自分の名前 | ヨンさまブログ

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とある焼肉屋のおやじです。

もうね、
幼い時から自分の名前がイヤだったワケなんです、

漢字一文字
いわゆる외자ウェッチャ。

先日fbで朴烈さんの名前の発音が話題になり盛り上がっていて興味深く読みながら、
なんで朴烈さんは朴俊植というちゃんとした普通の名前があるのにわざわざウェッチャって?あ〜もったいない!とか思ったりしたワケで、

ウェッチャは初級部時代クラスに3人しかいなくてそのうち一人はある日突然漢字が一つ増えてウェッチャからの脱出に成功、
もう一人は途中で転校(のちにカムバック)しちゃったからウェッチャは私一人になってしまってとても悲しかった思い出があるワケで。

毎年秋に朝大から実習先生が来て
「김 영キム ヨン インミダ」自己紹介すると100%
「キム ヨンイル?キム ヨンイ?」
とか聞き返されるのがマジイヤだったワケなんです。

1970代当時子供の名前の定番だったジョンイル、ジョンス、イルス、ヨンナミ、ヨンス、ヨンシギ、スニ、ヨンスギ、ヨンヒ、オッキ、キョンスギという名前がこの上なく羨ましくてしょうがなかったワケで。

さらに追い討ちをかけたのが授業でコヒャン故郷(正確には本籍地)がテーマになった時、
うちの父親の出生地が咸鏡北道の吉州と朝鮮半島の最北端で昔はオランケ(異民族の蔑称)の土地だと呼ばれてた事を知った時。
クラスのほとんどは慶尚北道、慶尚南道、済州島で
「お〜仲間仲間‼️」とか盛り上がっているのにオランケの土地がコヒャンの子は他には女子が一人いただけ、

※ちなみにその女子の父親とうちの父親はコヒャンが同じという事でとても仲が良く、よくうちに来ては
「アジョシ達が子供の頃はねえ、ハンギョンプットはねえ、冬になるとねえ川がみんなカチンコチンに凍ってねえ、すると近所の子供達が集まって河原の細い木の枝を取ってきて糸をつけてソリで川の真ん中まで行って穴を開けて釣りをするんだよ」
そんな話を聞かせてくれたワケなんです。

もうね、
コヒャンがハンギョンプット(咸鏡北道)で名前が漢字一文字の自分が本当にイヤだったワケで、
(せめて、せめて咸鏡南道であっって欲しかった、当時の共和国第2の都市ハムンとハムン冷麺があったから)
もうね、ゼッテー変えられないワケ、
名前に漢字一つ足してなんて父親にゼッテー言えねー‼️
父親ちょ〜こえ〜し‼️

もうね、
マジで贅沢は言わない、
学友書房の朝鮮語のクゴ教科書に出てくるようなヨンナミで充分良かったワケで、

少年時代の私の理想型は

名前がキム ヨンナムでコヒャンは慶尚北道なんとか郡なんとか里なんとか洞だったワケで、

そしてその少年期のトラウマが自分の子供達にだけはその様な思いをさせたくない、その一心で漢字二つの名前をつけたワケなんです、
と言っても私にその権限は無く、
ストロベリーちゃんが子供の命名という父親最大の権利を全て私から奪い取り彼女が名前をつけたワケなんですけどね、

本当は娘の名前は「アニ」が良かったんだ!
何度も何度も嘆願したのに、
その都度速攻却下されたという哀しい事実を誰も知りますまい、、、