童顔はつらいよ〜万景峰号編 | ヨンさまブログ

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とある焼肉屋のおやじです。

朝大を卒業して朝銀東京信用組合に就職した私の最初の業務は当時横浜港に停泊していた万景峰号の警備だった。
入社した次の日から1週間万景峰号内の船室に寝泊まりしての警備。
朝大同期10人くらいのうちの中から私ともう一人O 君が抜擢された。抜擢と言うと聞こえがいいけど当時は貧乏クジを引かされたと誰もが思ったワケで。

もうね、
私は学生時代から一貫してクラス委員とか何らかの賞に選ばれるとか一切無いのに、こういうのは高確率で選ばれるんだよね、

日本が国連加盟国(当時の南北朝鮮は国連に加盟していなかった)として唯一国として認めないネバーランド(存在しない国)朝鮮民主主義人民共和国籍の旅客船のあの万景峰号。
ネバーランドから来たからって別にクック船長がいるわけではない。
船員スタッフたちはみな一様に素朴でページワンとか教えたら皆大喜びで、そのうち「ページワン하자요(しようよ)」とか言ってきたり、船から外には一歩たりとも出られない船員達が甲板から見える横浜の街を眺めながらいろいろと聞いてきたり結構気さくな人が多く、ネバーランドから来た人々がクック船長の様な独裁者のもとでいつも公開処刑の恐怖に怯えながら笑顔すらないなんて事はむしろ日本のメディアが望むファンタジーなんだという事がよくわかった。
むしろ過去の過ちを認めずいつまでも謝罪をしない日本の歴代政府の方が大人になる事を拒んだピーターパンでそっちの方がネバーランドに似合うんじゃね、と思うワケで。

警備の話
その時の警備責任者がシュッとした長身の色白玉三郎系の2学年下の京都出身(そう言えばあの編集局長も京都出身だった)の朝青専任者。
もうね、この時点である程度の予感はしてた。
私当時22才、責任者トンム20歳。
感の良い人はもうわかるよね、これから先の展開が。
私はいつもO君と一緒に行動を共にしてたんだけど、そのO君は大関級のズボラ。
O君はちょっと原始人みたいなワイルドな感じ、私は人畜無害な家畜のような感じ、というのが関係しているのかいつも怒られるのは私。
22才が20才に説教されるってつらいよ〜
朝高だったら高3が高1に説教されるてる絵だからね。
でもね、わたし耐えたよ〜本当によく耐えましたよ〜
だって、彼は責任者の立場で説教してるわけだから、おそらく私の事を後輩だと思い込んでるから、
わたし、一切逆らわなかった、てゆーか、そもそも私は団体生活では積極的に率先してバリバリするタイプではないけれど、順応するタイプで団体生活を乱したりワガママ言ったりサボったりするタイプではないのである。

でも、何故かいつも怒られる私。
そんなモヤモヤした気持ちになりながらも1週間耐えればシャバに出られると耐えた最終日。
休憩時間に横浜の繁華街で飲んで集合時間に20分遅れた。(タクシーが捕まらなかったり渋滞したりO 君が「大丈夫、大丈夫」と言って中々席を立たなかったりと色んな事が重なった)

ダッシュで万景峰号に戻ると「キムトンムとオートンムが脱走した!」みたいになって大騒ぎになってた!

責任者トンムが私の顔を見るや「また君達か!」と第一声。

え?そんなに常習問題児扱い?

そっちの方が驚きだった。

何故か自分1人だけ呼ばれて説教される私、なんの役職もないヒラなのに!しかも妹と同じ年の後輩に。


そして遂に最後の夜間警備、
万景峰号が停泊している埠頭で立っていたところ「ちょっとダリーな」と思って船のロープを縛るプイッと出てるアレ(名称がわからない)、石原裕次郎とかがマドロスのカッコして片足かけてポーズするあれ、に腰掛けてたらウトウトしちゃったワケ、
そしたら誰かが私の肩を包むように腕を回し
「どうした、疲れたか?寝てないのか?もう少しだからガンバレ!終わったらメシおごるから、朝高卒業してすぐの業務が警備はちょっとしんどかったな」

もうね、なんだろうね、この微妙な気持ちの揺れ具合、
責任者トンムは責任感もあって優しさも兼ね備えてるんだけど、 
学年2個下にたしなめられながらも激励されて優しくされてる私っていったい、

でもね、今しか無い!今が千載一遇のチャンスだと思った。私にとってマイナス効果しかもたらさない誤解、わたしはおまえより年上だという人生の大前提を今こそわからしめねばと満を持して言ったよね、埠頭だけに、

「あ、えっと、なんてゆーか、オレ、朝大卒業してるんだよね」

もうね、ここは私も先輩として、先輩の心の広いところを見せつけながら、責任者トンムをできる限り傷つけないように気遣いながら真実を告白したワケなんです。

もうね、責任者トンムのあの時の驚きの表情は今でもハッキリ覚えてる。

私の肩を抱きながら完全フリーズ!
ちびまる子ちゃんがショックを受けた時みたいに目は白目になり顔には縦にガーン線が!

もうね、横浜港全域に広がったこの気まずい空気、

でも、これで良かったと思う、
きっとこれで良かったんだよ、

それ以降責任者トンムは私に対して敬語を使うようになったのは言うまでもありません。
てゆーか、立場逆転でお互いこっぱずかしい、

数ヶ月後
何かの大会で東京朝高の校門脇の警備室にいた彼を見つけ再開を喜んだのを最後に合っていない。
今あの責任者トンムはどうしているのか?
とたまに思い出す青春の1ページ。

その年に大ヒットした「ウィーアザ・ワールド」

当時は社会党とかも健在でまさか日本が世界に冠たるマイノリティ差別のトップランナーの国になるとは思わなかったよね。
しかもトランプみたいな人がアメリカ合衆国の大統領になるなんて、でも、気に入らないとすぐにちゃぶ台返しするアメリカの大統領だから誰がなっても同じか、

アンニョ〜ン!