次男が生まれてから | 心筋緻密化障害の兄弟の奇跡☆

心筋緻密化障害の兄弟の奇跡☆

3人の母です。

次男と三男は心筋緻密化障害(心筋症)をもって生まれてきました。

次男と三男の闘病記録と、亡くなった後の私の日々の気持ちを書いています。


生後3日目にNICUのある病院に緊急搬送されてから、私の生活は一変した。


想像していた家族4人の楽しい生活ではなく、毎日泣いてばかりだった。


出産後5日目に退院する予定だったけど、1日早く退院許可をもらって退院した。


私は出産の影響で血圧が高く、少しフラフラ気味だったけど、私一人入院してる意味はないと言って許可をもらって退院した。


でも、一晩は敦希のいない病院に入院して過ごした。


4人部屋だったから他のお母さんもいて、みんなは赤ちゃんと母子同室…


「個室に移動する?赤ちゃんの声を聞いたら辛いやろ?」と助産師さんに言われたけど、お金がかかるし断った。


何で私は一人なんやろ…って声を押し殺して泣いた。


退院してからは3時間毎に母乳を搾乳して冷凍した。


そして毎日敦希の病院に通って母乳を届けてた。


何で搾乳してるんやろ?何で直接あげれんのやろ?ってよく泣きながら搾乳してた。


最初に入院した病院は色々と厳しくて、搾乳した母乳は培養検査を通らないと飲ませられなかったから、搾乳してる時に長男が近づいてきたらよく怒ってた。


産後で体調も良くなくて情緒不安定で、長男に対してひどくイライラしてた。


敦希は病名が分からない状態が続いて、先が全く見えなかった。


私は退院して2日目くらいに、ボーッとしていて家のドアで足の指をはさんで骨にヒビが入った。


毎日敦希に会いに行かなくちゃいけないのに、足が痛くて歩けなくて、情けなくて泣いた。


あまりに痛くて歩けなくて、車椅子に座って旦那に押してもらったこともあった。


地元で一番大きな病院でも「敦希くんの心臓は症例がない」「病名がつけられない」と言われた。


毎日不安に押し潰されそうだった。





でもあの時は幸せだったと今なら思える。


敦希に毎日会えていたから。


病気でも元気な姿を見せていてくれたから。


出産してから色々大変だったけれど、敦希が生まれてきてくれてお母さんは本当に幸せだったよ。


生まれてきてくれてありがとう。


あっくん大好きだよ。