称賛、喝采、成功、抜擢とは無縁の裏街道人生(裏街道ってヤバイ系じゃなくて地味っていみだからね!)。
でも、最近ようやく、本当にようやく軌道に片足乗り掛けてきたワケで、今年のゴールデンウィーク明けは連休を取って夫婦で韓国に行ってキムオジュンさんのダース・ベイダーをライブで観ようと計画を建てていたワケなんです。
そんなおり、なんと今年の6月、7月に相方の姪っ子達がまさかの連続結婚式!
しかも当然日曜日!身を切る思いでまたしても日曜日を休まねばならない、しかも2回!
更に相方のストロベリーちゃんは今から6月、7月の当該日に金土日月の4連休という恐ろしい事案を一方的に宣言し私を恫喝しながら私に対しては当日の日曜日の始発の新幹線で現地集合そして最終で帰京せよ!という無慈悲な、まるでボルトン&トランプみたいな날강도白昼強盗の様な事を言っている、と言うのが現在地でございます。
初めて見た時5歳くらいだった姪っ子達が結婚だなんてもっともっとずっと先だと思ってた、思わず昔のアルバムをめくっていると止まらなくなってついに一番古いアルバムまで開いて、そこで目に止まった私の母親の朝高時代の集合写真。
数年前SNS上で朝高のチマチョゴリの制服は女性差別だ!的な趣旨で、女子だけに民族衣装を着させた男尊女卑的な時代錯誤的校則!と事実を確認せずに憶測や願望を織り交ぜながら朝鮮学校を茶化しながら小馬鹿にしたやり取りが朝鮮学校を経験してない在日の人々の間で盛り上がっていた。それまで考え方に違いはあれどマイノリティに寄り添う彼、彼女達に共感する事も少なくなかっただけにとても残念、というより「なんだお前?!」と言うのが正直な気持ちだったワケで。
ちょっと調べればわかることなのに、本も出てるのに、調べもせずに本当に呆れ果てたワケで、
マジで、
簡単に言うと
朝高女子の制服がチマチョゴリになった経緯は60年代に民族意識が高まり(60年代は特にアフリカ諸国が大挙独立をして「アフリカの年」呼ばれるほど世界の民族運動と民族意識が高まった)女子学生側が朝高側に民族衣装の制服化を要望したワケで、朝高側が一方的に女子学生だけに強制的に民族衣装を義務化したと言うのは全くの嘘っぱちなワケで、そんな嘘っぱちをそれなりの知識を持った在日達がSNSで拡散する事とネトウヨがデマを拡散するのと何が違うのか?と愕然としたワケで、
相手が朝鮮学校の場合、デマでも何でも何言っても無礼講みたいなその風潮なんなの?みたいな、
そして朝鮮学校を茶化していたその人達のほとんどが後の「ジニのパズル」を大絶賛すると言う法則!
朝鮮学校の歴史を調べもしないで叩いていた在日の人達が「ジニのパズル」読まず(実際には事実と異なると指摘された部分や問題点のある部分等私の意に反して結構なページ数を私は友人達から無理矢理読まされている)に想像で書評した私を「読んでもいないのにけしからん!なんだお前?!」クロスカウンター気味に叩く現象に更にトリプルクロスカウンター的に「なんだお前?!」と思ったワケで、
「ジニのパズル」を絶賛する人の中には「北朝鮮」の独裁政権を倒すためには平壌爆撃もやむを得ない!と主張する在日も散見されて、それって無差別爆撃支持じゃん!
無差別テロの支持じゃん!
って頭がクラクラしたよ、マジで、
そんな事を考えながらアルバムを次々に観ていると相方の姪っ子、甥っ子達の多い事多い事、まるでレミングみたい、でもレミングって増えすぎると集団で崖からとび降りる集団自殺をするんだよね、とか思いながら、
一方の私の身内はめっちゃ少いなあ、全く増えない、佐渡ヶ島のトキみたいだなぁ、まるで絶滅危惧種、従兄弟が中国から来た朝鮮族の女性と結婚したのもまるで佐渡ヶ島のトキの様だ。
ハムギョン北道出身のうちの父親は6人姉弟だったらしいけど昔、朝鮮に帰国したイモに調べてもらったら朝鮮戦争時に父親の家族は全員死亡か行方不明という報せを受けたと父親から良く聞かされたものであるが、朝鮮戦争もうちの身内が増えない要因の一つなんだなぁと思うと感慨が更に深まる。
と言う事で60年代のおそらく誰もが知ってるヒット曲「Da Doo Ron Ron 」
1963年、私が生まれた年に大ヒットした曲、私の周りの人はみんな何故か「デュランランランランデュランラン♫」って鼻歌歌ってるけど違いますから!歌詞にデュランって人は出て来ませんから!歌詞に出てくるのはビルですから!
ちなみに大滝詠一の「君は天然色」のイントロはこの曲のイントロを真似ています。
アンニョ〜ン!!