아들자랑 딸자랑〜成人式謝恩会 | ヨンさまブログ

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とある焼肉屋のおやじです。



もうね、
一言で言うと、めっちゃ楽しかった!

テーブルも隣が茨城ウリハッキョの2個下の백두산상상봉에서부르는노래「白頭山サンサン峰で歌う歌」で優秀作品を受賞した後輩、

(これな、めっちゃ良いよこれ、当時を知る人達にとってはあまりにも有名!)

対面が千葉ウリハッキョの2個下の後輩、

途中から千葉の同級生で少年団委員長でサッカー部のキャプテンで小6のときの中央統一試験で全国2位(ちなみに1位は広島ウリハッキョの女子でその後医者になったそうな)だった大阪朝高団委員長のキョンジュ(現在葛飾支部委員長)が合流して、
70年代の「スタンド・バイ・ミー朝鮮学校」の話でめっちゃ盛り上がる、
みんな朝大OB!

我々の時代、千葉、さいたま、三多摩第一第二(今の西東京第一第二の前身でその前は東京第十一と呼ばれていてその名残が我々の時代の定期券の申請の時の校判に東京第11となって残っていた)ウリハッキョ等は、

当時、東京の各ウリハッキョからはハブンチョにされていて東京大会とは別に6・6절대회(朝鮮少年団創建の6月6日を記念した日)と言うのがあって茨城、群馬、栃木、長野たまに新潟ウリハッキョ達とサッカーのリーグ戦をした話や、

我々が中3の時は東大阪ウリハッキョサッカー部(前年優勝、2年後優勝、ちなみに1つしたは千葉ウリハッキョが優勝)の暗黒時代で上位進出の絶好のチャンスだったのに、
台風でその年に限って中央大会が前代未聞の中止になった話等で大いに盛り上がったワケなんです。




子供達が準備した催しを見ながら、

20歳を迎えた女子がオンマに手紙を読むんだけど、
向かいに座ったキョミル(今回は全て実名で行きます。)がその手紙を聞きながら自分の子供でもないのに号泣!したり、
ある第5の先生が我々の千葉初級部の時の初級部の女子教頭先生だった김옥주先生の甥っ子って初めて知ってめっちゃ驚いたり! 

私が大ファンだった息子の担任の先生の씨아버지が今現在うちの娘がお世話になってる朝中の同級生の副校長だったりと本当に話題が尽きない謝恩会だったわけなんです。

まさに「아들자랑 딸자랑」(息子自慢娘自慢」のような走馬灯の様なひと時。

この曲も「ヨン様泣ける曲リスト」の上位に入るよね、
特に2番が泣ける、

うちの分会のパク婦人
若い時に相方を無くし
無男独女、
娘一人を手塩にかけて育てたよ
成長するに連れて人柄も良く歌声がとてもキレイでチュチェ芸術を誇る音楽家になったよ
舞台で歌を披露すると、ウグイスさえ羨むほど、
聴く人見る人誰もが絶賛だよ、
嵐のような拍手が館内を揺るがすや
パク婦人我慢出来ず涙を浮かべながら笑うよ、
 
3番は
そんなお宅の娘とうちの息子どう?
サドン(新郎新婦の親同士)にならない?
いやいや、
それは若い二人に任せなきゃ、
 
みたいな在日同胞のあるあるを凝縮した曲。
だけど、私は今回衝撃でした!
実は1番の出だしが

우리분회 최로인은 금년봄에 환갑인데
うちの分会の崔老人、今年の春に還暦だけど

え?!マジか?!
って事は59歳で「老人」呼ばわり!
じゃぁ57歳のオレも「老人」じゃねーか?!
渋世支部でキム老人とかよばれてるのか?!
こ、これはキツイ、、、

知らぬ間に大人の階段とっくに駆け抜けてたのね、
今や老人の階段をゆっくり登っているのね、
もはや、波平オレより年下だし、
波平に向かって
「おい、磯野、これ今日中に頼むよ!」
って命令できるの日本でも少ないよ!
気付いたら波平より全然先走ってる!
それにしてもフネ、老けすぎだろ!

わたしかなりうるさかったらしく次の日相方から비판모임されました。
子供達からはモンスターペアレントと呼ばれるようになった事は言うまでもありません。

네 여러분 즐거운 하루 되세요!

アンニョ〜ン!