人生で最も濃ゆ〜い一年だった2018年最後の朝、朝青イルクンが配達してくれた月刊イオのページをめくっているとジェジェ!(古!いつの流行語大賞かよ!)
うちの弟の記事が出ているではないか?!
てゆーか、ちょっとした活躍?
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大阪朝高花園出場の記事。
何度見てもいい、
本当にいい、
3年前の東京朝高花園初出場を思い出す、あの時は1年生の次男がラグビー部で補欠だったけど花園行ったなぁ、今は朝大生。
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朝鮮学校百物語。
あら、若かりし頃の큰이모부(母親の大きい姉さんの連れ合い)ではないか!
え?こんな偶然ってある?
つまり月刊イオ1月号にうちの弟と弟の이모부ピョセジョンの写真が奇しくも同時に掲載されているとは!
その事を弟は知らない。
1959年ころに朝鮮に帰国したイモブは私の弟や妹に合う事なくこの世を去った。私も一度しか会ったことが無い。
スニヌナは若い頃スピードスケートの選手で札幌五輪朝鮮代表決定国内選手権でグルノーブル五輪銀メダリストのあのハンピルファ選手と最後まで代表を争った強豪でピョスニ選手と言えば朝鮮ではちょっとは知られた名前だったそうだ。
当時人づてで届いた大きいイモからの手紙に「スニが五輪代表選考の決勝に進みもしかしたら札幌に行くかもしれない」と書かれていて家族中が大いに期待しうちのハンメなどはその時からアイゴ〜何を買って持たせようか、とソワソワしながらもとても嬉しそうだった事が記憶に鮮明に残っている。
当時、在日同胞が朝鮮を訪問するなんて夢のまた夢だった。
1972年札幌五輪直前の8月に初めて横浜朝鮮初級部音楽舞踊部員と東京朝高サッカー部員が朝鮮民主主義人民共和国を訪問した事が大きな話題になったそんな時代。
横浜ウリハッキョ生徒達の演技をみて堪えきれずに落涙しハンカチで涙を拭う金日成首相の姿がとても印象的だった。首相が涙を流した映像は私が知る限り後にも先にもこの時しかない。
物置からアルバムを取り出して朝鮮の肉親達と撮った写真に見入る。
今、娘がピョンヤンに行っている。
まだ存命中の小さいイモと合わせる手続きをしようとしたがサンチョンから「もう高齢でハムンからピョンヤンに行かすのは大変だ、それに手ブラでは行けないぞ」と言われ諦めた。
私が億万長者になった暁には必ず朝鮮に行こうと心に誓う、
ってゆーか、統一の方が早いんじゃね?マジで、
てゆーか、制裁解除さえされれば日本より向こうのほうが裕福になるんじゃね?マジで、
月刊イオのおかけで、なんかとても意義のある大晦日になったなぁ
以前も紹介したことがあるけど今日はこの曲を聴いてノスタルジックヨン様になりたい。
大阪朝高校歌
生駒山の麓に世界一の朝鮮学校を建ててくれてありがとうという歌。
軽く訳すと
祖国を愛する親、同胞達が遠く離れた異国で思い切り勉強させようと子供たちのために世界一の学校を建ててくれました。
今までにこんな学校を見た事があるか?と、
教室の窓からいつも見える生駒山に尋ねる
この世が創造されて何億万年と経つけど、未だかつてこんなに素晴らしい学校は見たことがない、と、
生駒山が頭を下げながら言うよ
そして(日本政府も韓国政府もガン無視したのに)祖国復興建設最中の厳しい最中でも教育援助費を朝鮮学校に送ってくれた金日成元帥本当に本当にありがとうございます。
この恩は絶対にわすれません。
人として当然の感情だと思う。
この旋律と歌詞が聴くたびに私を泣かせるイジワルな曲。
明るい동포사회
토일된그날까지
アンニョ〜ン!
PS
マジ三が日、誰か手伝って!
給金その日払い
なんなら往復の新幹線代だすから!
ウッソプ〜
私の朝大時代に流行った言葉、
特に関西系が好んで使っていた。
복많이 받으세요
福が沢山来ることを祈ります
うちにはいつも福がいますけどね!