松本さん 第三部 | ヨンさまブログ

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とある焼肉屋のおやじです。

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さて、
1973年頃に放映された萬屋錦之介主演の「子連れ狼」は大ヒットをした。
大五郎の「ちゃん!」は大流行しテレビのCMやお笑いなどで聞かない日が無かった。
北の富士と琴桜が横綱で輪島と貴ノ花が大関、
♫ギ〜ラギ〜ラ太陽が♫の安西マリアの「涙の太陽」と沢田研二の「危険な2人」、高校野球の応援ブラバンで良く演奏される山本リンダの「狙い撃ち」もこの年に流行した。

その「子連れ狼」の1つのエピソードに松本さんが準主役級で出た。
父を悪代官の陰謀で殺されその仇討を拝一刀に依頼する農夫の役だったと記憶している。

萬屋錦之介と大五郎に次ぐ露出の多さで、松本さんついにブレークか?!とヨン少年は思ったものである。

夏休みや冬休みに下北沢のハンメの家に行く度に松本さんの四畳半のアパートに行くと松本さんはいつも台本を持って舞台のセリフの練習をしていた。

しかし今考えれば「子連れ狼」の時が松本さんのピークだったのかも知れない。

冬休みに一度ブルートレインで松本さんの実家の鳥取に遊びに行ったことがある。
1月の鳥取は辺り一面雪の豪雪地帯で西日本の鳥取が東京より遥かに寒い事に驚いた。
松本さんの実家の両親の方言が聴き取りづらかったが東京を出る前にハンメをはじめとした親戚全員から「向こうで出された物は全て食べろ、そして必ずおかわりをしろ」と言われその通りにした。
一族郎党の家訓を忠実に実行した私に松本さんの両親はとても喜んでくれ更に更に料理出してくれた。
もう、ムリ、と思った、今ならば虐待と言われるかもしれないほど出た、鳥取のきな粉餅を私は12個食べた、めっちゃ美味しいけど12個はキツかった、食べる度に松本さんの両親はとても嬉しそうな顔をするから、
でも、松本さんご両親の暴走を止めてくれと思った、

頑張りすぎた私は翌日に39度の熱を出し寝込んでしまった。

数日後に回復した私は雪景色の鳥取砂丘を見に行った、
雪景色の中のラクダを初めて見た、

ちなみにすでに嫁いで赤ちゃんを連れて実家に帰ってきた松本さんの妹はとても美人だった。どうりで元ミス鳥取で地元では大変有名だったそうだ。

松本さんは結局役者の夢を諦め鳥取の製菓会社に就職した。
私が朝高一年生の時、出張で東京に来た松本さんは板門店に挨拶に来た。その時が松本さんと会った最後となった。

今でも松本さんは鳥取で元気にしているかなぁ、私よりも15才くらい上だったかなぁ、

手がかりは妹が元ミス鳥取だけ、

でも、少年時代の思い出は思い出のままで取っておくのがいいかもね、

初恋の人や若い頃の元恋人や憧れの先生とか昔のアイドルとか絶対に会ってはイケないよね、

余談だがその後、大五郎は実生活で殺人事件を犯し逮捕されたようだ。

おわり