ウリハッキョ卒業してかれこれ30年以上、
いやー、お噂はね、かねがね聞いておりました、
最近ちょっとすごいことになってるらいしっていうお噂は、
なんか最近、神奈川が凄い凄いってゆーから何?とか思って、また本田選手でも来たの?つって、
あ、神奈川って神奈川ウリハッキョの事ね、我々の時代は日本の方々から「浜チョン」って呼ばれてたけど数ある朝鮮韓国人に対する日本語的民族差別的蔑称の中では飛び抜けてオシャレな蔑称で千葉県市原市で「そうだッペ」「行くっぺよ」「違うべ」みたいな房総方言に囲まれて暮らしていた私なんかは「そうじゃん」「いいんじゃん」みたいな洗練された感じがする「浜チョン」はちょっと羨ましかった。(NHK朝のニュースの天気予報の順番も神奈川県は必ず首都東京の次だったし、今でも!)
でもね、すっかりヤンキー風の「浜チョン」のあだ名に踊らされてる我々だけど実は横浜朝鮮初級学校は日本一の名門ウリハッキョで横浜初級の学生芸術団が1972年8月に初めて東京朝鮮中高級学校サッカー部と朝鮮学校史上初めて朝鮮民主主義人民共和国を訪問し、その公演パフォーマンスであの金日成首相を泣かせた伝説の学校だという事をここに確認して本題に入りたいと思います。
あ、ちなみに横浜朝鮮初級学校と神奈川中高級学校は同じ敷地内にあると言う衝撃の事実を知ったのはつい最近の事で、更に噂によると1年間だけ横浜と言う全国ブランド的看板が下げられ神奈川朝鮮初中級学校という名称に変更されたらしい。しかし卒業生や関係者達から伝統の名門「横浜朝鮮初級学校」の名称を無くすな!と猛抗議を受けすぐさま復活したと言う、それだけ地元の在日コミュニティから愛されている朝鮮学校なんです。
(相変わらず前置き長げーし!修行だと思ってください)
その神奈川ウリハッキョになんとあの元西ドイツブンデスリーガ、アイントラハト・フランクフルトのエース車範根選手が訪れてウリハッキョの生徒達と過ごしたってマジでパネー!
チャボングン選手が活躍した1978年頃の韓国はモロ軍事政権時代で朝鮮学校訪問なんて考えられなかったどころか徐勝、徐俊植両氏が「北朝鮮」スパイ容疑で獄中生活を強いられていた時代、その時の世界的選手が朝鮮学校に来れるような時代になったなんて!
あと何が凄かったかって当時のフランクフルトには1974年ワールドカップ優勝を果たした西ドイツ代表メンバーのユルゲン.グラボウスキーとベルント.ヘルツェンバインがいたワケなんです。
グラボウスキーはフランクフルトのキャプテン、ヘルツェンバインは74ワールドカップ決勝であのスーパースター、ヨハン.クライフがいたオランダ戦で同点のPKとなるファウルをもらったその人なんです。そんな当時のスーパースター達と一緒にプレイするなんてすごすぎる。
だってあれだよ当時はサッカー日本代表なんてワールドカップ出場どころか来日した朝鮮民主主義人民共和国のクラブチームの425体育団チームに全日本代表が全く歯が立たなかったそんな時代ですから!
まあ、でも425サッカーチームは「赤い稲津」と呼ばれた朝鮮の名門クラブチームだけどね。
ちなみにサッカー元韓国代表のチャドゥリは息子さんです。
これ、パックネ時代なら逮捕されかねないよ!
当時全朝高生がサッカー専門誌「イレブン」を見ながら応援してたっけ、日本ではケルンに行った奥寺ばかりを報道してたけどブイブイいわせてたのは圧倒的に車範根選手だった。
ちなみに(まだ続くのかい!)
ポーランドで開催されているサッカーワールドカップU 20の準々決勝で韓国VSセネガル戦がマジすげー試合!逆転に次ぐ逆転、
延長戦でもエディショナルタイムでセネガルがまさかの同点弾!
PK戦では韓国チームの1番手2番手が外すという大波乱。
でもね、この試合で一番評価が高かったのは試合後のインタビューで
「こんなに素晴らしいゲームをする事ができて心からセネガルチームに感謝します」という韓国チームのキャプテンのコメント。
まだまだ他にもあるんだけど今日はこの辺にしたるわ、
アンニョ〜ン!