新年初投稿~キーワードは「弁護士なんてそんなもん」 | 向原総合法律事務所/福岡の家電弁護士のブログ

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福岡の中心部・天神駅真上の場所にある法律事務所の弁護士です!
日常の法律問題や、弁護士業界のネタ、その他をつらつらと書こうと思います。

2015年が明けました。今年初ブログです。

仕事等でバタバタしていて最近なかなか書けないですが、今年も頑張って書いていこうと思います。どうかよろしくお願いいたします。

さて本題へ。
Phase1
県警の年頭視謁や自衛隊の観閲式ってかっこいいですよね。
こうして、職務に対する誇りなどを身につけていくのだろうと思います。

弁護士会にそれが感じられないのは、車両・装備その他のマテリアルの差なのだろうなーと思います。

国家権力対個人事業主としての弁護士。
国民から見たとき、どっちに信頼が置かれているかは明白です。

修習時代、鹿児島にいたとき、鹿児島県警というのは、とても信頼されていたのです(私の修習時期は、いわゆる志布志事件がありましたが・・・)。
弁護士になってからも、特に刑事事件で、警察がいい加減なこと(被疑者や家族に、懲役◯年になる、とか、実刑になるなどといったこと)をいうと、そっちに引きずられ、弁護人であるこちらのいうことに耳を傾けてもらうのに難渋することがしばしばあり、やっぱり弁護士って所詮そういうふうにしか思われてないんだな-というふうに感じており、今でもそう思っています。
市民から見ると「警察のいうことなら信用する」という感じで、弁護士のいうことより警察の言うことのほうが信用されるんだな、と思ったものです。
これは「警察だから」信頼されるんだろうな、と思います。
その裏付になるのは、やはり、その組織力とマテリアルなんだろうと思います。

要するに
「しょせん、弁護士なんて、そんなもん」
だと思うのです。

私は、弁護士は、なりたくてなった仕事であり、そのために、回り道はしたけれど、自分なりに出来る限りの努力をしてなったという自負もあるため、心の根底には「弁護士」という肩書に対する「期待のようなもの」を持っています。
その「期待のようなもの」と、客観的な、市民から見た「弁護士」という肩書の軽さとの間のギャップを、いかに早く感じ取るかが、とても重要だと思っています。

そして、そのギャップを出発点にして、謙虚に信頼を積み上げる覚悟と泥臭い努力が必要だと思います。そういう泥臭さを好きにならないといけない仕事なのかな、という気持ちが、年々強くなっています。
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Phase2
以上は、個人としての心がけの問題です。
以下では、「弁護士」という「制度」のことについて、上記の考えに絡めてつらつらと書かせて頂きます。

そもそも、「弁護士なんてそんなもん」という考えからすれば、「弁護士だから」信頼されている、と「期待」するのは、大変な勘違いだと私はずっと思っているのですが、それは、修習時代に始まり弁護士になってからの上記の体験が原点にあるからだと思います。
ところが、日弁連の繰り出す様々な施策は、「弁護士」という肩書を市民が相当に信頼しているとの「期待」を前提に動いているように感じます。
たとえば「弁護士を社会の隅々に」というスローガン自体がそうです。
これは、「俺たちは市民から『期待』されてるんだ、必要とされているんだ」という前提に立つものです。

ところが、蓋を開けてみればどうでしょうか。
ぱっとおもいつくところを列挙すると
①各地で弁護士会が主催する法律相談センターはどこもかしこも閑古鳥(福岡の中心部・天神にあるセンターは2500万の赤字)。
②若手の一斉登録数・1月年初登録数の減少傾向に歯止めがかからないこと(白浜先生のブログを参照。これは、1月になっても弁護士登録をしないこと=弁護士としての仕事をするめどが立たない人が増えていることを意味する)。
③若手を中心に、請求による登録抹消数の増加(「弁護士」そのものを辞める人が増えている)
④訴訟件数等の継続的激減傾向
要するには、「『弁護士』は市民から必要とされていない」という、ネガティブなエピソードに事欠かないのです。
本来であれば、ここでは
「弁護士なんてそんなもん」
というフレーズをあてはめるべきところなのです。
ところが、日弁連の諸政策は、そういう前提に立たず「俺たちは市民から『期待』されているんだ」という、逆張り政策をしている。出口戦略もないのに。

現実を見ていないんですね。

ここまで現実が見えていないと、『期待』というよりは『驕り』があるのではないか、とさえ思います。
それは、とりもなおさず
「弁護士なんてそんなもん」
という意識に欠けているからなのではないでしょうか。

このような観点から、制度を見直すにあたって「エライ人」にはこう進言させていただきたいです。
1 上記①~④のようなネガティブなエピソードを直視してください。
2 「弁護士」という肩書に『期待』しないでください。「弁護士」というだけじゃなにもできないですから。
3 「弁護士」が市民に『期待』されているなんて、ゆめゆめ思わないでください。
4 要するに「弁護士なんてそんなもん」というのが一般市民の見方なのだから、諸政策を考えるにあたっては、そこを出発点にしたほうがよいと思います。