私は長男に三男の状態を説明し、帰れなかったことを謝りました。


しかし長男は翌日から熱を出してしまい、5日間学校を欠席しました。


きっと心労があったため…


長男にもたくさん我慢をさせてしまい、申し訳ない気持ちでいっぱいでした。












「お母さん、また会いに来るからね!」


「次も元気な顔を見せてね!」


いつも帰るときにはたくさんたくさん声をかけ、なかなか帰ることができませんでした。