梅雨なのに、全く雨が降りませんね、
気象庁、心の中では「ああ、やっべえ!しくった!入梅宣言まちがえた!」
と、思っているにちがいない、と、思う今日この頃、
さて、皆さんはいかがお過ごしでしょうか?
ここ最近、中東諸国での民主化運動が盛んにニュースになってますね、
そんな記事を読むたびに思い出すのが筆者の高校時代、
もう、30年以上も前のこと、
十条にある民族学校、
学校全体が体育会系プラス厳格な儒教思想とプロレタリアート思想によって統制されていた、
すでにこの時点で矛盾があるが、
なのに何故か
、生徒たちはアイパーかパンチパーマ、
制服は高い詰襟にズボンは今で言うところのドカン、
制服姿を見るだけで、
すぐにあそこの学校だとわかるほどの独特なファッションセンスであった、
当時まだヤンキーという言葉が世に出る前、
「ツッパリ」という言葉が日本全国を席巻していた時代、
その学校は間違いなく業界のファッションリーダーだったのだ、
構内は厳しい階級制度、上下関係に支配され、
下級生は無条件に上級生に対して「こんにちは!」と挨拶しなければならない、
どこであおうと、すれちがおうと、
挨拶をおこたるやいなや、その場で鉄拳制裁!
教師陣は当然の事と黙認、というより容認
だから知らない顔を見れば取り合えず挨拶、
下級生の保身術である、
圧巻は朝の登校時間帯、
下級生たちの「こんにちわ!」の声で校内は充満する、
まるで「こんにちは!」祭り!
上級生からすると、「こんにちは!」の千本ノック状態!
それはそれで、少々辛いものがある、と
上級生になって思ったものである、
以下余談、
朝鮮半島は大国に挟まれてる地理的条件によって、
有史以来戦乱が絶えず、一日無事に過ごすことが大変だった、
なので、おはよう、こんにちは、こんばんわ等の挨拶言葉が無く、
代わりに、いつの場合も「アンニョンハセヨ?安寧(ご無事)ですか?」
が挨拶の言葉となった、
なので、ここでは敢えて「こんにちわ」と表現させて頂く、
話を戻す、
そんな高校生活であったが、
筆者が入学する数年前に、
学校当局側が突然、制服の寸法の規制強化を一方的に断行、
それが引き金になり、
上級生達のかけ声のもと、
在校生のほとんどが抗議の不登校ストライキへと発展した、
資本階級に対する労働者階級の闘争を学んだ学生達が、
こんな形で成就するとは、人生とはわからないものである、
まるで、ビーバップハイスクールのようなはなしではないか!?
が、実話である、
当時、評価は真二つに割れた、
保守的な大人たちからすれば、
「あんな袴の様なズボン履いてみっともない、当然の処置」
気鋭の生徒達からすれば
「ファッションは表現だ、表現の自由の冒涜だ!
大人たちは傲慢だ!」
大人たちからみれば、秩序を乱す暴動、
生徒たちから見れば、権威に抗う自由の要求、
結局、双方が歩み寄り
カラーの高さは4.5CMまで、
パンチパーマ、ニグロヘアーは禁止、アイパーは可、
その他、
学ランの丈の長さや、ズボンの太さが細かく規定された妥協案によって、
学生運動は沈静化した。
筆者はこの事件を「昭和の十条学生蜂起」とひそかに命名している、
結局、
この事件がその後の制服、男女ともにブレザーになった遠因の一つとなっている、
民族学校史の闇に葬られようとしている、この事件、
みなさんは、どうお考えでしょうか?
当時の写真を掲載しようと思ったのであるが、
なにせ、暗い寂しい高校生活を送った筆者、
当時の写真が一枚も無いではないか!
と、いうことで気を取り直してこの写真、
厚切りの宮崎牛のリブシン ¥1200!
寂しい人も、機嫌の悪い人も、一口食べてみて!
お口の中でお肉の旨みと程よい霜の甘みが手に手を取り
結婚式をするのがわかるでしょ!
ウソだと思うなら食べてみてください!
筆者が孤独と決別したのは16年前に家内と結婚した時である、
が、以来、家内の機嫌は終始悪い、一向に良くなる気配が無いのである、
彼女いわく
「あなたとの結婚生活は私にとって修道院の生活となんら変わらない」
筆者「、、、、、」
不屈女性闘志のレジスタンスは続くのである。